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Ramaneyya Vagga

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 ----姜斎、好とその弟よ、おのおのよくわれを祭った。褒めてやろう。われは満足じゃ。楽しかったぞ。双方の願いをわれは成就させよう。姜は退け。これは殷の祈願せしことである。殷は待て。これは姜の祈願である。相違ないな。
 姜斎、嵜に言われてみると、そうである。殷をここで退けられないとなれば、時を稼いでよしとして、退くほかない。好のほうでも、そうである。嵜に譲ってもらえれば、それでよい。
 <諾>
 と好も姜斎も心のうち答え、姜軍は粛々と退き、殷軍はそれを見送った。
 さて姜斎は井城へ急いで戻ると、姜一に事の次第を告げた。姜一は大いに驚いて、
 「夷風を退け嵜を魅了するか。殷媚、底知れぬ...だが」
 と言って、姜斎を見つめる。
 「斎、姜は負けられん」
 と言う。これも呪術の一であるか。自己暗示の類か。呪術とは本質的にそういうものである。
 「負けてなるものですか」
 姜斎が答える。
 注記:この物語で殷と姜では礼が異なる。礼とは、簡単には習俗、民俗と言い換えることができよう。だがとくに呪術の様式が異なることを、ここでは強調する。殷では祭祀のさい酒を用いて酩酊し、多くの羊、牛などを屠って緊張を得、巫祝、また儀礼に参加する諸人を興奮させ、ひとつのある「場」へいたらしめる。人牲もたびたび用いる。異族の者を殺すことおびただしい。姜族にとっては、殷のこうした礼は、野蛮であり、愚かに映る。ことに、人をもって、異民族をもって贄となすのが許しがたい。姜の礼においても、犠牲を用いるのは同様である。しかし、殷のように、大祭だからと牛を二十頭、羊を三十頭、異族を十二人、などと屠ることはしない。死人のために壮大な墳墓を掘り大量の祭器、呪具、犠牲を埋めるなど、現世の人間にとって、いったいどれほどの政治的、および呪的な効力があるというのか。犠牲は一頭の羊でよい。神を招き、人がそれを感ずるには、それで充分なのである。もしくは、方犬、四方に配する四匹の犬である。また姜にとって、酒は禁忌である。思考を惑わし、集中を妨げ、視界を覆う。人を獣に落とす。堕落させる。麻は違う。人に神を見せる。神の性質を見ることができる。また姜にとって人を殺すのは、呪術的な必然性がない。殷のそれは、人の欲望を成就させるためのもので、神への供物ではない。神は人間の諸族など分け隔てないし、同じ人を食料となす人身供犠を、好ましく思わないであろう。この戦争で姜が敗れれば、何百人もの姜人が、殷に連れ去られ、墓を掘らされ、埋められる。姜一は姜族を統べる王である。みなを守るのがその役割である。殷の悪礼に従うわけにはいかないのである。
 だから姜一は、姜斎を見つめて、凛として言うのである。
 「いまや姜の危機だ。秘儀をなす」
 「兄上、なしますか」
 姜斎が微笑する。姜斎には、こうなるであろうことが予見できていたのである。
 姜王の房中には代々炉がある。暖をとるものではなくて、祖神を祭っているのである。つまり渾敦がそこにおわす。いまそこに炎がある。
 姜一はひとつの丸い岩石を手に持っている。姜斎は床に寝転んでいる。
 「斎、鉄卵である」
 「それが鉄卵? きれい」
 仰向けに寝転んだまま姜斎が答えた。姜斎も、それを見るのははじめてであった。
 注記:鉄は殷代にはまだ知られていなかったようである。ただ古代には人はしばしば隕石から鉄を得て、石器となし、また呪具とした。空から降る隕石は人に天が石、金属でできていることを連想させたり、また天が生んだ卵を思わせた(ギリシャで豊穣多産のキュベレイの卵とされた例など)。ここで姜一が持つ岩石は、いわゆる鉄鉱石ではなくて、隕石である。
 その隕石は長く姜族に伝えられた、渾敦の卵であった。ここには渾敦の力が宿っている。この石を鋳れば、すなわち渾敦が現出するのである。渾敦を出産することこそ、姜族の最大の秘儀である。渾敦の力は遥かに人智を超える。その濁流を扱い、使役するなど、人にはできない。渾敦を誕生させてそれが姜に幸いするか、災いするか、誰にもわからないし、統御できない。ゆえに一族の存亡の危機においてのみ許される秘儀中の秘儀なのである。
 「でも、渾敦を産んで、いったい、姜が勝てますかしら?」
 「さてそれだ」
 姜一には考えがあった。ひとつの鋳型をもってくる。あらかじめ、殷の進軍を聞いたときから用意しておいた。
 「見よ」
 「口(サイ)?」
 姜斎が半身を起こして鋳型を見る。正六角形の、サイコロ状の土器である。上部に鋳込む穴を開けてある。鋳型の内側には祝詞が刻まれている。四面にそれぞれ方角神を祭り、上面に天、下面に地を祭る。上面にまた渾敦に長く辞する。いわく、
 「姜一が祖、渾敦に辞す。願わくはいま口の中にあって井を囲い姜を守られたし。思えば人が神より生じて以来争っては死にその愚は改まることがなかった。いまもまた殷はわれらを攻め姜人を殺さんとする。一、これを防ぎもって人の道を明らかにせんと欲す」
 とである。本来、器は祝詞や供物を入れる入れ物であって、閉じていてはそれらが入らない。だがこの口器は天を封じ、渾敦を封ずる。閉じていなくてはならない。
 「兄上、天を封じますか。畏れ多いことです」
 立方にひとつの宇宙をつくり、その中に渾敦を封じたまま産む。六面で囲うのは、そのまま井城を囲って守る意味がある。城塞を渾敦の気、姜族の血で満たす意味がある。つまり守城の呪禁である。
 「だがこれ以外に法があるか」
 「われらにそれがなせますか」
 「なさねばすなわち滅びる」
 「そうですわね」
 言うと、姜斎は衣を脱いで裸になる。姜一も自分で脱ぐ。ふたりはまぐわう。まぐわって、炉に乾燥した馬糞を投ずる。よく乾かした馬糞は火力に富み、石を鋳るのにもっとも向く。鉄卵を炉にくべる。またまぐわう。姜一は姜斎の腹中に射精せずに、鉄卵に精をそそぐ。赤く焼けた鉄卵にそれがかかると、一瞬に煙と化す。姜王の精が祖である渾敦を子宮である炉に宿す。姜一と姜斎は激しく交わっては、渾敦を炉中にはらませる。
 注記:鍛冶と呪術は深く結びついていて、それは鍛冶はもと呪具、祭器を鋳るためにあるからによる。また鍛冶は性的な儀礼に自然に結びつく。合金は金属の結婚で、例えば鉄は男、銅は女、というように。鍛冶師が炉を子宮になぞられるのも、彼らの経験上、自然なことであったろう。鍛冶と性的な儀礼はこうして不可分となり、鍛冶の現場で性的な禁忌が生まれる一方で(アフリカのバキタラ族など。鍛冶師の精液は女に射してはならない。儀礼的に炉に射すものである)、鍛冶師は女と交合してその精力を供物とする礼もあったようである。いまこの小説で姜一と姜斎が実の兄妹であるのは、近親相姦が子宮への回帰、また祖神への回帰という呪術的な様式に符合するからである。古代の中夏においても近親婚は禁忌であるが、事例はある。
作品名:Ramaneyya Vagga 作家名:RamaneyyaAsu