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Ramaneyya Vagga

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口(サイ)


  はじめに

 「口」字はもと"さい"と読んで、祝詞を入れる器である。また器は"しゅう"と読み、さいを四つ並べた形に、犬牲を供えた象である。
 20世紀初頭から安陽の殷墟が発掘され、甲骨文などから殷史や古人の習俗が知られるようになり、この小説がそうした考古学的な成果にもとづくものである部分は多いし、またその種の研究を啓蒙する目的も、ここになくはない。専門的にすぎると思われる言葉、および作劇上必要な情報は注記として簡単に説明することとした。
 そうは言っても、最新の研究成果をあまねく閲覧しえるはずもないし、たとえそうしたところで、ここにある物語が、殷の昔の実際と違えることがないはずもない。
 ただ、古くから、巫祝(シャマン)はただ誠をもって神に使えるべしとされてきたし、同感であり、思い当たる。
 私は、ここに、思慮深く書の神に仕え、入れ、聴くことを誓い、この物語を、すべての人々にかくは申し上げる。


 第一回 殷王人牲を欲すのこと
      婦好大いに舞って夷風に卜問するのこと

 思うに宇宙開闢の昔から、電子情報が地球上を行き交う昨今にいたるまで、世界のありさまというものは、それほど大きく変わるところはなく、一様に広がって、我々を内包し、粛々と営まれて揺るぐことがない。
 そうであるのにかかわらず、あまねく書物をひもとき、また行脚して世界を見聞してみるに、人々はさまざまに思い煩い、またそのために争って、浅はかな欲望に尽きるところはなく、栄枯を繰り返して学ぶということがないように見える。
 とはいえこうした愚かさゆえに引き起こされる諸相が、人間にまったく無益であるとは到底思えない。それというのは、我々は、こうした中に、恍惚とするばかりの美を見出し、学ぶをえることが、ままあるからである。これを我々は芸術と呼び、文字によるものを書、また文学という。
 さて『史記』殷本記に見えるところの殷の昔、王武乙のころ、王の墳墓を造営するために、殷の軍勢が近隣の諸族を攻め、数千の捕虜を得た。人夫とし、後にはその一部を人牲とするためである。
 
