Ramaneyya Vagga
注記:そもそもなぜ占うのか----祭祀、呪術全般に及んでは事であるので、ここでは占卜について、それも「実用」の場合のみ述べる----政治的な意味合いにおける占卜について記述するのは退屈である。神意を聴く王が尊敬されるのは自明である----好がここで卜問するのは、己の洞察力を高める目的がある。つまり利をえるために実用する----政治的な占卜の実用性など、小さいものではないか? それは祭祀が有効かをまた祭祀によって占う不思議な構造である----おしなべて祭祀は装置である。舞うには音楽がなくては舞えぬ。占うのには竈と兆がいる。ここで好の行う手順をたどれば、まず大気に満ちる祖神をイメージする、思考を、空中に飛ばす。井城のうち、姜族のもとへ行き、その地と人を見る。想像するのである。瞑想である。想像力も、精微を極めれば、真実をつかむ。より実際的には、姜人の吐いた吐息が、その窒素の分子のひとつが、風に乗って好の肌に触れる。好はその角度、速度、温度、他の分子とのつながり方から、経路をたどればいい。この業をなすために、火、犠牲、番犬、甲羅と亀裂、字、祖神を使う。音楽を用いる。これらは集中力を得、霊感を見るための道具にすぎず、占卜が真実となるかどうかは、貞人の感受性によるのである。実用の占卜の構造とは、おしなべてこのようなものである。
星のような好の眼光が、亀甲にそそがれる。亀甲を手に立ち上がり、ゆったりと歩を踏む。動く、舞うこともまた集中力を高めるのに有益であることがある。簫の音が辺りを清め、好に崋山の気を呼び込む。そのさま、まさに、
婦好貞す 姜の礼
簫音粛々 貞人の舞ぼくぼくたり
崋山に飛んで井城を見下ろし
姜礼常になきを知る
といったところ。一心に兆を探って竈の周囲を巡っていた好、はたと立ち止まる。口を開ける。眼光はすでに尋常にない。思考ははるかかなたにあって、好はいま祖神を入れている。
「一は気を放ち宙に舞うなり。二は武なり。三は遁甲なり。斎は媚なり。その祖神、渾敦なり。夷を祭りその風に守られる。天分を知りこれを守って強固なり。これ禁なり」
姜族にさわってはならない、と祖神は降した。好は判じた。
<われの力も及ばぬというか!>
正気にある側の好が反発する。退くにしかず、との結果が出たのである。すると、好はまた口を開く。
「いま西から三と斎来る。防ぐべし」
はっと我に帰る。
「虎甲はどこじゃ!」
小物が走って虎甲を呼ぶ。好がいる本陣に駆け込む。
「娘娘、どうした」
「姜が来る。防ぐのじゃ。そのほう、一隊を率いて斥候せよ。西である」
「ふん、また手出ししてきやがったか」
「気をつけよ。遁甲と媚を使う」
「なに、姜なんぞ田舎の少族、俺たちに何ができるってんだ」
聞いて好、きっと虎甲を睨み、
「侮るな! 姜の礼はわれらと違う。ゆえに油断ならぬ。彼らは礼と武、遁甲を用いて固い。かの者、渾敦の末なり」
注記:渾敦は得体の知れない神である。渾は濁流の意である。敦は『説文解字』に「怒るなり、そしるなり。誰何するなり」とあって、二字を合わせた字義は不吉である。また敦は器蓋同形の球形の礼器で、分ければすなわち半球形の二器となる。
『左伝』文十八年に舜が四凶を四裔(四方の果て)に追放する説話があり、饕餮、窮奇、檮ゴツとともに凶の一として帝鴻氏の不才子、渾敦を上げる。その性質は「好んで凶徳を行い、醜類悪物、頑ギン不友、是れともに比周す」とあり、凶悪で捻じ曲がった人間の頭領のように書かれる。ギンは祝詞を入れる器である口を四つ並べ、臣を入れる。天に向かって祈ることで、口やかましく争う意。巫祝をあざける語である。
また『山海経』の西山経に天山の神として渾敦があり、「黄色い袋のごとく、赤いことは丹(辰砂cinnabar)のよう、六足四翼、渾敦として面も目もないが、歌舞に精通する。まことこれぞ帝江なり」という。天帝の子とされる。
渾敦と聞いては、虎甲も驚かざるを得ない。饕餮と同様、その音がすでに禁忌の音を奏でる。
「渾敦...姜の祖が、渾敦だっていうのか」
「しかり。ゆえに、油断するなと言う」
「諾!」
虎甲は好を拝して走る。
そのころ姜斎と姜三は姜の精鋭百人あまりを率いて林中にあった。姜三がひとりで殷の陣を偵察しにいく。ちょうど、虎甲が斥候隊を出すところであった。矮躯の姜三は木立に身を隠し、殷の陣を探る。
<意気盛んにして粛々なり>
と殷軍の気を読んだ。
<あれが本陣...媚か。斎姉の上を行く媚が中夏にいるとは思えぬが>
本陣を伺う。ちょうど、天冠をいただき、白金の鎧も勇ましい、だが星のごとく麗しい長身の婦人が、天幕を凪ぐように払ってあらわれた。
<お、いい女だ。あれか>
50メートルほど離れている。だが姜三の視力は厳しい鍛錬と集中によって、好を正確に捉えている。
<ふん...いい女だが、好かねえ。強すぎる>
姜三は、好の媚力を看破した。恐るべき敵であると見た。
姜三がなおも殷軍の軍兵の数、装備の質など伺っていると、辺りをきょろきょろ見回していた女将軍が、姜三の方を見据え、ぎらぎらと輝く眼光をそそいできた。指す。
「虎甲、待て! そこだ!」
大声で呼ばわる。姜三は眼を見開いて驚いた。己の遁甲術が見破られるなど信じられなかった。しかもこの距離である。
注記:遁甲の本質は人をだますことである。そうではあるが、隠遁の術の場合、隠れる本人が、隠れていることを意識しているようではまだ達人とはいえない。「擬態する」動物や虫を語るとき、「隠れている」と言うのは誤りで、彼らは、そういう意識はすでにない。人間における隠遁術は、仮死の法と言える。人間に特有の生気を殺し、呼吸を調整し、無機物となる。
姜三の仮死の法は、達人のそれであるはずであった。矮躯であることの身体的特質は、もちろん利用する。しかしそれ以上に、呼吸、熱の調整に、姜三は絶対の自信があった。それが破られた。好があらわれたことによって、興をそそられ、その隠蔽の気がそがれたか。相手を見れば、発見されやすい。街角で、目の端に視線があれば、だれもが振り向く。
「ともかく」
だが姜三はあらかじめ退路を用意してある。
「逃げるにしかず」
その場に一瞬にして細工を施し西に飛ぶ。
斥候に赴くところであった虎甲は、好の大声を聞き、西の林を見る。気を見る。何も見えない。だが虎甲は好の巫才を敬っている。そこに姜の手の者がいることを疑わない。
「者ども、行くぞ」
兵を喝すと矛をとり駆ける。
兵がおこって虎甲につづく。姜三がいた木立にいたる。突然どっと土が盛り上がったかと思うと、ギーギーと怪音辺りに響き渡り、一騎の兵があらわれて矛を振り回した。衆人が仰天したことには、馬も人も骸骨であった。カカカ、と奇怪に笑う。
「鬼兵」
虎甲はさすがに驚いて一瞬立ち止まったが、矛を舞わしてこの骸骨に挑みかかる。
「鬼、虎甲が相手だ、勝負しろ」
作品名:Ramaneyya Vagga 作家名:RamaneyyaAsu