犬を愛した女
「・・男は孤独でも誰かと繋がりたいと思わないんじゃないかな。むしろ社会的に認知されたい、NO1になりたいとか、権力を持ちたいとか。」
「女は淋しく、男は孤独。同じようで微妙に違うのね。」、「でも割り切ったの、旦那丈夫で留守がイイていうじゃない。生活の心配はないし、自由がいっぱいあるし、Kさんと遊べるし・・それに」
フフと嬉しそうな表情をした。「ワンちゃんがいるんだもの。」
窓際のスタンドハンガーにA子の毛皮が掛かっている。
一見すると、ショーウインドゥのマネキンのようであり、夜景に見入る人影のようである。通り過ぎる車のライトが毛皮の影を壁に投影していく。仄暗い室内に突然大きな影が現れ小さくなり消えていく。壁にKの背広が吊されていた。
「重なるのは一瞬ね。」
「??」
「アッ、来た来た、あれ見て。」
大きな人影が現れ壁の背広に重なったかと思うと消えていった。
「何だ、オレたちのことかと思ったよ。」
「ピッタリ重なってたけど続かない。重なるのは影だけ・・」
「・・意味深だね。」
「でも・・重なって離れないものもあるわ。」
Kは茶化した。「磁石?借金?それとも背後霊?」
「フフッ、焼かないでね。ワンちゃんよ。ピッタリ寄り添うわ。24時間365日全神経、全エネルギーを私に注いでくれる。絶対裏切らない。」
「あのポインターかい、疲れない?」
「気持ちが安らぐの。ワンちゃんがいるとホッとするわ。彼のいないのは馴れたけど、ワンちゃんのいない生活は考えられない。」
「そういえば、警察に届けるといったら飛んできたよな。」
「殺処分されると思ったの。あの時は必死だった。何でもする覚悟だった。」
「だから、オレと寝た訳か。」
「そう・・」悪戯っぽく頷いてから意外なことをいった。
「それに・・Kさんとセフレしているのも、ワンちゃんのため!」
エエッ!驚いてA子を見つめた。
「怒らないでね。ワンちゃんは発情すると凶暴になるの、Kさんに噛みついたのも発情してたから。発情は私が原因なの。」
「発情がキミのせい?」
「そう、私のせい、私が悪いの。生理が近づくとモヤモヤするでしょ、犬は敏感だから感応しちゃう。感応してワンちゃんも発情するの。だからモヤモヤを解消しなくちゃならない。」
「・・それでオレとセフレに?」
これみよがしに艶然と微笑むA子。怒るべきなのか、感謝すべきなのか、言葉をなくして戸惑うK。ふと疑念が湧いた。
「セフレってオレだけだろうか?」
久しく会えないことがあった。
旦那のところへ行ったと思ったが、何の音沙汰もなく気を揉み出した頃、例によって突然A子が現れた。季節は蒸し暑い梅雨で、髪を切り、Tシャツにジーンズ、カジュアルな格好であった。季節ごとの豹変に驚かされていたが、今回はスッピンで心なし疲れた感じである。どうしたのだろう?はやる気持ちを抑えて話を聞こうと思った。
「髪の毛、切ったんだ。何かあったの?」
「べつに・・」
「どこへ行ってたの?」
「・・内緒。」
「体調が悪いの?」
「・・べつに。」
一日千秋の思いであったKは気のない返事に苛立った。話を諦めて唇を近づけるとクルリと背中を向けた。かすかに石鹸の匂いがした。さてはHするために準備してきたなと、強引にTシャツを捲(まく)った。??背中に鮮やかな傷がある。
「これ、どうしたんだ?」
「・・・」
「誰がつけたんだよ!」
「・・彼がつけたの。」
「彼って旦那?」
「もちろんでしょ、一時帰国してたの。」
旦那のつけた生々しい傷に挑発された。
「彼ってどんな男?」
「・・・」
引っ掻いたような傷跡を舌でなぞった。嫉妬と欲情と憤怒の絡んだ複雑な気持ちだった。つい旦那の名前を聞いてしまった。傷を舐められてA子は淫らになったのだろうか、上ずった声で口走った。
「シュンっていうの。お尻がピンと張ってピューマみたい。・・久しぶりで凄かったわ。」
Kの頭に血が昇った。嫉妬がメラメラと燃え上がった。
「二股かけやがって、懲らしめてやる!尻を出せ!」
血相を変えたKに驚いたのか、いわれるままに尻を突き出した。ジーンズを剥ぎ取り激しく平手打ちするK。
「淫乱女め!オレと旦那とどちらが凄いか!」
鬼の形相でそのまま背後から攻めた。髪を振り乱しマゾヒスティックに喜悦するA子。背中傷から血が滲み出す。激しく高ぶるK。男は肉棒と化し女は肉壺になった。獣の咆哮で登り詰める二人。激しく肩で息をしながら呻いた。
「ど、どちらがイイ!」
「・・・」昇天したA子は応えられない。乱れた髪が汗ばんで張りついている。髪を鷲づかみして叫んだ。
「オレと旦那と、どっちなんだよぉ!」
四
梅雨明けのうだるような暑さであった。
A子の家があると覚しき集落のバス停に降り立った。背中の傷以来、A子の身辺が気になりだし、それとなく最寄りのバス停を聞き出しやって来たのである。集落の背後に広大な丘陵が広がり大規模なニュータウンが出来ている。新規オープンの案内であろう、飛行機が拡声器で呼びかけ、アドバルーンが浮かんでいる。
昼下がりの集落は眩しい夏の日差しに人影もなく閑散としていた。酒屋を見つけると自販機でビールを買い、店に入って暇そうにしている老婆にA子の家を尋ねた。
「この辺は同じ名字ばかりですよって、名前を聞かんことには。」
A子の名前を教えると首を傾(かし)げた。
「聞いたことありますな、その人どんな方ですか?」
「30歳くらいで、ご主人が海外赴任されて実家に戻っておられる。」
「ああ、庄屋さんとこですわ。」
老婆が探るようにKを見つめた。
「ところでお宅さん、庄屋さんとどんな関係ですの?」
ご主人の友達でA子さんに相談ごとがあると応え、ベンチに腰掛けてビールを飲んだ。暑い日で喉が渇いていたから一気に飲み干すとひと息つき、もう一缶注文すると安心したのか老婆は喋りだした。
「A子さんは離婚したと聞いてるんやが、ご主人は外国ですか。ここらの農家はニュータウンで金持ちになったんです。A子さんとこは庄屋で山持ちやったから大金持ちですわ。突然大金が入るとエエことありませんな。大概の家がもめてる。うちは商売やから関係ありませんけどな、お金も善し悪しです。」
「その点、Aさんとこは一人っ子で、お母さんが亡くなってますやろ、揉めようがない。みな羨ましがてたんやが、ここ2,3年でバタバタと悪うなった。お父さんが倒れはって、A子さんが戻って来て、お父さんの世話、家のこと、村のことを一人でやってはる。若いのに大変ですわ。」
ご主人が帰国していたと告げると顔を綻(ほころ)ばせた。
「そりゃエエことですな、たまには帰って来て頑張ってもらわんと。あの家は何代も続く旧家やから絶やすわけにいかんのです。」
「他所様のことは言えませんけどな~」声をひそめた。