冥帝の万華鏡
久々の我がアパートに両親の車で降り立った俺は、一人で本当に大丈夫かと心配そうに問いかける両親に大丈夫だと返して、家へと入った。
さて、本来であれば今日一日はのんびりと過ごし、入院生活で疲弊した心を癒しつつ、落ちた体力を取り戻すべくからだでも動かしているべきなのだが、今のおれには宮部教諭のお見舞い品がある。
どうして退院直後からこうフル稼働せねばならないのだとボヤキながら、俺はせっせと束になったプリントを消化していった。結局その日一日がかりでプリントを消化し、心休まる間もなく翌日の登校に備えてせっせと布団に入ることにした。
そして翌日、もはや言うまでもなく先週で更新のストップした記録のリベンジでもするように、俺はチャイムと同時に入室した。別に狙ってやっているわけではない。
宮部教諭はいつものようにやんわり笑顔で俺を出迎え、俺はその笑顔にいやな汗を流しながら自分の席へと着席した。
「ずいぶんと間が空いちゃったけど、相変わらずのピンポイント入室だね〜」
ずいぶんと久しぶりとなった賢治の楽しげな笑い声が背後から響く。
「ひさびさに聞くとその言い方ずいぶんと癪に触るな。」
「ひゃ〜、事故で亮ちゃんが凶暴化してもうた〜」
まったくもって毎日が楽しそうな奴だった。
授業のほうは、単元がいつの間にかおれの知らないものに変っていたが、後で誰かに聞けばいいかと適当にノートを取る。宮部教諭から手渡された大量のプリントは昼休み中に仕返しついでに宮部教諭の机へと持って行ったが、
「いつもの授業もこれくらいまじめにやれば上のほうに行けるのに」
と、さらに小言を付け加えられた。
滞りなく学校を終え、行きよりも軽くなった鞄に教科書を押し込む。夕日の差し込む教室と言うのは何かとドラマチックなものを感じるが、実際その場にいて感じるのは、早く帰ってのんびりしたいと言う怠惰な願望と、騒がしく騒ぎ立てるクラスメート達の雑談くらいである。かく言う俺も、その騒がしく騒ぎ立てるクラスメート達とともに、教室を出て、正直どうでも良い世間話に花を咲かせる。もっぱらテレビやゲームの話題で持ちきりになるその会話も、俺が退院直後である為話の話題は主に俺の病院生活のことになっていた。それも決して俺のことを心配した話題などではなく、美人の看護師さんはいたかだとか、隣のベットか病室に可愛い子は居たかとか、誰かと親しくなったのかとかそんな話題ばかりだった。
友達と別れた後、俺は晩御飯のことを考えていた。普段であれば、冷蔵庫の中に買い置きがあるので、家に帰ってからそれらを適当に処理すればよいのだが、俺は昨日病院から帰ってきたばかりで、ほとんど買い置きなど無い。今までの買い置きもほとんど母親が処理してしまい、はっきり言って食材が無い。
買い物に行くべきかどうかを思案しながら、あいも変わらず薄っぺらな財布を開いてみる。中には申し訳程度の小銭。
「こんなことなら、母さんに食費だけでも貰っとくんだったな。」
ため息をつきながら、一人虚しく呟く。
そんな時だった。
夕焼けで紅く染まった住宅街。俺の住むアパートのあるその住宅街の隣には、開発途中の地区が在る。その地区へと通じる道。その路地に、夕焼けの光を眩いばかりに反射する銀色の長い髪が輝いていた。
――彼女だ――
何の確証も無い。しかし、俺には何か確信めいたものがあった。
初めは、彼女の姿に惹かれるようにゆっくりと、しかしその歩調はしだいに速くなり、最後には全力で走っていた。
その路地には、もう彼女の姿は無い。その先には十字路、さらにその先にはT字路があり、少女の姿は何処にも無い。
十字路の中心まで走る。左右に目をやるも、そこに彼女の姿は無い。T字路まで進む。左右には、それぞれ住宅街へ戻る道と、開発地区への中心へ続く道。
住宅街の方は、俺のアパートがある。どちらにしてもそっちには行く、それなら先に開発地区のほうを回った方が良い。
さらに進むとそこには再び十字路、再度中央まで行く。すると、その左、その奥にあるT字路の右手に残されたように銀色髪が舞っていた。
俺は再び走った。もう結構な距離を走っている。今までそこまで鍛えていなかったことが祟って、もう息も絶え絶えだ。
息を切らせながら曲がった曲がり角の先、そこに彼女は居た。
前会った時と変わらない白銀の髪、白い肌、白い服、そして燃えるように赤い紅蓮の瞳。間違いない、彼女だ。
走ってきた俺に気が付いたのだろう。一定のリズムで律動的に動いていたその歩みが止まり、銀の髪を舞わせながら振り返った。
「っ、あ、あなたは・・・」
振り返った彼女は、俺の顔を見ると酷く狼狽し、声を震わせた。
「か、体の方は大丈夫?」
微妙に俺から目線をはずした彼女は、いまだ震える声で俺にそう問いかけてきた。俺の方は、どうして彼女はそこまで狼狽しているのかよく分かっていない。
「え、ああ、うん。大丈夫だけど。」
反射的にそう返すと、それで彼女の方も少し落ち着いてきたのか、今度はかっきりとした声で言い放った。
「さあ、もう直ぐ日も落ちる。あなたは早く帰った方が良いわ。そして、今後は回しを見かけるようなことがあっても関わろうとしないほうが良い。私に関わると、あなたが不幸になる。」
俺はますます意味が分からなくなってきた。俺としては、この前のことの理由を聞きたかっただけだ。確かにもう直ぐ日は落ちるが、どちらかといえば男の俺なんかよりも、彼女の方が、早く帰った方がよさそうな気がする。
「ここは人気が無いから危ないもの。分かったら早く帰るといいわ。」
彼女はなおも続ける。しかし、これほどまでに子ども扱いだと少々癪にさわるものがある。見た目的には、彼女はどう見ても俺より三、四歳は年下だ。そんな俺より年下の少女に、暗い場所は危ないと説教されるほど俺は子供ではないと思う。一方的に言われ続けるのは流石に不愉快だ。さらに続けようとする彼女の言葉を制し、今度は俺が言い放った。
「いや、危ないのはどちらかというとあんただろ。何もそんなに邪険にしなくたっていいだろう。」
「私は大丈夫よ、それよりあなた、分かったら早くここから去りなさい。」
彼女は俺の言葉を全く聞く気がないらしく、そっけなくそう返してきた。こう邪険にされる意味が分からない。確かに、こうして直接話すのは愚か、面と向かって会ったのも初めてなのだから、少しぐらい距離を置かれても一向に構わないが、いきなりこんな説教を聞かされる謂れは無い。
「そんなに邪険にしなくたって良いだろ、俺はただ・・・」
いい加減不愉快になり、嫌味の一つでも言ってやろうと口を開いたその時だった。
「おやおや、こんなところにいたのか、銀の娘。それも男と二人とは。いけないよ、赤の他人を巻き込んでは。」
俺の背後から、黒い礼服に身を包んだ中年の男性が声をかけてきたのだ。その男性に続くように、これまた黒い礼服を着込んだ六人の男性が立ち並ぶ。
「もう来たの。」
正面にいる彼女が唇をかみながら呟いた。
「はは、そりゃあ来るさ。今までのペースからすれば遅い方だとも思うがね、銀の娘。」