Ramaneyya Vagga
バッカニア・クルーのトラヴィスくんがブースに入ってきてターンテーブル触り始めたからあたしもうたまんなくなって言ったの。
「トラヴィスくんもう代わって。あたしもう駄目だわ」
「どしたのマヤ?」
「もう泣けてきちゃってモニター見えないのよ」
そしたらトラヴィスくんったら吹き出して笑うじゃない。こっちはまじ困ってんのよ。
「よしきた代わるよ。もう我慢しないで泣いてきな!」
ってトラヴィスくんが言ってくれたからあたしやっとヘッドフォンを彼に渡して、それであたしもう鼻水流して泣いたわ。戦争なんかくそくらえなのよ。あたしのこの涙が涸れないうちはね。
「マヤ、大丈夫?」
マックスが肩を抱いてくれた。あたしは彼にキスしたわ。
「あんたいい男ね」
「ま、ね」
あたしたち抱き合ったまんまブースの横に倒れちゃって、そしたらみんなががーって寄ってきてあたしをさんざんにリスペクトしてくれるの。
「マヤやられた!」
「間違いなく、世界一DJうまいスーパーモデルだね」
「あら、マヤは世界一ダンスうまいカメラウーマンでもあるんだけど」
「てかジョイントさ……」
「暑くね?」
「だってまだ秋口だもん」
「マヤ、パンツ見えてる」
悪い?あたしのブランド『バッカニア・スタイル』の最新秋冬スカート、『赤い冒険』よ。
「戦争反対!」
「てかジョイント……」
「トラヴィスくん!」
あたしたちそのまま寝っ転がってだべってた。ストーンよ、ストーン。
「あ、デイモンくんがん踊りしてる」
ってマックス。
「え、どこ?」
マックスがフロアを指差す。いたいた。デイモンくんは最近友達になったばかりだけど、ちょっと注目の人なのよ。ゴアに二年くらい住んでDJやってて、この夏ロンドンに帰ってきたばかりで、そんでムーンダンス・サウンズってレーベル作って、パーティのオーガナイズやってるの。ハンサムだしダンスもちょーかっこいいし、DJもエクセレント。今日もマックスの後を頼んであるの。あたしと同じ25。
「デイモンくん!」
あたしは叫んだ。デイモンくんいい耳してる。すぐ気づいて駆け寄ってきた。
「マヤ、いい?」
なによあたしよりジョイントのほうがお目当てなのねあんたったら。
「はい。ね、ね、来週ムーンダンスでしょ?」
「そだよ。来週はちょっと特別。フライヤー持って来てるよ」
「あとでちょうだいね」
「あれ? なんか、ここにあるよ」
デイモンくんったらちょーお洒落な水色の睡蓮柄のシャツの胸ポケットに手を入れてあたしにフライヤー渡すじゃない。さすがに決まってるわよこのクールガイ。
そんであたしは朝日とトラヴィスくんの音とみんなに縁取られて、初めて彼のことを知ったってわけ。どーなのよこの展開。
『Bhaktic Yogin Cowboy On The Rave』
Bhaktic Yogin CowboyとMoon Dance Soundsが夢のドッキング!在印日本人、rokurota akaikeは、ヒマラヤの麓に電気仕掛けの自給自足生活カプセルをつくり、そこにひとりで住みながら文筆、音楽活動をしている奇才です。彼の長編小説、『Bhaktic Yogin Cowboy』の英訳記念として、来る満月の夜、遠くヒンドスタンからインターネットを介してライブを行うことになりました。
4.祖国
赤池六郎太は1994年12月、初めての単行本を編む。5編の短編小説、12の散文詩からなるこの作品集は、『伝統主義者の経済的問題』と題されて先端芸術社から出版された。初版500部のみ。絶版。ここに収められた作品から散文詩『祖国』を抜粋する。1994年1月、インドから帰国した赤池は麻薬及び向精神薬取締法、密輸入法違反に問われ千葉県警に逮捕され、四ヶ月間拘留される。『伝統主義者の経済的問題』あとがきによれば、この詩はその拘留期間中に書かれたものである。
祖国
国民だ。見える顔、聞こえる声、俺の如き森の散策者は言うに及ばず、無能なサディストも、信仰なき利己主義者も、また物静かに憎悪する偽善者も、老若男女、男色女色、十人ひとからげ、誰も彼もが――国民という栄光の名をもて呼ばれた家畜と虜囚の合いの子だ。人間などという大時代な語が、なぜ未だに存続しているのか。それは数千年前に滅んだ種である。
俺は、ヴィナスの海の宮殿で、物憂い眠りをむさぼっていたのだが、そこを永遠に追放されると、俺の兄弟と名乗る白痴の使い魔‖いわんや、愛情と知性の抜け落ちたデモン‖この疲弊した死神が現れて、涙のない死のその日まで、自由と幸福を与える旨、書面を突きつけられ、左手人指し指の指印を取られたのだ。
無邪気な俺は、約束されたはずの宝を求めて、この世の果て、精神の地平線のその果てまでもと、苦難の旅を続けたが、闊歩する死体たちから手渡されたのは、やはり、誇りを汚される権利と、偽善者たるべき義務――そしてその欺瞞ヘの憎悪の内に沈黙する怪物どもの、むごたらしく歪んだ暴力だけであった。
それゆえ俺は、愛することも愛されることもない、安楽なこの身を手に入れたのだ。
俺は、俺が植樹した林檎樹の香りがきらめく丘の頂を離れ、森を貫く街道を辿る。朝のパンを買いに行くのだ。郊外のそこかしこに、怯えた猿のような国民たち。俺が武器でも持ってはいまいか、また金でも落としはしまいかと、息をつめて、見張っている。この悲喜劇的存在に対しては、いったいどう対応したら正しいのか。俺は、ただ朝のまだきの空気を味わい、我が身の健康を誇って、腕を振り、大股に、朗らかに歩き行くほかない。
やがて街路は、集合した建物を寄り添わせる。驚いた建築である。バベルの塔も、アウシュヴィッツビルケナウも、この街の建築に見られる機能美には遠く及ばぬ。この培養基こそ、我々国民が買わされた永遠に作物のならぬ畑であり、俺たち自身が植えられた田である。
行き交う国民たちのうち、俺を見とがめて、非国民だとか、神秘主義者だとか、罵る者がある。かつて俺の体は、白痴役人どもの炎に焚かれたので、焦臭い。俺の瞳は、怒りを表すすべとてなかったので、赤く或いは白い。俺のこうした不具は、国民的基準を超えている。本当に俺は、此処では一国民ですらないのかも知れぬ。辻にたむろする犬どもこそが、俺の友であり恋人なのかも知れぬ。それゆえ俺の髪にガムをなすりつけ、また背中に張り紙してすれ違う者がある。俺の心は凍てつく。もっとも、それだけのことなのだが。鼻唄まじりに、げんこつはポケットに、曙の女神が俺を運ぶ。
パン屋は、焼きたてのパンを求める国民たちで賑わい、例を作っては、なじみの連中同士、論議しあっていた。外国行きの船について話している者が二人三人。しかし、いずれ外国などというものは迷信のたぐいに相違なかろうという結論に落ち着いた。俺としても同感である。
作品名:Ramaneyya Vagga 作家名:RamaneyyaAsu