 この征伐に先立って、殷の巫覡たちは大いに占卜してこの戦争の次第を取り決めた。
 注記:巫覡はシャマン。巫が女、覡が男。殷のころ、亀甲獣骨を焼いて水を打ち、亀裂を見て卜し辞を刻むことが盛んに行われた。占いを貞といい(『説文解字』貞は卜問なり)、巫覡のうち、貞人はとくに重要であった。
 華山のふもとに井という姜族の城塞があり、貞人が将軍の人選を占った。
 「甲午卜して葦貞ふ。今春、王は人三千を供せしめて姜(キョウ)を征するに、婦好をもってこれ伐せんか」
 甲午の日、貞人、葦が、三千の軍勢を、王女の好(コウ)に授けて、姜を討てるか否か占った。すると大いによしと出たので、好は殷兵を率いて、殷都から西のかた、華山へ進軍した。
 注記:甲骨文に婦人の将軍を述べるものがいくつかある。珍しい事例ではあろうが、殷の習俗が後の周以降に比べれば、女卑の癖の少ないものであったことは確かなようである。
 好は巫であった。殷の王族はおしなべて巫覡である。王は神聖な聖人であり、王族は神の声を聴く。ゆえに衆に尊ばれ、抜きん出ることができる。好はこれまで主に雨乞いの祭祀をしてきた。占卜と違うことなく、必ず雨を降らせてきた。殷人はまだ年若い好を、すでに偉大な巫であると認めている。だからこのたび姜の討伐を任された。好に従う三千の兵卒、多くの勇将たちも、好を畏れ、敬っている。
 殷軍が山西の峠を越えるとき、一陣の強風が巻き起こって、兵が何人も崖に飲み込まれた。すわ異族の神の襲来かと殷兵はみな危ぶんだ。そのときひとりの男が、
 「なんぞ畏れる。姜の岳鬼、なにするものぞ。我らに媚好あるを忘れたか」
 と大声で呼ばわった。
 注記:強力な巫をとくに媚ということがある。
 諸人見れば容貌堂々として威風凛々、虎文の鎧をまとい、象牙の兜をいただいて、相貌きりりと引き締まり、いかさま世の常にない偉丈夫。これぞ殷の王族で虎甲(ココウ)という豪傑。虎甲は好の近縁で、幼いころから気心が知れている。互いに未婚であるから、両家でそういう話も出ている。しかし好がうんと言わない。好は巫祝に生きると決めている。
 「虎甲! おのれ!」
 好は車上で虎甲の声を聞き、苦々しく思った。またくだらぬ祭祀をやらされそうである。好の苛立ちを知ってか知らずか、虎甲は好の車に駆け寄って、拝し、
 「好将軍、いませ。いま姜の岳鬼が突風を起こし我らを襲っておりまする。なにとぞ、卜問を」
 などと言う。
 「黙れ!」
 好は腹を立てた。怒鳴った。虎甲の企みは充分にわかる。ここで自分が巫としての力を顕示すれば、兵卒と諸将はますます自分を畏れ、従う。若年の娘を将軍にいただくことを快く思わない将もいる。好の巫の実力を疑う者もいる。だがくだらぬ。岳神など、ここにはいない。いれば、好は虎甲などに促されずとも、祭祀、呪禁をもってこれを払う。偽りの儀礼を行えというのだ。好は車を飛び出した。諸人見れば、長身に天冠をいただき、白金の鎧をつけ、長い髪を束ねて三交にし、容貌秀麗、雪のごとき白い肌に眼光は爛々と輝き、威風凛々と風を切るその姿。
 「虎甲!」
 「好将軍、まず見鬼を」
 虎甲は謹んで傾首する。その凛とした所作がますます癪にさわる。
 「そのほうの顔、見るのもいやじゃ!」
 言い放ち、虎甲の額のあたりを指差す。指を指すのは、呪詛である。針を打ち、その場に留め置く、金縛りの効力と意味がある。
 「恐れ入りまする」
 虎甲はひざをつく。すでに一歩も動けない。殷軍中でも第一の豪傑たる虎甲がである。好に指を指されたなら、熊ですら一瞬ひるむであろう。思い巡らす。
 〈なんだってんだい。そりゃあ、虚術だ。でも好娘娘(ニャンニャン)を思ってのことじゃないか。なんだってんだ。指差しはひでえや〉
 注記:娘娘は女神の意で、ここでは女性への尊称。
 虎甲もまた覡である。見鬼くらいはできる。岳神がいないことは知っている。
 「そのほう、われを使役せんか!」
 好が怒鳴りつける。好の近侍の者たちがさまざまになだめる。
 「姫さま、いかがなさいました」
 「姜の岳神いますに、これ何事でございますか」
 好は聞く耳を持たない。殷で第一、すなわち中夏第一の大巫を自任する自分が、使役されて偽りの祭祀を執り行うなど、我慢がならない。虎甲は自分の才を侮っている。許せなかった。このまま挙動による呪詛をもって虎甲を殺してしまってもいいと思った。
 そのとき、突如として好の脳髄を一線の雷が走り、彼女に天を仰がせた。直後、雷雲もくもくと起こって天を覆い、たちまち豪雨と電光が殷兵に降りそそぎ、突風がおびただしく吹き荒れて、峠に落ちる兵卒の叫喚が、山々に鳴り響いた。
 「娘娘!」
 虎甲が叫ぶと、天を見ていた好、虎甲にきっと向き直り、
 「虎甲、矛をもて!」
 「娘娘、岳神だ、それも、大物だぞ!」
 「岳神にあらず。夷風なり」
 注記:夷は方角神の一で、西の神である。西風をつかさどる。
 「夷風! 娘娘、どうする!」
作品名:Ramaneyya Vagga 作家名:RamaneyyaAsu