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Ramaneyya Vagga

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 日本に生まれてぼくは幸せだと、いつも感ずる。インドの物価や、イェルサレムの市街戦を見るたびに。つまりぼくは比較的簡単な形で、日本でインドの何倍もの給料をもらい、イェルサレムの何倍も安全で快適な土地に住むことだって難しくはない...ところが、ぼくはこの特権じみたものをいまのところ行使し、自由を享受したことは、一度だってないのだ...遠山先生、ぼくはこう思うんです。つい五秒前までは、ぼくはチェスの定跡さながらに、少し勘の良い人ならば、誰もが知っていることを、順序立てて書こうと思いました。でも先生、いまぼくはもっと、ダイナミックな方法で書くことで、ぼくの現状と、感情と、世界の問題を、わずかの誤差もない的確さで、くっきりと、浮かび上がらせることを望んでいるのです...おお、ぼくの過去と未来! ぼくの野心! ぼくは26歳だ。ぼくは、もう、26年も生きたのだ。なのに、たった一度だって、楽しいとか、最高だとか、もうこれ以上はなにもいらないだとか、そんな気分を味わったことは、一度もない...ううん、待て。ぼくは思い出す。五歳の頃、親父に高原へ連れていってもらったときのことを。ぼくは走った、ころんだ、犬がやってきて、ぼくを助け起こし、ぼくは犬とまた走った、あれは、本当に楽しかったんじゃなかったっけ?...でも先生、犬と走って食べ物がもらえるのは、ドッグレースの犬たちだけです。ぼくはここへ電話をする前に、いろんな求人情報を見ました。世間について少しは学んでいたぼくは、求人情報に乗っている仕事の数々について、ぼくが就労する様子を、幻視することだってできたのです...それはちょうど、ガダルカナルの青い海で、重しをつけて沈んだらどうだろうとか、それかヒンドゥークシュの山麓の、かつて修験者たちが瞑想した洞穴で、裸で横たわり、凍っていくのはどんなだろうとか、再生紙の工場で働いていたときに危うく巻き込まれそうになった、あの巨大な回転カッターに、今度こそ飛び込んでみたら、一瞬なのかとか、想像してみて、見て、そして幻滅するときと、ぼくの心を同じ状態へと導いていくのです。つまりそれはどちらも、ぼくには、ぼくのやるべきことだとは思えないのです。ずるい言い方でしょうか。ではぼくは、やりたくないのです。ではぼくは、なにをしたいのでしょう? 高原を犬と走りたいのです。もうこれ以上はなにもいらないと思うまで。でもそれをやろうと思えば、ぼくに与えられるのは、犬のぬいぐるみと、足を鍛えるトレーニングとです。つまりぼくには、こんなもの、欲しくない。それでぼくは、15歳くらいで、もう"現代社会"には見切りをつけたのです。"就労"に挨拶することすらしなかったのです。それというのも、ぼくはそのころ、芸術について知ったのです。先生、先生はご存じですね。人間がずっと昔から続けているあの仕事について、芸術という名前がつけられていることを。その時以来、ぼくはずっと、芸術に"就労"しながら、"現代社会"を生きてきたのです。そうしてぼくは、借金という警察官に逮捕状を出される今日まで、お金については、無関心を決め込んでいたのです。ぼくの友達たちは、ぼくよりずっと利口で、例えば高野真奈美さんというぼくの愛人は、ずっとデパートに勤めていて、いつもぼくにオランダ煙草や、コンドームをくれるほど、お金に余裕もあり、快適な暮らしをしているのです。そして小島高雄さんという友人も、カメラ屋で現像の仕事をしながら、自分のフィルムを社費で現像してしまうという特権を楽しみ、ぼくに、少しだけ妥協すれば、一日30分くらいは、犬と走れるんだと、助言してくれるのです。ぼくの論点は、ここでは、人生とはおしなべて時間についての言葉だと、そういうことなのです。"現代社会"の悪徳についてあげつらうのは、ぼくはお金に、時間にゆとりのある死刑囚たちに任せたいと思います。ただぼくは"就労"することで、死を先延ばしにし、精神の黒い色を、しばらく見ないことにしたいのです。つまりぼくは、戦争に敗れ、捕虜になるのです。先生、ぼくは投降します。もう、まいったのです。ぼくはプールへ行かなければならず、牛乳と、ヨーグルトと、リンゴと、レモンと、オレンジと、豆腐と、人参と、ピーマンと、海苔と、オリーブ油と、ニンニクとスパゲッティと、唐辛子を食べなければならないのです。ぼくはこれらの配給を受けたく、現代社会に就労するのです。
 ようし、できた。ほどよく砕けている。飛び交っている。そしてあくまで率直で正直だ。悪くない出来だ。40分きっかりかけて、がんばって書き上げた。遠山先生がやってきて、できたかね、ほう、びっしりだね。読ませてもらうよ、と言い、巨体を椅子にどしんと落として、ぼくの原稿を読んでくれる。やった、終わった。ぼくの苦悩はここに。明日からはそれはそれでたいへんかもしれないけど、明日をもしれないあの毎日よりは、目新しい。あの暮らしはもう飽きた。
 「ふーん」
 遠山先生はうなった。原稿を置いた。無言。何事だろう? でもぼくは、自体を理解することができた。先生が、こう言ったから。
 「どうやら、きみは、ここに勤めるよりも、入る人のようだね」
 「なんですって?」
 そう言ってみた。でもぼくは、馬鹿じゃない。ぼくは、また、勘違いをやった。彼を、ぼくの友達だと思ったのは、ぼくの勘違いだったのだ。ぼくは、彼に信用されてなどいなかったのだ。ぼくは打ちひしがれ、憤った。ぼくが精神の病気だなんて言い方をするなんて、なんて無礼なんだ。このやり方はずるい。ぼくは頭にきた。うまく書けたから、と原稿を返してもらい、リュックに入れ、ジョイントを吸いながら、帰った。
 コジーンが電話してきて、ぼくがことの顛末を話すと、たっぷり三分は笑い続けた。そんなにはりきるこたなかったんだよ、あたりまえじゃないか!
 「きみはどこまでもまじめだ、尊敬しているよ六郎太! いかすぜ、六郎太! きみは、たっぷり手を抜けばそれで採用されたのに、それをよしとせず、はりきって、努力して、作品にしあげたってわけだな! アッハッハ! 芸術家の鏡だよ、きみってやつは。ククク、たまらんよ! しかし、きみは馬鹿だったって言い方もできるぜ。だってきみは、その気になれば、吉本隆明を堅くしたみたいな文章だって書けるだろ? お人好しの大学院生みたいなさ。人文科学かなんかの。それをやればすんなり採用されることくらい、わかってたんじゃないのか?」
 それでぼくは、それがわかんなかった、院長は、ぼくが好きで、ぼくの知性を信頼して、評価するものと思って、より独自の、モダンを狙った、とか言った。するとコジーンはさらに笑った。
 「また打ちひしがれたか! よく裏切られるやつだよ、きみってやつは。まったくおれは、きみのシリアスで、無鉄砲で、そして滑稽なところを、愛しているよ!」
 ぼくはありがとうと言い、なにか他に仕事を知らないかと言った。
 「そうだな、また探せばいい。でもきみ、もうそろそろ、あそこ追い出されないか? 家賃、何カ月だ? 8? そろそろだな。追い出されたなら、うちに置いてやらんでもないぜ。きみは寒がりだったろう?」
作品名:Ramaneyya Vagga 作家名:RamaneyyaAsu