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Ramaneyya Vagga

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 念じる。リアムの窟に着く。呼ばれて、リアムの眠気は払ったように消える。
 「託宣ですか」
 「しかり。急げ」
 ふたりは駆けて司長の窟へ行く。
 (いまがそのときか...)
 リアムの心は動じない。待っていたようにも思う。このときのために、彼は、己を落ち着かせ、準備していた。
 「ナザレびとが、死ぬ」
 司長はつぶやく。リアムは拝跪し、ただ宣を聞く。己を静かにする。私情を見て、それにしたがって己を乱せば、すなわち誤る。リアムはそれを聖書から学んでいた。ただ聞く。聞いて、真実を聞いたら、それに従い、動けばよい。
 「殺させてはならぬ。あれが死ねば、クムランは滅びる。エルサレムへ走れ」
 「はっ」
 リアムは理解した。命を受けた。それに従うだけである。駆けて、東門からアーシュラムを出る。崖を飛ぶように降りる。
    ★
 憲兵が押し掛ける。ヨシュアと弟子たちが捕らえられる。ゴルゴダ。風の吹きすさぶ荒涼たる丘へ引かれる。鎖に引かれたヨシュアは、嘆く母の顔を見たとき、己のおごりにはじめて気づいた。自分は聖者だと自負していた。しかしいまその自信は崩れた。ヨシュアは、人の子として、いま己のおごりを悔いていた。
 (クムランの司長が言ったとおりだ。私は、おごった豎子であった。母を悲しませるような者に、イスラエルが救えようか?)
 悔いたが、しかしヨシュアは嘆かなかった。まだあきらめてはいなかった。
 (ルチフェル...どこだ、どこで見ている、私が逃げるのを待っているのだろう? おまえに捕まるわけにはいかぬ...)
 いばらの冠がかぶせられる。十字架を背負う。ヨシュアは力を奮って、大きな木組みをかつぐ。
 (ふふ、若い頃は、親父と一緒に、このくらいの木組みを、かついだものだな)
 若い頃、父親の大工仕事を手伝ったことなど思い出す。その重荷を担いで、懸命に丘を登る。
    ★
 リアムは足を休めなかった。リアム自身、己の脚力に驚いた。水もいらぬ。走っているという感覚すらない。歩くようだ。ただ、景色が流れていく。息が乱れぬ。体を感じぬ。
 (急がねば)
 それだけを思っている。クムランを出てどれくらい時間が過ぎたのか、とうにわからなくなっているし、気にもかけない。だが、エルサレムは、ゴルゴダは、もう近いはずだ。
    ★
 イスカリオテのユダは、そのときどこにいたのか。
 再びクムランに向かっていたのだ。しかし今度はひとりではない。エルサレムの武装した軍勢の陣中にいて、輿に乗っていたのだ。
 槍と盾。兜と鎧。軍勢は千人を越える。
 エルサレムの元老たちは、異存をはさまなかった。不思議であった。クムランは、エルサレムの祭司たちにとっても、さわらざるべき聖地であったはずだ。それが、ユダがクムラン侵攻を提案したとき、恐れるそぶりもみせずに、たちまち軍勢の派遣を決めてしまった。
 (主の思し召しということだな。老いたものは、滅びる定めだ)
 ユダはそう安易に思ったが、彼は知らない。元老たちが、クムラン攻めを勧めるユダに、山羊の角と、紫の眼光を見ていたことを。
 クムランには天険の守りがある。死海から続く崖道を登るうちに、重い甲冑を着た軍勢は、多くの離脱者を出すはずであった。しかし、エルサレムの軍勢は、頑強に崖を登っていく。だれひとり力つきることはない。
 アーシュラムのなかで、その日のパンを届けるために走っていたジョセフィーヌだけが、それを見た。
 (紫...)
