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Ramaneyya Vagga

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 現代という、この自然の一形態。あらゆる動物の中で最も奇態な貪欲さと狡猾さを持つ人間が、その性質を余すところなく発揮した結果、この怪物が作り出されたのである。それは暴力という空気によって巨大に膨張し、地球を覆い尽くし、太陽系の外までもその神経網を伸ばすまでに成長した。それは人類史の長さの分だけ、そこに生きた人間の数だけ、その醜悪さを洗練させてきた。人は何の才覚も努力も用いることなく、ただその本性である利己的な貪欲さに従うだけで、このどんな残虐にも負けぬよう自ずから残虐に武装した、このどんな悪臭にも耐えられるよう自ずから悪臭を放つ怪物を、いともたやすく進歩させることができる。かつて石器を作り洞窟に手形を押した古代人は、自らの末裔が作り上げたこの偉業を、いったいどんな感情で眺めることか。
 こうした何百世代にも渡る洗練を経たおかげで、我々のこの現代社会は、全体と一部には隔たりがないというひとつの真理を、端的に表現するに至った。ここでは個人は無力であると同時に強力である。例えば個人が国家間の戦争を抑止しえないのも事実なら、その戦争を引き起こしたのもまた個人の力なのである。
 自由、幸福、愛。こうした種類の美を、私は嫌いではない。むろん、私にもわかっている。これらも物質の一形態でしかない、ということは。しかしそれはとりもなおさず我々が自身の力で作り上げ、また破壊することのできる物理形態なのである。この精微な事実こそが、私をこの種の美に執着させるゆえんなのである。
 しかしながら、この宇宙がどのような形で始まったにせよ、これが因果関係という物理法則によって成り立っているからには、およそ人間的な利己主義というものが成功し得ないことは明らかである。我々人間という矮小な一存在。その一個人の苦悩、憎悪、また愛。それが宇宙の果てまでも伝播するという現象は、浪漫主義と神秘主義を徹底的に排除してもなお、自然の性質のうちに平易に観察されるのであって、この法則こそが、我々のこの現代社会と我々の日々の苦悩と喜びを形作っているのである。
 現代社会とは、現在生き、またすでに死んだ人間たちの、巨大な力の集合である。それがどの程度の大きさなのかということは、我々がこうした物理現象――換言すれば見知らぬ他者の力の影響である――を、当たり前の事として体感しながら生活しているという事実から推し量ることができる。すなわちそれはすでに我々一個人の想像力を絶した巨大さなのである。
 こうした状況で、我々が自身の精神の安寧を求めることは、きわめて無謀な望みであるように思われる。なんとなれば、暴力は自由に対して常に勝利を得るし、憎悪は常に愛を踏みにじるからである。しかるに我々はこの脆弱な美を、心の最も率直な領域において、一片の曇りもなく信仰している。かかる矛盾において、我々の苦しみは生まれるのである。この信仰の最も平易な表現こそ利己主義に他ならず、そのとき自然は、憎悪と暴力という樹木を繁栄させ、我々に不幸と束縛という収穫を与えてくれる。

 私が生活カプセルの如きものを設計し、建設し、そしてここで生活しているのは、こうしたことにかんがみたからである。現代においては、かつて神々が独占していたもの――すなわち太陽、風雨、地震、食物などのことである――ですら、すべて他者からやってくる。かつて神々に向けられていた心は、今では他者を向いている。ここでは我々は自己の精神の形態――率直な願望――を把握することは困難である。ここでは我々の精神は、他者の欲望と自己の欲望とのせめぎ合いに疲労することで、すっかり使い果たされてしまう。この現代という巨大な怪物の神経網の一端たることから脱すること。今やそうすることでしか、自分自身がいかなる形態と力を持つのか把握し、私の率直な信仰である美を、私自身に与えることは、できないのではないかと考えたのである。そしてその方法として、今では森に、山に隠れることは無意味となった。なんとなれば、いかなる森も山も、あまねく現代社会の所有物だからである。こうして私はひときわ現代的な手続きによって、自然を、神々を模造しなければならなかった。土地を買い、最新の建築技術と機械、コンピュータテクノロジー、そして多くの他者の労働力を用いて。かかる煩雑な矛盾をはらんだ生活カプセルは、しかし当初の計画通りに、私にある種の自由、原初的な自然を与えている。しかるに私が本書の如きものを著すのは、やはりこうした矛盾に由来するであろう。

 〔序文了。ここに生活カプセル中枢コンピュータのカラー写真。高さ約四メートル。写真は外装を取り付ける前の状態であるので、四千五百枚の集積回路基盤の集合であることが見て取れる。これはいわゆるスーパーコンピュータである。〕


3.あたしマヤ・メナード

 あたしマヤ・メナード。バッカスの巫女。カメラウーマン。スーパーモデル、デザイナー、DJ、歌手、ダンサー。ジャーナスリト。エニウェイ、そんなのどうだっていいの。大事なのはただ、激しい熱を、猛烈な光をこの身にまとうことだけなんだから。
 少女だった頃から、どこの誰だか知らないけど、いつでもどこでもあたしを見る目があった。気づいたときには写真を撮られていたから、初めに写真を撮られたのがいつのことなのかわからない。見られることであたしは輝いてきた。存在してきた。だってほら、あのシュレディンガーの猫って知ってる? あの箱を開けて中を見ないと、猫が生きてるか死んでるかわからないってやつ。あれと同じだわ。誰かに見てもらわないと、あたしが生きてるかどうか、わからなくなってしまうじゃない。
 みんなだってそう。あたしがみんなを見てあげると、とたんに輝き始めるの。これってきっと奇跡とかいうものなんだわ。だからあたしは写真を撮るし、雑誌に記事を書いたりするの。DJも、ダンスも、歌も、あたしとみんなから熱を、光を放ってくれる。それが世界を暖め、照らし出すの。これがあたしの祭祀。神さまだって、きっとあたしがかわいくって仕方がないはずだわ。

 レディング市の郊外が森に消え去るあたり。背後から山々がせり出して、空が開ける東側には小川のせせらぎ。空はだんだんとしらやんで、もうすぐ曙があたしたちを抱きしめにやって来てくれるだろう。
 昨夜からここでレイヴなの。あたしの彼氏のマックスが中心になってバッカニア・レコーズっていうプログレッシヴ・ハウスのレーベルやってるのね。もちろんあたしもレーベルのメンバー。今日はそのパーティなの。2005年のブリテン島の夏は、とてもポジティヴだった。いつも新しかった。いまも、後ろを振り向くのにずいぶん苦労するくらい、あたしはいままさに生きているのよ。
 あたしはマックスなんかよりずっとセレブリティだから、あたしがMP3をプレイしはじめるとみんなテントから出てきて踊ってくれたわ。あたしも完全にストーンしちゃったしもうなにがなんだかとにかくハッピーパワー。マックスがジョイント渡してくれながら言うの。
 「女神だよ、女神」
 「え、ほんと?」
 東の空を見れば、彼女が輝いているじゃない。あたしもフロアのみんなもしくしく泣き出しちゃった。これって、いったいなんなのかしらね。
作品名:Ramaneyya Vagga 作家名:RamaneyyaAsu