Ramaneyya Vagga
カーリー
あらゆる動物の中で最も奇態な貪欲さと狡猾さを持つ人間が、その性質を余すところなく発揮した結果が、この社会という代物である。それは一人の人間にはその全域を把握することが不可能なまでに巨大に膨張し、我々を押しつぶそうとしている。人類の歴史の長さの分だけ、そこに生きた人間の数だけ、社会はその醜悪さを洗練させてきた。人は何の才覚も努力も用いることなく、ただその本性である利己的で卑屈な貪欲さに従うことで、このどんな残虐にも負けぬようおのずから残虐に武装した、このどんな悪臭にも耐えられるようおのずから悪臭を放つ社会を、いともたやすく進歩させることができる。
このように本性が破滅的な人間社会が、自由で活力ある人間をその灰色の空と光沢のない陽光で常に倦怠と疲労に陥れる形にせよ、現在まで生き長らえているのは、ひとえに社会の地下にある知性の伝統のために他ならないが、現代のように、その伝統的知性を受け継ぐべき当の諸芸術が、争って地下の清浄な地から這い出して地上の卑俗な軍勢に荷担し、まるでそれが古くからの伝統、文明であったと見せかけている時代には、英知を発見し行うことを喜びとする者は言うに及ばず、平凡な一市民ですら、その利己的な性を利己的なままに----今までのやり方で----全うすることが、あやしくなってきているのである。
どのようにしてかその爆弾はできた。作られ、設置されたあとで、インターネット上のwebでこのように説明された。
『人間の利己的な欲望により爆発への臨界度を少しずつ上げていく利己心感知型ヌークリヤボム、カーリーが恒久的な世界平和、自由社会のため世界45箇所で稼動開始。2004年1月10日12:00現在の臨界度1.08%』
作ったのは日本のハウスミュージックのレーベル、バクティックヨーギンカウボーイ。レーベル代表赤池六郎太はインドの新聞ヤングヒンドスタン紙のインタヴューに答えた。
「カーリーは人間のフィーリングを感知して電子音に変えるシンセサイザーを研究する過程で生まれた。兵器による戦争、人口過剰のような目に見える大局的な暴力は、結局日常的な目に見えない暴力----虚栄心、欺瞞、偽善、妬み、そうした個人レベルの利己的な欲望が積み重なったもので、真の平和と自由を求めるなら、戦争反対を唱えるよりも、利己心によって人を縛る、こうした個人的な欲望を抑止しなければならない。カーリーは暴力を抑止する暴力であるが、現在世界に流れ誰も御することができない利己的な欲望の濁流を堰きとめるにはこの方法をとるほかないと考えた。とはいえカーリーが爆発することはないと私は信じている。人類には知性の伝統があり人間には感受性があるからだ。ともあれ世界45箇所のカーリーが爆発したなら、たちまち地球はこなごなに砕けて、いずれ火星の輪となるだろう」
このような爆弾が作られいかなる山奥までも普及したテレヴィジョンで広く喧伝された以上、良識あり無欲な人間というのは世界人口の1%にも満たないのであるから、人々はたちまちその本性をあらわして、他人に責任をなすりつけ、他人を欺き出し抜こうと必死になり、他人を憎んでは、カーリーの臨界度を加速度的に上げていった。一方ではカーリーの誕生を歓迎する人々もいた。近代的なカウンターカルチャーの伝統を受け継ぐ急進的な非暴力主義者たちであり、カーリーを開発したバクティックヨーギンカウボーイのレコードを愛好していた楽観的な快楽主義者たち、また無気力な自殺願望所持者たちがそれであり、自分たちは人とは違うといった意識を増長させて、カーリーの臨界度上昇に寄与した。それからチベットやモンゴル、アフリカなどの原始的な村々では、メディアや人づてにカーリーについて知っても、それがなんであるかを理解できない無知、または無垢な人々もいて、こうした人々もまた、野性的な、抑制を知らぬ欲望を自然のままに発揮して、カーリーの臨界度を上げていく。
アメリカとイギリスはカーリーを爆発させまいとさまざまな手を打った。まず世界45箇所に設置されたというカーリー爆弾の所在を探ったが、どうしても見つからなかった。またバクティックヨーギンカウボーイのスタッフを逮捕してカーリーの稼動スイッチを切らせようと図ったが、オランダ、ベルギー、インドがレーベルの代表赤池らを保護し、カーリーの稼動以前から行われていた彼らのレイヴパーティも承認するなどしたので、カーリーの臨界度が50%に達した2004年7月には、レーベルスタッフの逮捕どころか、ヨーロッパとインドでの武力衝突に発展する様相まで呈してきた。
こうした状況でバクティックヨーギンカウボーイの代表赤池はレーベルのwebで、
「カーリーの臨界度は上がるばかりではない。以前利己的な欲望によって臨界度を上げた人が献身的な態度をとったり、無垢な人が誠実に振舞ったり、レイヴパーティなどでクラウドがハッピーになったりすれば、そうしたフィーリングを感知して、カーリーは爆発への臨界度を下げる」
と発表したけれども、そうした抑制は世界で増幅しつづける利己心を到底上回ることができないらしく、カーリーの臨界度は日増しに上がっていくばかりだった。
世界の政治家、著名人、知識人たちはさまざまな意見を述べた。
かつて自身の本の印税でヒッピーたちを食わせていて現在はオレゴン州立大学で文学を教えるアメリカの作家。
「いいプランクだね。みんな目が覚めたんじゃない?」
イギリスのビッグビートを発明したDJ。バクティックヨーギンカウボーイのパーティでも彼のトラックが頻繁にかかるという。
「カーリーのおかげでサッカーの試合がフェアになって嬉しいよ」
こうした楽天的な意見は少数派だった。アメリカ合衆国大統領は「こんなひどいテロははじめてだ」と嘆いたし、カーリーの存在そのものを疑う人も多かった。ニューエイジ的なカーゴゥカルト主義者たち、イルカや宇宙人に期待するドルフィニアン・ファウンデーションは、webでこのように開き直った。
「カーリーが稼動したというが、誰一人たりともそれを見たことがないし、だいたい、こんな冗談のような爆弾で滅びるような地球は、もはや我々の地球ではない」
カーリーについて最も真摯に受け止め、最も実直で有効で痛烈な批判を行ったのは、日本人二人目のノーベル文学賞作家で、彼の講演が日本のミニコミ紙『ヌークリヤ月報ヒロシマ』に次のように載った。
作品名:Ramaneyya Vagga 作家名:RamaneyyaAsu