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Ramaneyya Vagga

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 虎甲は畏れた。だが虎甲は臆病ではない。胆力は衆に抜きん出る。夷は天帝に次ぐといえるほどの強力な神である。その力は人智を超える。畏れるべき神なのである。
 「じゃから、矛をもてと言うに! 急げ!」
 「諾!」
 虎甲が走って好の饕餮文画の矛をもってくる。好に手渡す。
 注記:饕餮(トウテツ)は虎身人面、腋下に多くの目を持ち人を食らうといい、もと楚地の神であったらしい(『神異経』)。四方の果てに追放された四凶の一(『左伝』)で、飢渇した貪欲な怪獣である。殷の銅器にその姿を文様化したものが多くあり、饕餮文という。虎をその頭部を中心に見開きにした形である。殷の勢力が漢水にまで及んだものか、饕餮は殷に取り入れられ、邪を払う強力な魔神として祭られた。
 「争うのか? 死ぬよ、娘娘!」
 矛を渡しながら、虎甲は叫ぶ。好は虎甲の覡の才を見限った。腹立たしいほどの節穴である。
 〈阿呆!〉
 内心、ののしった。夷に人間が立ち向かってかなうはずもない。神風に立ち向かっては折れる。なびき、伏し、通り過ぎるのを待つほかない。下手に出るのである。
 好は矛を取ると、兵団の前、崖の手前まで一気に踊り出て、四肢と気、肺活の限りをつくして大いに舞った。その矛舞の華麗さ、苛烈さたるや、目前に一千の軍勢、あるいは巨虎と格闘せんばかりであった。
 「姫、危のうございます!」
 好の近侍の者たちが、突風と雷雨から身を守って伏しながら叫ぶ。虎甲はそれを制する。
 「黙ってろ!」
 虎甲には、いままさに、炎のごとく赤い鳳の姿をした夷風が天上いっぱいに羽ばたいて、好と激しく戦っているさまが、はっきりと見えた。いや好は、戦っているというよりも、防いでいる。雨あられと降り注ぐ夷風の羽の矢を、饕餮文画の矛をもって、なぎ払っているのである。
 「祭祀である。神妙に大巫に従うべし」
 と虎甲は衆を喝して、好を拝してぬかずいた。
 やがて雷雲が晴れる。好の舞に一分の隙もないことを見て取った夷風は、好に譲った。好は命乞いをしたのである。全身全霊で舞うことによって、己の力のすべてを夷風に見せた。自分がここで死ぬべきか否か、夷風に卜問したのである。夷風は好が死ぬべきではないと告げた。こうして、夷風は通過した。
 「晴れた...」
 虎甲がつぶやく。殷兵が歓喜し、そろって好を敬い、誉めそやす。
 さしもの大巫、好も心根疲れ果てた。虎甲に矛を渡すと、ぐったりと彼にもたれかかった。
 「虎甲、わが舞、どうじゃ」
 「娘娘、どうって、美しかったよ。俺あ、涙が出た」
 注記:美字はもと羊の象で、羊牲をほめる語。
 「夷風、手強し。危なかった」
 「いやあ、娘娘の敵じゃあねえよ」
 「虎甲! 滅多なことを言うでない。われらはいま夷風の情けを受けた。羊をもってこれを祭るべし」
 羊が四頭屠られ、血が銅器に注がれて、巫たちによって祭られた。夷風に羊をささげて、もってこの祭祀は終わった。
 そのさまを眺めながら、好はひとり思った。
 〈夷風を使役するとは姜人恐るべし。大巫、大覡あるに相違ない〉
 ひとり、怒鳴った。
 「ふん、ちょこざいな!」
 ちょうどそのころ、井城の望楼に立って、天を見上げるひとり覡あり。名を姜一(キョウイツ)。姜の王である。
 「夷風が譲った」
 信じられなかった。全霊を用いて夷を祭った。殷軍を襲わせた。
 「析を呼んだか」
 と思ってみた。析は東方神である。夷に対抗して風雨で互角に渡り合えるのは、析以外にいない。しかし、姜一が天を見ていた。その兆しはなかった。ただ人力で夷風を退けたと判ずるほかない。
 「殷に大媚あり」
 姜一はそう見て取った。覡ではない。媚である。夷風が人に情けをかけるとすれば、それは強力な媚以外にはありえない。
 「兄上、夷を払う媚が殷にあると?」
 女が姜一に寄り添う。姜一の妹で、夫人でもある姜斎である。
 「斎姉の上を行く媚か」
 偉丈夫がいて、姜一にたずねる。姜一の弟で姜二、姜族第一の豪傑で、矛術の名手である。
 「わからん。常にないことである」
 姜一が答えるが、姜斎が弟をにらみつけ、そんなことはありえないと眼でとがめる。姜斎もまた自尊心の強い大媚である。媚である姉に眼力を使われて、姜二はとっさに傾首して目をそむけた。拝してわびた。傾首の所作は、眼をそむける目的がある。相手を見ることは、ともすれば、呪うことになるのである。ここでは、その礼の順序が逆ではあるが。
 「ともかく」
 大丈夫の姜二の脇に、矮躯の男がいた。姜三である。
 「一兄、こうなっては、やるしかないやね」
 「これは、手強い」
 姜一が姜三に言う。
 「なに、たかが殷の飲んだくれども。私がこてんぱんにやっつけてやるわ」
 姜斎が凛として言う。
 注記:殷は酒乱がすぎて滅んだとされることがある(『書』、『左伝』)。確かに、現在出土する祭器には、酒器と思われるものが多い。
 「よし、斎、三、行って防げ」
 と姜一が言えば、姜斎、姜三、走って望楼を駆け下りる。
 さて姜族の次なる術はいかなるものか。好と殷軍はそれを防ぐことができるのか。


 第二回 婦好貞して姜礼を知るのこと
       姜斎嵜猿を招いて婦好を悩ますのこと

 さて一方の殷軍は山西の山々をようやく越えて崋山のふもとにいたり、野営した。
 ここで好は占った。亀は、甲羅の大きさ30センチほどの大亀で、まず酒で洗う。首を落として、甲羅の側面から刃を入れて裂き、腹甲を磨いて平らにする。
 犬を四匹屠って、四方に埋める。犬は嗅覚に優れるため、四方の番をなす。地に穴を掘って簡単な竈をつくり、火をおこす。雌羊を四頭、祖神にささげる。
 注記:貞神がなんであるかと言えば、祖神である。一族の祖は、一族の行く末を知っている。だから血を繋げた。ゆえにこれに問う。
 好は腹甲をあぶって油を抜く。そうしてから、中心に刀で字を刻む。
 「姜、これいかに」
 それだけ刻んだ。
 注記:様式的には、甲羅の両側に穴を掘り、そこから生ずる亀裂によって兆を見る。刻辞は卜した後に行うという。甲の右側に肯定文、左側に否定文を書く。占いの結果を書く形式もある。
 楽人が簫(ショウ。縦笛)を吹く。好は酒を痛飲すると、甲羅を竈にくべる。拝跪する。やがて水を打つ。音を立てて亀裂が入る。甲羅を取り出し、兆を凝視する。
作品名:Ramaneyya Vagga 作家名:RamaneyyaAsu