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Ramaneyya Vagga

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 それからリアムは、満月の夜だけ、人目を盗んでアーシュラムを抜け、この窟に来ては、月明かりで聖書を読んだ。また写しをとって、すべての文書の写本をつくるつもりであった。3年がすぎ、ほぼすべての文書の写本も完成した。あとは別の窟を掘って、そこに写本を埋めるのだ。


 2 離れがたきふたりのもとに

 リアムはパンの焼き方をほとんど覚えてしまった。ジョセフィーヌは窟の壁に用いる土の配合をすっかり覚えてしまった。ジョセフィーヌの母親は、リアムの母親と、茶飲み話に、婚約を臭わせては、喜んでいたりした。相撲は、リアムが本気でないせいもあるが、それにしても、勝ったり負けたりであった。
 満月の夜、アーシュラムを抜け出すときには、リアムは細心の注意を払った。足音はもちろん、呼気、体温すら静めて、すばやく駆ける。昼間、リアムをあなどっている連中が、このときのリアムを見たなら、彼の韜晦に憤るであろう。だが別に、普段リアムは、爪を隠したり、意識的に唐変木を演じているわけではない。まったく本来が、ぼんやりと物思いに浸るのが好きな、静かな男というだけである。ただ、この夜は違う。いわば、憑くのだ。クムランの、イスラエルの祖神が。リアムの、人間としての、イスラエル人としての生命力が、燃え立つのである。
 しかしやはりこの男はお人好しなのだった。あのときジョセフィーヌが、すっかり告白しなかったなどとは、ついぞ疑わなかったのだ。
 月明かりを避けるように、木陰から木陰へと駆ける影を、もうひとつの、もう少し小さくて、よりしなやかな影が、遠く離れて追っていく。
 ジョセフィーヌだ。
 (今日こそ、つきとめてやるんだから)
 少女なりに、堅い決意をしていた。実は満月の夜、リアムを追うのは、これで三回目だ。
 ジョセフィーヌは満月の夜、夢を見た。自ら槍を脇腹に刺した、骸骨の軍隊が、クムランに向かって、湖の岸を行軍してくるさまを見た。こわくて起きあがった。こわかったが、湖を見たくて外に出た。そうして、駆ける影を見た。すぐにわかった。リアムだ。
 前の二ヶ月は、見失った。翌日の朝、何食わぬ顔で、しかしくまのある目で、パン焼きを手伝いに来るリアムを、恨めしく睨んでやったものだ。
 直接問いたださないのは、どうせ教えてくれるはずがないという推量と、勝ち気さゆえだ。
 (きっと、すごいことなんだわ。きっと、ものすごいこと、してんだわ)
 少女はわくわくした。リアムは、家長に命じられて、アーシュラムのみなにも秘密で、なにかをしているのだ。それを知ってしまった以上、それがなんなのか、確かめないでいられないジョセフィーヌではない。リアムは、やはり自分が見定めたとおり、なにかたいへんな人間に違いないのだ。
 リアムは先々月から、人気の皆無な丘の側面で、写本を埋めるための、もうひとつの窟の掘削にとりかかっていた。潮風に長い間吹かれた土は、もろくて削りやすいが、崩れやすい。人ふたりがようやく入るほどの、細い横穴を掘るのだが、少しずつ掘っては木組みを入れて粘土で固め、そうしてからまた掘り進む。うつ伏せ、または仰向けに寝そべって、ノミと金槌を振るう。匙で土をかき出し、麻袋に詰めて外へ運ぶ。地道で、危険な作業だ。土がいつ崩れて、土に埋もれて窒息しないとも限らない。
 この窟も5メートルばかり掘り進んだので、ひとまず、すでに写本をここへ埋めてある。しかしもっと深く掘って、盗掘者を、完全に排除しなければならない。リアムは、この日も、ただ無心にノミを打ち、土を麻袋に詰めて、穴の外へ運んだ。
 リアムは重い麻袋を引きずって、足で体を滑らせながら、唸りながら、穴を這い出す。身を起こす。
 影が、月明かりに照らされた、無人のはずの丘に、人の形をした影が映っている。怪しんで見上げると、女だった。月光に、青く照らされた、女がいて、こちらをただ見つめている。微笑んでいるように見える。リアムは、土嚢を抱えたまま、立ち尽くしてしまった。
 (これは人なのか?)
 疲労に高揚したリアムの心は、そう疑った。人であれば、すなわち自分は窮地であるし、そうでなければ、自分は死んだか、あるいは、生の絶頂だ。
 ふたりは沈黙して見つめ合った。女のほうが、ゆっくりと、歩き出した。
 「リアムさん」
 声をかける。リアムは驚かなかった。ただ安堵した。この女の来訪は、彼に、いいしえない安心感をもたらした。彼は孤独だったのか。
 「セフィーか」
 リアムは笑った。
 「見てしまいました」
 少女はいたずらっぽく、意地悪そうに笑った。
 「やあ、隠し事というのは、必ず見つかるものなんだね。昔から、そうと決まっている」
 「ええ、そうですとも。神さまは、なんでもお見通し。セフィーにも、ときどき、秘密を教えに来てくれます」
 リアムがジョセフィーヌを見れば、木綿の服は泥だらけだし、手足も同様だった。よくこんな崖の上まで来れたものだ。
 「どうしてここがわかった?」
 「言ったでしょ、神さまが教えてくれたの」
 「夢かい?」
 「うん。恐い夢を見て、起きたら、リアムさんが、鼠みたいに、外を走って行くのを、見つけたの」
 「へえ」
 (この子...憑くのか)
 不思議なこととは思わなかった。女が神託を降ろすのは、クムランでも、まれにあることであった。
 (この子は、知らなければならないということか)
 そう思ってみた。そうだとするなら、残酷だ。この宿命は、無垢な少女には、重すぎる。
 「さあ、教えてください。リアムさん、ずっとなにをしているんですか」
 ジョセフィーヌはリアムの目をのぞき込む。リアムは沈黙する。しらばっくれることはできる。もっともらしい、例えば司長の墳墓を掘っているとか、そんなことを言えばいい。だが、なにかに駆られて、危険も省みず、一心にここまで来た、このあどけない、汚れのない少女を騙すのは、誠実ではないように思えた。それにここには、すでに聖書がある。聖化されている。聖地に悪徳を持ち込んではならない。純真な少女を、無惨に騙す気にはなれなかった。
 「大事な本を埋めている」
 そう答えた。自分はすでに秘儀を受けて、クムランを任された。ならば、己の心のままに振る舞うことだ。ジョセフィーヌに、すべてを教えてやりたかった。それは重大なことだが、クムランびとであるジョセフィーヌには、決して禁忌のものではない。むしろ、知るべきことだと思われた。
 「ご本?」
 「うん。大事な、私たちのご先祖から、長く受け継がれてきた本だ。ここには、私たちが生きるために必要なこと、生きる理由が書いてある。これがあって、これを読んだ人がいれば、私たちは、間違いがないのだ」
 「でも、どうして埋めちゃうの?」
 「この本が、盗まれないようにだよ」
 「だれが盗むの?」
 子供らしい無垢な質問には、それへの答えは、複雑すぎ、そして汚れすぎていた。なんと答えてやろうか、リアムは少し考えた。
 「さあ。いずれ、悪い人さ」
 「ふうん、じゃあ、リアムさんは、アーシュラムのみんなのために、大事な仕事をしているんですね」
作品名:Ramaneyya Vagga 作家名:RamaneyyaAsu