Ramaneyya Vagga
と拝跪する。饕餮笑って辺りの空気を歪ませると、風に乗って南門の姜軍に襲いかかり、その巨大な口に次々と姜人を飲み込んでいく。
これには姜一、驚愕して、
「饕餮を招きしか!」
と目を見開く。遠く饕餮を見るに、姜人を食らっては飛び巻き起こす猛風は城壁を破壊し、姜一のいる、口器を置いた祭卓のある、望楼めがけて襲ってくる。
「兄上!」
姜斎が姜一に抱きつく。震えている。
<食われる!>
ふたりは恐怖した。姜一は口器を見やる。
<饕餮を招いてなんとする。人になんの益がある。殷媚、世界を滅ぼしてまで姜に勝ちたいか。愚かな!>
姜一は決意する。
<もはや後戻りはできぬ。祖神よ、われらを、人の世界をどうか守れ>
姜一すなわち大斧をとって口器に振り下ろしこれを砕く。すれば光線天に伸びて爆風は望楼を破壊し丸い太陽のごときものが現出し、黄色から赤へ、赤から黄色へとその色を代えては辺りの空気を溶かし落雷を一身に集めまた六方にまっすぐな怪光線を放ち、四枚の翼のごときもので羽ばたいて突風を撒き散らし、面のごとき部分には深い闇があって、そこから渾沌たる音、あるいは光、言葉のごときものが嵐のように、濁流のように吹き出して、飛び来る饕餮に向かって宙を飛んでいった。
「ああ、渾敦と饕餮が戦ってはもうこの世は終わりだ」
姜と殷の諸人が歎ずる。みな争うのをやめて拝跪する。
饕餮は渾敦に牙を向ける。
----渾敦、久しいな。おぬしも長らく暇であったろう。どれ、久々に戯れぬか。
渾敦答えて、
----饕餮よ、相変わらず荒々しいやつじゃ。われらが戦えば人はすなわち滅びるがな。まあ、よかろう。くだらぬ連中だ。
----しかり。人など滅ぶのがよいのだ。おごり高ぶりまた嘆き悲しんでは神々に頼っておのれを信じることを知らぬ。人の道をわきまえて生きることを知らぬ。
----しかり。よし、かかってくるがいい。おぬしと争うとは腕が鳴るわい。
渾敦は羽ばたいて饕餮に突風を吹きつける。饕餮、城壁を崩しながら猛然と駆けて風をかわし渾敦に飛びかかる。二神、ついに衝突して景色は爆裂し落雷と突風は井城の城塞をことごとく崩壊させてぬかずく殷人、姜人は次々に息絶えていった。
さて饕餮と渾敦の激突は人の世を滅ぼしてしまうのか。これ天命なるや否や。
最終回 神仙西王母に計って燭陰に祈願するのこと
燭陰眼を閉じ呼吸して春来るのこと
つらつら思えば、人の道というものは、われわれの生活する現代においても、また中夏の殷の昔においても、なにも変わるところはない。また賢人の数、および愚かな人間の数においても、なんら変わることはなく、賢人は人の道を明らかにしようと努力して年をとるたびに学び、愚人はそれを妨げ欲におぼれて無為に年をとる。愚人の道をゆくのは簡単であって、そこには伝統がない。それは微妙ではないからである。誰に教わるともなしに、人は簡単にいたずらに獣を食い、金を集めて、賢人を中傷し、殺すことが出来るのである。愚か者には師などいらぬ。学ばぬ者を愚と言うからである。
愚人の徳は一向に増えることがない。その学はまったく変わることがなく、退屈である。いつの世も悪人は悪人の特質をすべて同じように備え、佞者はいつの世にもまったく同じやり方でへつらうのである。
さて賢者の徳は受け継がれる。これを伝統、伝承という。ゆえに賢者は死を恐れない。これを修辞して賢者神仙の不老不死などという。まさに人の道とは先人に英知を学びその精微を知り後に伝えることにある。字の学、すなわち文学とはまことこのためにあって、芸術とは人の道そのものである。
