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みやこたまち
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ミヨモノリクス ―モノローグする少女 美代の世界

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四月 山椒魚



 私の身体は粘液質の膜の様なもので覆われているので、体温が籠もって外の春と同じくらいの温度になる。だるくてしようがない。
 最近では、骨同士が擦れてキシキシという音がして、歯が浮いてくるようで気持ちが悪い。首や肩を限界まで折り曲げたり、回したりしてみる。とても痛い。私はこの痛みが、膜を突き破ってくれないかと何時も思う。でも埒があかない。
 この間、手首にカッターを当てて引いた。手首の皮膚が一番薄いからだ。別に血を流したかったわけではない。だから、流水に手首をさらす必要も無いわけで、自分の部屋で簡単に試すことができた。でも、口を開いた私の皮膚からは、どうしたわけか、全く、一滴の血さえ流れ出ては来なかった。拍子抜けした。もう傷も残っていない。
 もしかしたら、私は両生類の眷族なのではないだろうか。身体のぬめぬめを拭い去られたら、呼吸が苦しくなって死んでしまう。
 それ以来、手首にカット絆を貼っておくことが癖になった。三日に一度、絆創膏を取り替えるとき、生々しく湿った白い肌が、いかにも頼りなく見えることが、今のところの私の希望だ。

 春になると、身体中がちくちくと痛い。陽に当たると、チリチリと音がしそうだ。内蔵がぐずぐずに溶けていくみたいだ。だから、私は春が嫌いだ。
 つばめが軒に巣を作り始めた。私は、不貞腐れながらその作業を眺めている。
 泥やら藁やら、今時どこにそんなものがあるのだろうというような材料を、何度も何度もくわえて来る。つばめは度胸が座っていて、私が不意に立ち上がろうが、大きくのびをしようが、全く怯えない。目の前で、見事に白い胸毛を見せて、とんぼをきったりもする。
 これは、雄だろうか、雌だろうか。私は雌であってほしいと思う。雄がこんなに一生懸命働いてはいけない。

 庭に水を撒いていると、郵便配達がベルを鳴らしてやって来る。青いカッターシャツの背中を汗で透かしていていかにも暑そうだ。ホースをそちらにむけて、水を飛ばす。一瞬、虹が出来る。久しぶりに見た虹は、何だかぎらぎらしていて、いかにも作り物めいていた。
「やめなさい」
という大きな声がした。
 声のほうを見ると、郵便配達が濡れ鼠になっている。健気にも、ハンドルの前にとりつけてある黒いがま口を必死に庇って。
 私は、とてもつまらない気持ちになって、頭の上にホースを垂らした。とろとろと水がしたたって、シャツの中に入り込む。郵便配達は、何か言いかけて、でも何も言わないで、私を睨みつけたまま出ていった。その眼からは肉の匂いが漂っていた。その視線を追って俯くと、シャツが肌にぴったりと貼り付いて、胸が透けて見えていた。私は、いよいよがっかりする。

 こんな田舎で、学校にも行かずにいると、近所の連中の口がうるさいのだと、母は小言を言う。私だって、好き好んで学校へ行かない訳じゃない。理由は、口にするのもためらわれるほど、簡単で絶望的なことだ。
 いくら無理して学校へ行っても、本当に必要なことを教えてくれる訳じゃない。私が死ぬ気で学校へ行っても、それに見合うだけのことをしてはくれない。それは不公平だと思う。「友達」とか「協調性」とか「常識」とか? 馬鹿馬鹿しい。

 セーラー服を着た娘達が、昔はよくやって来た。私は、その恰好で来るのだけは止めて欲しいと申し渡した。
 何故、学校でもないところで、そんな恰好をした娘達の相手をしなくてはならないのか、こう考えるのは、誰に聞いてもおかしなことじゃないと思う。そうしたら、誰も来なくなった。
「私が醜いせいだ。私はあの山椒魚のように顔にぶつぶつができていて、いつもヌラリと、てかっていて、生臭いから、友達もできないんだ」
そう言って泣いてやった。
 その夜、母親は、私の好物ばかりを食卓に並べてくれた。あの微笑みと一緒に。私は、おいしいおいしいと言って食べてやった。これが思いやりというものだ。皆は、思いやりのかけかたも知らない。

 私は何で生きているのだろう。たいして広くもない家に閉じ込もって、誰にも会わないで、私を見る目はみんな暖かくて。私はそれを望んだわけではなかった。なのに、皆は、しめしあわせたように私を暖かな目で見つめて、私がいないところで、大きく息をついて、肩なんかを叩き合って言うのだ。
「全く、気を遣うったらない。少し、甘やかしすぎなんじゃないか」
 何度でも言うけれど、私はそんなことを求めている訳ではない。でも、それを言わないことが、せめてもの、私の、思いやりなのだ。一体、気を遣っているという姿勢そのものが、気を遣われていると思う人の重荷そのものなんだということに、どうして皆は気がつかないのだろう。私のような子供に気を遣わせておいて、それに気がつかない大人は迂闊だし、そんな大人たちの作ったこの世の仕組みが、まともなはずはない。

 この頃の日記は、同じ文句ばかりが並んでいる。生活に変化が無いのだから当たり前なのだけれど、この文句自体が、だんだん大げさになってきているような気がする。大体、こんな田舎の小娘が、世界を相手に文句を言ったって、無駄なことなのに。
 もしも、私が壮絶な死を遂げて、この日記が世に出たら、少しは世界の改善の、お役に立てるだろうか。それならば、壮絶な死も悪くないように思える。だいたい、不慮の死とか、自殺とかは、世に出る手段の一つに過ぎない。「早熟の」とか「夭折の」とか、死んだ人間に対して、この世界は本当に寛容だ。
 生きている人たちは保守的なくせに、貪欲でもあって、死んだ人間の残したものは、徹底的に食い物にしなくては気がすまない。個人的なコンプレックスであろうが、下手糞な文章、独り善がりの空想画などは、世界を暴く視点を持っているとかなんとか理屈をつけられて、それが陳腐になるまで、決して忘れては貰えない。それは、死んだ人間にとって、とてもとても恥ずかしいことのように思える。だからやっぱり、私は死なないことにする。死ぬときには、私がこの世界に生きていた痕跡を、完璧に拭い消しておくことを心がけよう。あーあ、馬鹿馬鹿しい。ニッと笑ってみる。