Ramaneyya Vagga
それよりも私は人参が欲しかった
それよりも私は人参が欲しかった--ロビンソン・クルーソー
みなさんに何か役立つ話をというご注文でしたので、今日はひとつわたくしの若さと健康の秘密をお教えしようと思います。
みなさん、それは米に人参を入れて炊くという習慣であります。なんだそんなことかとがっかりなさらないでいただきたい。人参といいますものは、最も諸ビタミンの豊富な野菜です。栄養学の書物を紐解かれ、食物の成分表などをご覧いただければ、この点には合意していただけるものかと思います。かのロビンソン・クルーソーが、無人島での生活において人参を懐かしむ場面がありますが、これはおそらく作者のデフォーの発想によるものではなくして、この小説のもとになっているアレキサンダー・セルカークの手記からの転用でしょう。セルカールは今日のチリのファン・フェルナンデス諸島の無人島で四年に渡って漂流生活を送ったのですが、彼の体が人参を欲したとして、わたくしにはなんら不思議に思われません。
さて作り方をご説明しましょう。米を浸水させますが、このとき人参を細切りにして、米とは別にざるで水にさらしておきます。こうすることで人参特有のあの臭みが抜けるのです。いよいよ炊飯というところで米の上に人参を敷き、炊きます。ええ、これだけです。しかし米を食べる際には必ず人参とともに食べるということになりますと、みなさんの栄養のバランスは格段に向上することになります。こうなりますと、あとはわずかな体操のみによって、みなさんが必ず若々しく健康な体を維持され、みなさんの人生の目的を完遂なさることをわたくしは疑いません。
さて、他に何かみなさんに役立つ話はないものかと考えたのですが、どうも機知の利いた話が思いつきません。この上は、わたくしの取りとめもない見解をお話しして、お茶を濁すほかはないと思いいたりました。わたくしは『憎きアショーカ王』に書きましたが、数学などというようなものも、それ自体が真理として存在しているわけではなくて、ある人が数式や定理の証明を見て「これは正しい」と見なすにすぎないのです。してみますと、わたくしがこれからお話しすることもまた、みなさんが「くだらぬ」「つまらぬ」と見なされる可能性は大いにあるのですが、しかしわたくしは、これも『憎きアショーカ王』の主題でありましたが、人に言うことができることというものがあるとすれば、「わたくしがこれはわたくしであると見なしているものがこのように感じた、見なした」というようなことのみではないかと見なしますから、それをお話しさせていただきます。今世紀は、いまどこどこにいる、なになにをしているというような見解までをも主張しあう、見解の世紀ということで、ご辛抱を願いたいと思います。
わたくしは人間の社会というものが、かけがえのないものというふうには感じられません。こんなことを申しますと、いろいろな方角から野次が飛んできそうで恐ろしい思いもしますが、しかし、わたくしの率直な感情であります。人間社会とその歴史などというものは、ただ単に男の肉欲が積み重なったものにすぎないと感じます。男が女性に欲情しつづけた結果として、今日の我々があるにすぎないというのが、この方面における現在のわたくしの結論です。いったい生殖というものはなんなのでしょうか。わたくしにはまったく不可解です。確かに驚異的です。精子と卵子が遺伝子を交換し、分裂して成長していく。真に驚くべき神秘です。畏怖の念を抱かざるをえません。しかし一方で、だからなんなのだという感情があります。成長した子供は、高慢と見栄と嫉妬で満たされた心を形作り、暴力で武装して世の中をうろつき、人々と衝突しては、怒鳴り合い殴り合いながら老いていき、やがてまた子供を作り、図々しくも、魂は不滅だと思い込んで、死んでいきます。いったいこのようなことを続けていって何事が起こるというのでしょうか。
そのようなわけで生殖についてはわたくしはさっぱりわからないのですが、一方で、わたくしは一応文学を志しておりますから--みなさん、実はそうなのです!--仏教の古い経典ですとか、シュメールの粘土板ですとか、中国の古籍などを読んでみたりいたします。またわたくしたちのこの宇宙がどのような仕組みになっているのかがわかれば、わたしくが何をすればよいかがわかるはずだという発想から、物理学などの自然科学の書物を読んだりもいたします。そうしたことをしておりますと、例えば古代に粘土板に文章を書いた人の意志をわたくしが受け取る--とわたくしが感じる--というこのようなことは、真に驚異的な事象だというふうに感じます。また仏教の経典の中で最も古いもののひとつに、今日スッタニパータ(Suttanippata.)に含まれているアッタカヴァッガ(Atthakavagga.八詩句)がありますが、そこでブッダ・サキャムニが言っていることを読んで、確かにこれこそがわたくしの疑問への答えだと感じるときなど、人間になすべきことがあるとすればこのようなことに違いないと感じたりいたします。それから少し前にグレゴリー・ペレルマンがサーストンの幾何化予想と三次元ポアンカレ予想を証明したと報じられましたが、このペレルマン・ハミルトンのリッチフロー理論について少し勉強してみましたところ、わたくしはこれによって宇宙に隔絶された部分というものがなくて、わたくしどもの行いというものが、宇宙全体に影響を及ぼすことが合意できるにいたったと見なしまして、たいへん驚倒したものであります。
つまるところ、わたくしが申し上げたいのは、このような文化--わたくしはホメロスに敬意を表しまして英知と呼びたいのですが--の伝承にこそ、わたくしの生きる目的を見出しているということであります。そもそも、人間に自然に備わっている生きる目的というものがあるのでしょうか。あるとすれば、それは生命という生命に共通のものであるはずです。わたくしの観察によりますれば、それは天寿尽きるまで生きのびること自体であり、生殖でありましょう。しかし申し上げましたとおり、わたくしはこうしたことの意義がどうしても了解できません。そこであれこれと考えるわけです。わたくしのような人間としましても、天寿尽きるまで安らかに生きたいと感じます。そこでそのための方法としてどんなものが効果的か考えます。まず自分自身の心の安寧が必要ですが、これはわたくし次第です。この分野については、お話ししましたアッタカヴァッガよりも効果のあるものをわたくしは存じませんから、興味のある方は紐解いてみられることをお勧めいたします。今日では岩波文庫の青版の、中村元博士の『スッタニパータ』の翻訳に含まれてございます。
さてわたくしがロビンソン・クルーソーであれば、アッタカヴァッガを片手にひとり安らかに死を待つという生き方もよいと思います。もちろん、野生生活の様々な苦難があるでしょう。みなさん、例えば虫たちとの戦いを想像してみていただきたい。ノミ、シラミ、蚊やヒル......地獄でありましょう。寒暑や風雨との戦いもありましょう。しかし創意工夫で何とかやっていけるようにも思います。
作品名:Ramaneyya Vagga 作家名:RamaneyyaAsu