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Ramaneyya Vagga

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 みんなでトド皮ボートをロープで引きずった。みんなでと言っても、ほとんどワウリとバツが引っぱってた。この男とこの犬の怪力にはほんとにたまげた。氷の上を行く俺たちトド狩り団は黙々と進んだ。このトド狩りは、もはや俺とパールラヴィの食い物を捕るという意味を超えていた。まぎれもなく、俺たち三人と、犬のバツにとって、これから生きる上で重要な出来事と化してきていた。俺は北極海の水平線を眺めながら、これからのことを考えた。氷が溶ければ、そのうちどこかの船は来るだろう。ワウリはいい奴だから、それまで面倒見てくれるだろう。パールラヴィは最高だ。いままで知ったどんな女より可愛くて、強い。そうだな、彼女と一緒に海賊にでもなるか。親父みたいに立派な海賊にな。そうだ、なんとか破氷船を手に入れて悪いロシア商人の船を襲ってやろうか。それならワウリにも恩返しができるってもんだ。
 小一時間はボートを引きずった。ようやく海水が揺れているところまで来た。
 「帰りが思いやられるわ」
 さすがのパールラヴィもくたびれたらしく氷の上にしゃがみこんだ。おいおい、まだまだこれからなんだぜ。
 「さあ、船出すだ」
 ワウリはボートを海に入れ、俺たちは乗り込む。ようやくひと休みしてみんなでウォッカを少し飲んだ。バツにも飲ませた。
 「巣ってのは近いのか」
 ワウリは疲れた様子もなかった。ウォッカを三口ばかり飲むと、また大麻をパイプに詰めていた。汗ひとつかいてないって様子だ。見上げた野郎だ。
 「そうでもねえだけど、遠くもねえだよ。三十分くらいだな。まあ、一服して休むだよ」
 自分はぜんぜん疲れてないだろうに俺たちを気遣うなんざ、なかなか俗人にはできない。このワウリって男はつくづくたいした奴だ。自分で櫓を漕いで、俺が代わると言っても聞かないんだ。
 俺たちはパイプを回して煙を吸った。さすがに緊張してきた。パールラヴィもそうに違いない。さっきから神妙な顔して押し黙ってる。
 「ああ、アーナンダ、困ったわ」
 「なんだよ」
 「トイレよ」
 なんだ、そういうことか。俺はワウリの肩を叩いて、ボートの舳先へ行った。
 「どうしただ」
 「察しろよ、トイレだ」
 ワウリはうつむいてしまった。無言でバツを捕まえてきた。別に犬はいいと思うんだけどなあ。律儀な奴だ。ともかく、俺たちは二分ばかり馬鹿っ話をすることにした。
 ワウリという奴は、剛胆で直情でいい奴なんだけど、事前にとやかく説明するのは苦手らしくて、ときどき俺たちを驚かせる。前もって言ってくれれば良かったじゃないかって思うときがときどきあるんだ。
 この日こそまさにそうだった。奴は、
 「ほれ、あれが巣だべ」
 と突然言った。俺とパールラヴィは、ワウリが指さすほうを見た。ワウリは夜目も俺たちより利く。俺たちは目を凝らして、少しずつ薄明かりに浮かび上がってくる入り江を眺めた。それは、断崖絶壁の要塞に陣取るトドの塊、いや肉と脂肪の塊に銀色の牙がにょきにょき生えてるやつだった。
 確かに、ワウリは「二百匹からいる」と言った。俺もそれなりに覚悟してきた。でも奴は、この巣の眺めが、こんなにも恐ろしいものだとは言ってくれなかった。
 パールラヴィはさっきから一言も言わずにこの様を見ていた。彼女の顔は、恐怖に凍りついていた。
 「おいワウリ、どうやって狩るんだよ」
 俺はもうたまらなくなって聞いた。するとワウリはなんでもないことのように、
 「どうって、説明したべ。この爪でがりがりやるだ」
 とトドの手のおもちゃを指さした。
 「ばっか野郎! こんなもんで騙せるもんか! 一頭突いてもそいつをボートにくくりつけてる間にばれちまうよ」
 「うーん、まあそうかもしれねえだけど、うまくやれば大丈夫だ」
 俺はにわかには信じられなかった。でもワウリは何度かこの巣でトドを捕ったこともあるんだろう。彼に任せるしかなかった。
 パールラヴィを見ると、すでに氷のように固まっていた。俺は彼女の頬にさわってやった。
 「大丈夫か」
 「ふう。さすがに迫力あるわね」
 「ああ」
 俺はなんとも言ってやれなかった。この二百トンの肉の塊を前にしては気休めなんぞなんの役にも立たないのだ。
 みんなで最後の一服を吸って、凍っている入り江の左岸にボートをつけた。
 「いいか、落ち着くだ。慌てることはねえだ。ゆっくり近づくだ」
 ワウリの言うとおりにやるしかあるまい。俺たちははいつくばり、さりげなくトドの手で氷をかじりながら、ゆっくり前進していった。バツは船の近くでじっとしていた。
 気が遠くなった。トドはほとんど寝ているようだった。二百頭を超すトドの群にはいつくばってゆっくり近づくなんてのは、精神病患者にはいいショック療法かもしれないが、正常な人間には間違いなく恐怖以外のなにものでもない。
 がりがりと氷をかきながら、必死で俺はトドなんだと言い聞かせた。俺の犬歯は一メートルあり、俺は脂肪の塊で、毎日貝を食っていて、シャチ以外の生き物は敵ではない。それと、気狂いの人間以外はな。
 「アーナンダ」
 パールラヴィがふるえる声で俺に訴えてきた。
 「なんだ」
 「あんたについてきて良かったわ」
 思いもかけない言葉だった。こんな目に遭わせてすまないと考えていたところだった。
 「人間いろんな生き方があるけど、こんなことできる女はめったにいないわ」
 確かにそうだ。こんな離れ業をやったのは、インド人の女では間違いなく史上初の快挙だ。でもやけくそみたいなこと言うなよ。
 「喋るな。トドが喋るか?」
 「トドだってきっと喋るわよ。恋人だっているわよ」
 俺はパールラヴィにキスをしてやった。パールラヴィ、おまえは最高だぜ。
 恋人気分もつかの間、トドはもう十メートル先だった。退くに退けない距離だった。こうなればもはや勇気を振り絞るほかない。俺はもはや身も心もトドだった。氷のかきかたも堂に入ってきた。これもワウリのおかげだった。ワウリのトドの擬態は完璧だった。動きのひとつひとつは完全にトドだった。我々トド狩り団の先頭を行く彼は、完璧にトドの群を騙していた。俺は彼の動きを見よう見まねでやっているうちに、なんとかトドの気持ちがわかるようになってきたってわけだ。
 ワウリは一頭のトドに狙いを定めていた。このトドは牙が小さいからたぶんまだ若い雄トドで、群から少し離れて眠っていた。狙うならこいつしかいなかった。
 ワウリは一瞬だけ首を回して、俺たちに合図をした。それもトドの動きの範疇でだ。俺とパールラヴィは前進をとめた。もうトドは五メートル先だった。突然奴はトドの真似をやめた。そのかわりに、完全に気配を消した。今度は風になったのだ。銛を構え、ゆっくりトドに近づいたかと思ったとたん、奴はもう銛を放っていた。思うに、風になっていられるのはごく短い時間なんだろう。どんなに熟練しても、どだい生き物が風になるのには無理があるのだ。
作品名:Ramaneyya Vagga 作家名:RamaneyyaAsu