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Ramaneyya Vagga

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獣の戯れ[未完]


 この物理。虚無より苦しみと俗悪を生み出す炉。それゆえ俺は、美によって飢えをしのぎ、死を見出すべく這い行くのみ。燃え上がれ、俺の矮小な命の火よ。吼えろ、この俺の、懊悩によりてしゃがれた声よ。ムーサよ、英知を歌え。俺たちに勇気の雨をそそぎ、その原質の陽光によりて、俺たちの自由を照らし出せ。

1.人間的事象の極点

 人間的事象の極点を、この巨大建築は表現している。
 雪山の頂きに置かれたカプセル。ガラスの丸天井の骨は、精微な鉄鋼で組まれ、直径ほぼ一千メートルに及んでいる。円柱状にそそり立つガラスの壁面は、地平から三十メートルを隔てて、その丸天井を支えている。カプセルの中には、閉じ込められた植物たち。果樹と、諸々の野菜たち。人造湖のほとりにたたずむ二頭の牛。黒毛、あるいは青毛。そして、埋没された金属と電気配線。カプセルの傍らには、黒いパネルの群れ。風を受ける風車の数々。遥かにそびえ延々とうち続く雪の高山。
 ああ、最も甘美な、この世の果て、最も彼岸に近い楽園だ。これこそが、俺のうつろな航海がついにたどり着いた、人々が俺に与えてくれた墓である。
 俺は、生きながらに埋葬された古代の老人。地の下の遥か彼方で、暖炉の前に座り、英知の青白い炎に焚き木をくべる。
 俺は、月の裏側に収容された犯罪者。見ることも見られることもなく、愛することも愛されることもなく、安楽に満たされる。
 本当に俺は、世界で最も安楽な人間なのかも知れぬ。あるいは、世界でただ一人、幸福な人間なのかも知れぬ。風死す朝、果てしない夜。
 緑玉製のテーブルが液晶パネルを浮き上がらせ、俺の網膜には光の束。
 「Life Capsule Operating System Ver 5.00.2195……」


2.完結する生活

 2003年最新思想社より刊行、赤池六郎太著『完結する生活――図説生活カプセル』自序より。

 私が生活カプセルの設計を一通り完成させてから十年、試行錯誤しながらセイロン島のさる作家のために一号機を建ててから五年、私自身のカプセルを建て私がここで生活を始めてから三年が経ち、2003年の今日までにこの二機を含めて全部で五機の生活カプセルが駆動している。
 生活カプセルとは何か。それはとりもなおさず住居である。猿の住居である樹上、原人の住居であった洞窟が、いま人間の住居としてこのように変容したのである。
 その機械的な構造の細部は各章に述べるとして、ここでは概要を説明するにとどめよう。
 生活カプセルの外観は、特殊な液体の遮光材を充填した二層式の強化ガラスに包まれた、円形のドームである。鉄骨が組まれるが、それ以外に居住者の視界をさえぎるものは可能な限り排除してある。遮光材は光量センサーと中枢コンピュータに連動しており、カプセル内に過剰な可視光と紫外線が入らぬようになっている。これは生活カプセルが低緯度地域、もしくは高地への建設を前提に設計されていることによる。一定の光量を得るには太陽の近くで強い光を受け、それを弱めるほかない。
 カプセルの周囲には太陽光発電パネルと風力発電プロペラを設置する。一機のカプセル――ハワイのものだが――は地熱発電のみで駆動している。
 カプセル内部は居住者の要請する生活様式によっていくぶん違いはあるものの、基礎的な部分では変わりがない。カプセル内部のほとんどの敷地は食糧生産に当てられる。野菜や穀物の畑であり、果樹園である。私のカプセルにのみだが、牛もいる。生活カプセルはカプセル農園と呼んでもさしつかえはあるまい。それは完全に密閉されていることを除き、周囲に人間が見えないという条件を加えるなら、さしあたって居住者の視野に入る景色としてはオーストラリアなどの大きな農園となんら変わりはないのである。しかし、生活カプセルの居住者は牧歌的な農奴ではない。食糧生産にまつわるさまざまな労役と思案のほとんどは、中枢コンピュータと彼が従える全自動ロボットが代行してくれるのだから。
 植物――私が牛から搾る乳以外の、食物のことだが。生活カプセルには食べられない植物はほぼ存在しない――の受粉は、蜂によっている。蜂は居住者と、私のカプセルの牛、そして土中の微生物以外には、カプセル内で唯一勝手に動く生命である。蜂もまた中枢コンピュータに飼養されていて、蜂蜜を取るのもまた中枢コンピュータである。
 温度、湿度、酸素量、すなわち空調は、できる限り遮光ガラスとカプセル内の植物と水によって行い、原則としてカプセルをいったん閉じたなら外部の空気を取り入れない。この計算とコントロールも中枢コンピュータがプログラムに従って行う。
 水は雨水と地下水を三段階にろ過して得る。水と塩だけはカプセル内で生産できない。植物がこのふたつを生産できないからである。水と塩の問題は第四章に述べる。
 生活カプセルは確かに住居であるけれどもこのように元来住居の外にあったものを住居内に収めているので、前述の通りその敷地のほとんどは農地であり、カプセル内で実際に居住者が臥起する元来の意味の住居は小さく簡素である。これははじめに生活カプセルが居住者をひとりとして設計されたことと、また現に五機のカプセルのうち四機までが実際に独居者により使用されていることが関係している。夫婦二人により使用されている一機も居住用のスペースに設計の変更はなかった。
 居住スペースはカプセルの中央にあり、天井こそカプセル自体の丸天井の最も高い位置まで吹き抜けているので高い――つまり三十二メートルである――ものの部屋の敷居はなく一室であり、農地――庭――と円柱状のガラスで包まれることで区切られたその円形の建物面積は日本式に言えば二十畳程度である。ついでに言えば居住スペースをガラスで農地と区切るのは居住者と作物とでは最適な光量と空調に差異があるからである。いわんや農地でも作物によってはガラスで区画に分けておりおのおのの作物に最適な環境を作っているのである。
 居住スペースにどのような設備を置くかは居住者によるわけだけれども、中枢コンピュータがそこに置かれる――中枢コンピュータの“実体”は地下に埋没されており実際には操作パネルだが――ことは共通している。生活カプセルは中枢コンピュータ自身による自身のメンテナンス機能を備えており、これまでのオペレーティングシステムの品質向上によって初期設定のみでもある期間は駆動するが、これは全自動自給自足装置として設計されたものではない。半自動である。人間の手になる環境の微調整ができれば毎日、少なくとも数日に一度は必要である。生活カプセルは居住者が自身の生活環境を自身で決定するという目的のために駆動させるものであり、例えばカプセル内で人知れず居住者が死亡すれば、彼とともに生活カプセルもまた死ぬのである。

 〔ここにエクアドルの入り江に建つ生活カプセル四号機(2002年完成時)の外観と、居住スペースから林檎園を望むカラー写真。〕
作品名:Ramaneyya Vagga 作家名:RamaneyyaAsu