さても殷の昔にも賢者の徳は充分に受け継がれ、崑崙のふもとに蓄積されていたのである。ここにはいにしえの賢人たちが集い、神姫西王母とともに人の世の行く末を眺めていたのである。
軒轅がいる。高陽がいる。祝融娘娘がいる。尭と舜がいる。賢人たちの円卓を見下ろして椅子に足を組んで座っている女神が西王母である。
注記:崑崙は古くから神仙の住む聖山とされた。軒轅(ケンエン)以下は中夏神話の聖人たち。西王母(セイオウボ)は『山海経』大荒西経に崑崙の丘のかなたに火炎山あって虎の歯、豹の尾の西王母がいるとある。また桃源滞留説話の一『穆天子伝』では周の穆王を崑崙にもてなす、浦島伝説の乙姫に似る女仙である。
軒轅は崋山のふもとの騒ぎを聞きつけて、賢人たちと女神を招いたのである。軒轅が言うには、
「思えば宇宙が開闢して以来、神々は人を祝福し、人は道を見つけてその楽しみに興じ、さまざまな賢人がその道を後の人に伝え、そうして伝承された英知は人を人たらしめ、世界を世界たらしめてきた。人の道とはすなわち身をつつしみ学ぶことである。これを楽しむ人を賢者という。さていま崋山のふもとで殷人と姜人が争っている。おのおの意思強きがゆえに渾敦と饕餮を招かしめ、戦わしめている。いまや宇宙は崩壊せんとしている。これをなんとするか」
これに賢人たちがさまざまに問答するも、なんとも答えが出ない。このさまに西王母がいらだって、椅子からがばっと立ち上がると、
「そなたら、なにをうだうだと騒いでおるか! はやくせんとあの厄介ものどもが宇宙を飲み込んでしまうではないか!」
と賢人たちを叱りつける。軒轅、恐る恐る問うに、
「姫さま、ではどういたしましょう」
西王母鼻でせせら笑って、
「そなたらはいつまでたっても神々の手を焼かせおる。いいかげん自立したらどうじゃ。人が愚かなのは生まれつきなれど、それを賢者に導くことこそ人の仕事じゃろうが!」
と厳しく叱る。軒轅かしこまって、
「はっ、おっしゃるとおりでございます」
と汗をかく。西王母嘆じて、
「まったく仕方があるまい。こうなってはもはやそなたらの手には負えまい。あの姜一といい好といい、強い人間ほど神に手を焼かせおる。困ったものじゃ」
と言うと、翼の生えた青い靴を履き、
「このたびは助けてしんぜよう」
と言う。軒轅問うて、
「どちらへいかれるのです」
「ちと鐘山へな。燭陰に頼むほかあるまい」
西王母そう答えるや一陣の風に乗って宙を舞いたちまち北の果て鐘山へ飛んでいった。
注記:燭陰(ショクイン)は龍の王である。北の果て鐘山のふもとに住み、目を開けば昼となり、閉じれば夜となる。息を吹けば冬となり吸えば夏となる。身の長さ千里、人面龍身で赤い(『山海経』海外北経)。
西王母は鐘山のふもとに降り立つと、燭陰の胴に触って挨拶する。なにしろ身の丈千里の神龍である。その顔にいたるまでもうひと飛びしなくてはならない。
「久しぶりじゃな、燭陰」
遥か山の向こうから声がする。
「おう、西王母か。息災か。こっちに来ておぬしの麗しい顔を見せよ」
西王母笑って、飛んで燭陰の顔のある丘までひとっ飛び。
「元気そうじゃな」
と西王母が言うと、燭陰笑って、
「おぬしもな。じゃが、いまはおぬしの白い肌を眺める暇もなさそうじゃわい」
「そうじゃ。渾敦と饕餮が騒いでおる。静めねば宇宙が消し飛ぶ」
「うむ。見ておった」
「頼めぬか」
作品名:Ramaneyya Vagga 作家名:RamaneyyaAsu