 晴天下に、突如、紫色の雲が、麓のほうから登ってきているのだった。
   ★
 ヨシュアは十字架に架けられた。すなわち、手に釘を打たれ、足に釘を打たれた。激痛に耐える。
 (これしき、こたえぬ。逃げてみせる)
 逃げるつもりであった。最期まで待って、敵の出方を見た。いまが、最期だ。
 憲兵のひとりが槍を取り上げる。ヨシュアのわきに狙いをつける。そのときだ。
 「待て! 死ぬな! ナザレびと、死んではならぬ!」
 吹きつける風を裂き、地を轟かせる者がある。ヨシュアは見る。若い、怜悧な細面の、息を切らせた男だ。
 (あれは...人だ...そうか、クムランの...)
 リアムは間にあったのだ。必死に叫び、人をかき分ける。
 「ナザレびと、逃げよ!」
 (言われなくとも...)
 ヨシュアは息をため、移動せんとする。リアムの目を見る。すると、ヨシュアの目は飛んだ。リアムの眼球に映る、景色を見た。ヨシュアの顔は、驚倒に染まる。
 (ユダ...ルチフェル...なんということだ...私に、罪を着せるか...)
 いまやヨシュア、この聖者の心は、狂わんばかりに、飛び交っていた。それというのも、リアムの眼球のうちでは、人が次々に、殺されていたからだ。
   ★
 アンデレはエルサレムの軍勢を目のあたりにしたとき、この軍勢を、信じることはできた。これは人間の軍勢であり、これは現実であると。
 (いずこからなりとも、かかってくるがよい。老いぼれが相手になってやろう)
 意気込む。アンデレはやけになっていたのではない。やれると思った。天険を背に守人衆の精鋭が足止めし、少人数を逃がすことはできると思った。実際、初戦で、アンデレ率いる守人衆は、エルサレムの大軍を破った。崖道で待ち伏せし、岩を落とし、矢を放って敗走させた。アンデレはひとまずその場を部下に任せて、森を駆ける。アーシュラムの者、わけても若い者たちと、司長を逃走させなくてはならない。そのためにアーシュラムへ急ぐ。そこで、女と出くわしたのだ。
 アンデレはすぐにわかった。それは、いまは亡いアンデレの母の姿だった。
 (母上...)
 思い直す。まだ自分は生きている。ここは現世である。
 (ふ、そういうことか)
 「堕天使、よくも現れおった」
 そう呼ぶ。呼ぶと、アンデレの母は、母の姿のそれは、山羊の、角を現す。目は紫色に染まり、沈黙して、ただ微笑する。
 (最期の最期で、わしを負かしに来よったか。だれにも負けぬと思っていたが、あのナザレびとの言うように、わしも、おごっておったということか)
 アンデレは小刀を懐中から抜く。女に、山羊に、いかずちの如く襲いかかる。しかし女はもっと速かった。すれ違いざまに、アンデレの首もとを手で突いた。
 (わしに勝ったとて、クムランに、人に勝ったと思うな。おぬしは、いつか人に討ち負かされる)
 倒れて、母の目を見上げながら、老雄アンデレは息絶えた。
 それからあとはただ残酷だった。守人衆の守りが突破されると、アーシュラムは抵抗しようもなく犯された。手当たりしだいに殺された。ジョセフィーヌは、リアムと、聖書のことを思った。聖書を埋めた丘の方角へ向かう軍兵たちの前に立ちはだかった。
 「行かせない!」
 少女とは思えぬ強い声で怒鳴りつけた。軍兵たちは笑う。少女は、捕らえられ、何人もの男に、無惨に犯された。少女の悲鳴が、どうして、遠くエルサレムまで、届かないだろう?
    ★
 ヨシュアはリアムの眼球にこれらの景色を見た。当然、リアムも見た。
 それでヨシュアは泣いた。突然、大声で、赤子のように泣いた。叫んだ。
作品名:Ramaneyya Vagga 作家名:RamaneyyaAsu