犬を愛した女
「そうなんです。昨夜は一睡も出来ませんでした。それで決心したんです。彼を助けるためなら何でもしようって・・」
犬のことを彼というのに違和感を覚えた。
「何でもするって?」
しばらく思案していたが、思い詰めた面持ちで応えた。
「・・もし、もし良かったら、私を差し上げます。」
差し上げるって?!何を言っているのか理解できなかった。マジマジ見つめるK。俯(うつむ)いた女の顔がみるみる赤くなっていく。おもむろに尋ねた。
「・・それって、身体で弁済するってことですか?」
コックリ頷(うなず)いた。上気した身体から妖しい色香が溢れている。この美女が身体を預ける?!Kの欲望に火がついた。しかし何か裏があるかもしれない。頭を冷やそうと立ち上がった。
要するに治療費や休業費が払えないのだ。だから身体で払うというのだ。とすれば寝る値段は十数万円、一夜限りとすれば法外な値段だ。一物はすっかりその気になっている。女を見据えるとタバコを取り出した。
「身体でチャラにしようってことだね。とすれば、どんな身体か確かめてみなくっちゃ。・・脱いでくれる。」
なかなか脱ごうとしない。紫煙をくゆらしながら念押しした。
「イヤならいいですよ。無かったことにしよう。被害届は出しますから・・」
弾かれたように立ち上がった。「わ、分かりました。」
毛皮を取りブラウスとミニスカを脱ぎ下着姿になった。「これでいいですか?」
Kの欲望がたぎっていた。「全部取るんだ!」
後を向いてブラを外し屈んでショーツを取ろうとした。その刹那、豊かな腰つきと垣間見えた乳房に欲望が爆発した。アア~喜悦しながら倒れる女、柔肌がみるみる桜色に染まっていく。うなじに食らいつき覆いかぶさるK。激しい獣の交わりであった。ことを終え放心して転がるK。グッタリ打ち伏す女が呟いた。
「ワンちゃん、届けないでね。」
翌朝、目を覚ますと女はいなかった。
すぐに電話したが繋がらず、その後何度電話しても梨のつぶてで、未練は残ったが贅沢な甘い夢を見たと諦めるしかなかった。幸いギブスは10日で外すことが出来、それからテープを巻いて出社し1月半ばには完治した。その後は年度末で多忙を極め、女のことはすっかり忘れてしまった。新年度の人事が一段落した春、見知らぬ留守電が入っていた。
「ご無沙汰しています、A子です。お怪我は治ったでしょうか?」
A子?・・しばらく誰だか分からなかった。ポインターの毛皮女だと気付いたとき、思わずヤッタ!と叫んだ。小躍りしながら電話を入れた。
「もしもしKです。お久しぶりです。電話を頂くなんて夢みたい。電話しても繋がらなくて諦めていました。嬉しい!凄く嬉しい!!」
「遠くにいたので連絡が遅れました。スミマセン、アキレス腱は治りました?」
「とっくに治りましたよ。元気でピンピンしています。ぜひお会いしたい!」
「ワア~良かった!これから伺ってよろしいですか?」
「どうぞどうぞ。貴女の扉はいつでも開けていますから。」
女の来訪はいつも突然である。小1時間ほどしてチャイムが鳴り現れた。春の宵闇に髪を束ねたワンピースの女が立っている。??艶やかな毛皮女のイメージだったから眼を疑った。あれから半年余り、爽やかに微笑む女は別人のようである。
「オオッ!何という清楚さ、どうぞどうぞ。」
抱きかかえるように招き入れた。たくし上げた女のうなじが匂い立つ。何だろう、柑橘系の甘い香りがした。
「本当に久しぶり、何という品の良さ。今夜は最高だ!」
薄化粧にすみれ色のワンピース、背筋を伸ばして座る女は見違えるように洗練されていた。
「あの後すぐ日本を離れました。治療費のことが気になっていたんです。」
「治療費?あれって済んでるじゃないですか。身体で・・」しまった!口を押さえたが遅かった。女は恥ずかしそうに目を伏せた。
「・・あれはワンちゃんを届けるとおっしゃったから。」
興奮を鎮めようとタバコを取り出した。海外といい、精算といい、それに今日の上品さといい、セレブかもしれない。今夜は奇跡だ。つき合いたい、彼女のことをもっと知りたい。真剣な面持ちで見つめた。
「A子さん、貴女のことが忘れられなかった。つきあって下さい。」
俯(うつむ)いた瓜実顔がホンノリ赤らんでいる。
「それは、それは無理ですわ。主人がいますから、海外勤務の・・」
「ご主人がいらっしゃる?!」
絶句して頭を抱えた。女とつき合いたい、旦那がいる、どうすればいいのだ。突然光明が射した。そうだ!結婚するわけじゃない、つき合うだけだ。人妻でもいいじゃないか、海外勤務なら会いやすい!
「構いません!それでもイイです、つきあって下さい。絶対に迷惑かけません。」
思案する女の指のルビーが揺れている。華奢な白い手を握りしめた。
「貴女は赤いルビーだ。美しく情熱的で止まらない・・」
抱き寄せるとしなだれてきた。とろけるような長いくちづけ。アア~女から全身の力が脱けていく。餅肌が桜色に燃えしっとり濡れている。ゆっくり舌を這わせた。愛おしむように、慈しむように、身体の隅々まで愛撫した。乳房をほおばり秘所に指をやると、イイッ!すぐに果ててしまった。愉悦の海を漂う女。官能を反芻するように腰を動かすK。陶然とした面持ちの女が呟いた。
「セフレにしてもらえません?」
三
大きく切ったマンシュンの窓から、暗夜に億兆の星くずをばらまいたような市街地が一望できる。燦(きら)めく星くずは散らばったり固まったり、渦巻いたり流れたりして見飽きることがない。A子は訪れた女達と同じようなことをいった。
「最高のロケーションじゃない。こんな所で好きな人と一緒に暮せたら素敵よ。どうして結婚しないの?」
「ウ~ン・・他人と暮らす自信がない?相手に飛び込む勇気がない?・・というか30歳過ぎてテンションが下がった。コンビニやネットで不自由しないし、ズルズル今の状態が続いている。先を思うと何とかしなければと思うんだけど。」
いつもの回答である。A子は自分のことを語った。
「結婚って情熱よね、若気の至りっていうか。私もこの人しかいないと思って結婚したけど、彼が海外赴任するし父が倒れるし実家に戻っちゃった。何年も離れて暮らすと、結婚て何なんだろうと思ってしまうわ。」
「一緒に外国で暮らそうと思わなかった?」
「最初は暮らしたけど、ひどい途上国で肌に合わなかった。父が倒れて世話しなければならないし、帰って来てそのまま・・もう戻らないわ。」
「子供は?」
「・・」
「彼も適当に遊んでいるみたいだし。」
「・・遊ぶのは仕方ないと思うよ。健康な男なら発散させないと身体がもたない。男のHは愛と関係ないんだ。旦那をかばう気はないけど。」
「フフッ、自分をかばってるんでしょ、セフレしてるから・・私が遊ぶのはどうしてだろう、淋しいからかな。」
「淋しい?」
「甘えたいとか、分かって欲しいとか、繋がりたいとか・・Hより心が大きいと思う。」