小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」
みやこたまち
みやこたまち
novelistID. 50004
新規ユーザー登録
E-MAIL
PASSWORD
次回から自動でログイン

 

作品詳細に戻る

 

ミヨモノリクス ―モノローグする少女 美代の世界

INDEX|10ページ/15ページ|

次のページ前のページ
 

夏休み 4 ボルト



 夏休みという悪習によって私の庭は台無しにされる。学生諸君はこの公民館を何と心得ているのだろうか。単に暇潰しのためだけにやってこられては、純粋にこの場所を生活圏としている者が圧迫される。不作法な不感症共に身売りをし、媚びるばかりで消費され尽くしている観光地のつもりで来られては、甚だ迷惑千万だ。

 私は、赤いワンピースなどを挑発的に被って、麦わら帽子を頭に載せたまま、カウンターでふくれている。事務員達は毎度のことだという顔で気にもとめない。私は迂闊なことに、あの通り道の一番奥に座っているべき主事の姿のないことにようやく気づく。

「何だ。おじさんいないの」

 キキュと天板に爪を立てながら、私は本当に何でもないことのように聞いてみる。すると、一番近くにいた一番若い事務員がちょっと顔を曇らせた。その表情はやはりお面のようで私は本当に不機嫌になる。

「何。どうしたっていうの」

「ミヨちゃん。主事の伊東さんね、入院したの。それで、しばらく仕事には出られないのよ」

 その囁き声が、私の背中を撫で上げた。足が震える。

「何で、何で入院したの。どこ、悪いの。もう、来られないの」

 私は、自分でも信じられないくらいに狼狽している。なぜ、こんなに取り乱しているのだろうと考えている自分がいる。私が二つに分かれている。主事の一人や二人、入院したところで、一体どうだというのだろうと、眉を上げる自分がいて、そっちの方がよほど私らしいのに、今、内臓の隅々を支配しているのは、おろおろしている方の自分だった。事務員も、私の狼狽ぶりに当惑し、しばらくポカンとしていた。しかし、すぐにポンポンと私の肩を叩いて言った。

「お見舞いに行ってあげて頂戴。病院教えてあげるから。伊東さん、今日はあなたは来るだろうか、明日は来るだろうかって、おかしいくらいにミヨちゃんのことばかり気にしていて、あのベンチの脚も、折れそうだったからって、無理矢理に窓から外へ出てね、直してたくらいよ。きっと喜ぶわ」

 私は、知らなかった。ベンチの脚のことなんて気付きもしなかった。事務員の机からメモをひったくって、私は主事の机を蹴飛ばし、庭に降りる。ベンチは、しっとりとそこにある。その脚は、注意深く色を合わせた板が当てられていて、丸い埋め木細工が施されてあった。その奥には多分、私の寿命よりも長持ちするくらい頑丈な、ボルトの頭が隠されているのだろう。私は、ひざまずくようにその仕事を見て、自分が泣いていることに気がついた。なぜ、泣いているかのかと訝る自分は、冷静で理知的だけど無力だった。
 この涙は止まらない。主事を案じる涙ではないということは、それは絶対に確実だと思った。筋肉とは違う何かが、まるで、塔が崩れ落ちる間際のように痙攣した。

 私は不意に、目も眩むような高いところから、ほとんど地図にしか見えない世界に向かって落ちていくような感覚に襲われ、冗談のように吐き気が込み上げてきた。体の中から何かを吐き出そうとするように、全身の、今度は筋肉が収縮していた。その活動の為に、私の背中は張り裂けんばかりに痛んだ。その痛みをやり過ごしている間、部屋の中から私の背中に好奇と憐憫の視線を浴びせている俗物共の存在を、私は完全に忘れていた。

