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Ramaneyya Vagga

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 「ほんとにいまの時分、いろいろな仕事があって、誰もがある程度、仕事を選べますものね。あんまり大きな声で言うものではありませんけれど、こういった病院というのは、やはり、ねえ、あまりよくないイメージがありますでしょう。わたくしもはじめここに勤めることになったとき、それは戸惑いましたわ。もう30年も昔のことですけれど。わたくしは、沖縄にいたんですの。ええ、那覇の生まれですの。当時はまだ、あすこは日本ではなかったんですのよ、お若いあなたでも、ご存じざんしょ? ええわたくしも若い頃はいろいろございましてねえ、ええ、それはもう。なぜ本土へ来ることになったのかと人に聞かれますと、いつも、富士山が見たかったんですの、とお答えすることにしているんですのよ。ええ、おかしいざんしょ、わたくしの若い頃なんて、笑っていただければ、それでいいんですわ。ええそれではじめ静岡におりましてね、歯科医院の助手をしていたのですけど、ひとりふしだらな患者さんがいて、治療の最中、わたくしが指を口に入れると、舌でなめられるんです。院長さんがいないときになんか、口を開けたまま、もごもごと、好きだ、好きだ、吉田さん、ぼくはきみが、って言うんですの。わたくし、それがどうしても耐えられなくなって、院長さんにやめたいと言いましたら、ここを紹介してくださったんですの。白痴、知恵遅れ、なんて、聞こえがいい言葉じゃありませんでしょう。はじめは、びっくりしましたわ。でも院長さんがせっかく推薦してくださったので、わたくし見学に行きましたの。そうしたら、たくさんの患者さんたちが、とても苦しそうに、もだえているさまが、わたくしを打ちのめしたのですわ。精神病院の患者なんて、日々ぼうっとしているだけの、呼吸するゼラニウムみたいなものだって思われる方もいらっしゃるざんしょ? 違いますのよ。みなさん痛くて、苦しんでらっしゃるんですの。わたくし、決意しましたわ。この方たちを直してさしあげたい、わたくしにできることは、なんでもしてさしあげたいって。ええ、わたくし、とても女性が強いんですの、そしてそれは、この歳になっても、ぜんぜん衰えませんのよ。不思議なものですわね。わたくしは一生、女性を全うするのですわ。あら、いけませんわ。面接はいつにいたしましょうか」
 なんてこった! すごくいい人じゃないか! ぼくはこの興味深い婦長さんになら、仕事を命令されてもいやとは思うまいと思った。あさっての昼に約束をとりつけた。


 第三回 マクロ
       地球儀を

 精神病院の仕事が、ぼくには楽しいものになるかもしれないと思えた。嬉しくて、高野さんに報告した。婦長さんもすごくいい人で、ぼくはあそこで働くことを熱望しているんだ、と。彼女は興奮して、喜んでくれた。
 「なんてことかしら、ぴったりじゃない、最高だわ、酋長。私とあんたがこんなに楽しい気分だなんて、もうそれだけで採用も決まったようなもんだわ。お祝いしましょうよ、気が早いなんて思わないわ。昔から、大切なことの起こるときには、前夜祭を祝うものだわ。瑞兆っていうのもあるわ。シッダルタさまだって、イエスさまだって、生まれる前から、気の早い人たちが、夢のなかでお祝いをしたものだって聞いたわ。ああ、かわいい六郎太くん、あんたが好きよ。ホウキ酋長になったあんたもきっとすてきだわ。うちにいらっしゃいな、きのう、すっごく青い色のを買ったのよ」
 それでぼくは高野さんの家に行くことにした。なにか、プレゼントを彼女にあげたい気持ちになった。お金を探した。銀貨しかなくて、ぼくは机の上にそれを積み上げた。百円玉、五十円玉、十円玉、五円玉、一円玉。ジーンズのポケットに、百円は全部。五十円は一枚でいいみたい。十円は四枚。五円が一枚、一円が四枚。これでいいはずだ、レジで使う分は。自転車に乗って、ケーキ屋へ行き、ちょうどふたり分くらいの大きさの、栗のケーキをひとつ買うことができた。ケーキ屋の売り子は、887円です、と言い、ぼくがポケットから完全に秩序づけられた銀貨を取り出し、ちょうどです、と渡すと、ぼくと同い年か、それか少し年下に見える彼女は、滑稽に思ったのか、くすくす笑って、百円玉を数えて、「あら、あと百円だわ」と急に親しげな口をきいてきた。彼女がお使いの子供みたいだと思っているのがぼくにはわかった。ぼくはもう百円を渡し、ケーキを買った。
 高野さんとケーキを食べて、コーヒーをたくさん飲んで、ジョイントを吸って、TVを見た。『美術への誘い3、ムンク、死と病の表現』。
 「ああっ、スーパーフライ。なんていい気分かしら。どうよくって? ふふ、かわいい笑顔だわあんたって。ね、あの絵って世界一有名な絵画だと思わない? モナリザ? ああ、そうかもしれないわ。でもあれって、どうしてあんなに有名なのか、私は考えたの。それでやっぱり、世の中の誰もが、分裂病について、身に覚えがあるんじゃないかしらって思ったわ。誰もが、あの男みたいな表情に、覚えがあるのだわ。私も、同僚やお客の声を聞くことがあるの。インクと言ったのを、淫売、って言ったんじゃないかしら、そうは言わなくても、暗喩を込めたのじゃないかしら、彼はそう言えば、ここのところ私を横目で見て、口元を動かしているような気がするわ、なんてふうにね。ひと月まえくらいに、同僚たちとボーリングに行ったのね。私は喫煙所で一服して、完全な石になっていて、ふざけてボールを二個持って、肩の上まで持ち上げたりしたの。単なる、腕力のテストだわ。みんな笑った。でもその笑いは、異常なまでの爆笑だったの! 私ははっとしたわ。二個のボール、睾丸? 私と黒い二個のボールが、みんなに直喩を与えているのかしら? 私はみんなにはすっぱ女だと思われていて、大きな二個のボールの三つの穴に指を入れて、持ち上げる私は、いまみんなの頭のなかでは、いろんな情夫たちのベッドにいるのかしら? そんなふうにね。版画いいわね。子供のころ学校でやったの楽しかったわ。表現派っていうのね。ふうん。私が小学校の、あれは五年生のときだったわ、つくったのは、運動会で私が走ってるところ。いま思うと、奇妙なポーズだったわ! まるで、ヨーガでもやるみたいな、できそこないのロボットみたいなポーズで、走ってるところ。グラウンドに丸刀で風を彫ったわ。鈴木くんまだ彫刻やってるの?」
 ストーブをね、高野さん。電話のことを聞いてみた。
 「スズから電話あった? 最近」
 「ないわよ。どうして?」
 「なんでもないよ」
 「なんでもないでは、済まないんじゃなくて?」
 「そうか」
 それでここ数日の、ぼくとスズとコジーンの、妙な出来事について、包み隠さず話してしまった。すると彼女は涙を流さんばかりに大笑いした。
作品名:Ramaneyya Vagga 作家名:RamaneyyaAsu