主事に会わなくてはならない。

 私は勢い良く立ち上がる。赤いワンピースが花のように広がって、次の瞬間、私は苔むした大地を踏んで、しっかりと立っている。

「あんた達、この場所、絶対に誰もいれないで。破ったら、殺すからね」

 そんな事を叫びながら、私は主事の机で窓を塞ぎ、カーテンを閉ざす。
 皆は、私が相当なショックを受けたのだと思っていて何も言えない。私は、最初から許されているのだ。皆が、私を許したがっている。そうすることで、彼らは主事への思いの代替としているのだ。
 あの人達は、私のように取り乱すことが出来ないから、私の錯乱状態を黙って見つめることで、自分を慰めているのだ。何も分からないくせに、そういう知恵ばかりが達者だ。

 私はカウンターを乗り越えて、病院まで走った。

 太陽が私を磔にしようとしている。止まったら私、影になってこのアスファルトのシミにされてしまう。
 病院は、私の世界の果てにある。三キロメートル北の外れ、山の中腹にある。そこからは、海が見えることもある。私は、外の世界のことには興味を持たないけれど、海と天とを結ぶ、白い柱には魅かれる物がある。それがあったから、こんな辺境に毎日通うことが出来たのだ。学校よりも長く、足繁く通った総合病院。その二階にあの主事が入院している。内科の病楝。死ぬ病気と助かる病気の曖昧な所だ。
 自動ドアを蹴飛ばし、破れていないスリッパを探すゆとりもないままに、古株の看護婦を捕まえる。

「あら、ミヨちゃん。久しぶりね、元気」
「平気。それより、この人どこ」
 汗でマーブリングのようになっているメモを判読する婦長の様子は、いやに冷静で腹が立つ。
「この人、死ぬの?」
「これ、めったなこと言うものじゃありませんよ。この人は、大したことじゃないわよ。ちょっとした胃潰瘍で、手術すれば良くなるの」
「嘘ついても駄目だからね。私、カルテ読めるし、秘密の入り口だって知ってるんだからね」
「疑り深いこと。ミヨちゃんの知り合いの方だったの。だったら、お見舞いにいってらっしゃい。後で、ジュースでも買ってあげるから」
「いらないよ」

 私は病室へむかって廊下を滑る。五人部屋がずらりと並ぶ区画を、名札を確認しながら滑っていく。三つ目の部屋に主事の名前がある。私はそれに気がつかなかったけれど、覗いた視線の先に、主事の顔を見つけた。
 驚いたような顔は、少し痩せていた。

「ミヨちゃん、そんな格好で走り回ると、見えるぞ。」

 にこにこ笑いながら。私はその言葉をやっぱり無視する。

「私に黙って休まないでよね。」

 息がはずんで言葉が上手く出てこない。主事はうんうんと頷いている。

「暑かっただろう。走ってきたのかい。元気だなミヨちゃんは。何か飲むかい?」

 いらない。

「いつから戻る? あの椅子長いこと開けてると、私がもらっちゃうからね」
「ミヨちゃんが主事かい? あの公民館もそうしたら、人気が出るかも知れないね」
「それは、困る」

 私は思わずそう叫んで、なぜそう叫んだのかが、叫んだ拍子に分かった。なぜ、私が、こんな汗みずくになって炎中を走ってきたのか。それは、とても冷ややかな宣告だった。
 全身に鳥肌がたった。周囲を見渡すと、病室の満員の患者と見舞い客達の微笑みが溶け出していた。私は、一刻も早くここから離脱しなければならなかった。

「手術でも何でもして、とっとと直しちゃってよ」
「そんな乱暴なことは言わない、言わない。おじさんだって、こうして休んでいるのは辛いんだからね。ミヨちゃんの元気な姿も見られないし」
「だから、早く出てこい」
「ああ。なるべく早く出ていくよ」
「じゃね」

 私は、くるりと廻って、今度は主事の所から一目散に駆け出した。背後で、主事の声がした。「見えるよ。」とでも言ったのだろう。私は無視する。それどころではないのだ。