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かざぐるま
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欲望の方舟 ~選ばれしモノたち~

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『日本国・地下鉄』 一月八日


 真奈美は、ハルマゲドンから今日で何日経ったのか分からなくなっていた。
 地下鉄の構内は、例えようのないひどい匂いが充満している。ここ数日、人ごみをかき分け何度も上の階に両親を探しに行ったが、結局その姿を見つけることはできなかった。
 あの日幸運にも煙はここまでは降りて来なかったが、予想どおりついに食料が底を尽き始めた。何より水がかなり不足している。水道の水は飲まないほうがいいと言われていたが、生き残った人は我慢できずに飲んでしまっていた。飲んだ人は例外無くひどく体調を崩して苦しんでいる。やがて水には黒いものが混ざり始め、悪臭を放ちだす。ついに三日前からは蛇口を捻っても何も出なくなった。
 最深部にあるこのホームから地上に出て行った人もいたが、帰ってきたという噂は一度も聞かない。しかし、ここに居てただ体力を消耗して動けなくなる位なら、真奈美は外に出てみようとついに決心した。最後のビスケットを二人で分け合って食べたのは今朝の事だ。
 妹のさとみはぬいぐるみを抱いて、すやすやと眠っている。
 こころなしか、妹の頬は少しこけているように見えた。だが何も知らないで眠っているあどけない顔は、まるで天使のようだった。
 真奈美はさとみを胸に抱えて、リュックを背負い立ち上がった。水を飲んでいないからか、ふらふらしている。妹をホームにゆっくりと押し上げ、よじ登る。ただそれだけの行為で、ひざががくがくしていた。
 ホームの上ではあちこちに人が固まり、気力を無くしたうつろな目をして座っている。
「お嬢ちゃんたち、地上に出るのかい?」
 黒いマントを羽織って、窮屈そうに座っている男が声をかけてきた。彼の隣には同じくらいの年の女性が、半分眠ったようにして寄り添っている。
「はい、妹に水を飲ませたくて。あの、今地上はどうなっているんですか?」
「たぶん外は瓦礫の山だよ。あたり一面真っ黒だったって噂で聞いた。しかしいい知らせもある。池袋の方は被害が少なくて、商店が丸ごと残っているらしい。ま、あくまで噂だけどな」
 吸い込まれるような瞳をした男は、短いタバコに火をつけながら教えてくれた。
「ありがとうございます! 早速行ってみます。あの、おじさんたちは行かないんですか?」
 奈美の表情は、少し明るくなり始めた。
「おう。これも噂だけど、政府が物資を届けてくれるらしい。あの日に無線を持ってた男がいたろ? あいつがそれを受信したとか昨日触れ回ってたよ。でもな、あと三日も水が無いとみんな死んじまうから、ここで待つのもかなりの賭けだよな」
 ひきつった顔に無理やり笑顔を作って答えた。
「俺もさ、新宿でちょっとは名の知れた占い師だったけどよ、悲しい事に自分の運命は占えねえんだ。ちょっとお嬢ちゃん、手を見せてごらん」
 差し出された真奈美の手相を見て、一瞬だが顔が曇る。
「こりゃあいい手相だ! いいか、お嬢ちゃん。運命は自分で決めるもんだ。気を付けて行くんだよ」
 目を細めて、うまそうにたばこの煙を吐き出しながら微笑む。
「ふふふ。おじさん、嘘が下手ですね。おじさんたちも頑張って下さいね」
 真奈美は頭をぺこりと下げると、妹を背中に背負って階段に向かった。階段には大勢の人が疲れた顔をして座り込んでいた。寝ている人以外は、みな一様に目だけがぎらぎらしている。
「お姉ちゃん。ここどこ?」
 目を覚ましたさとみが、背中から強く抱き着いてきた。何か熱っぽさを感じ一度下ろしておでこをつけてみると、やはりかなりの熱がある。妹が不憫でしかたなく、泣き出しそうになったが何とかこらえた。
(あたしが泣いたら、この子も不安になってしまう!)
「今からお外に出るからね。さとみはしっかりとお姉ちゃんの背中に掴まっててね」
 妹の“異常なほどの”高い体温を背中に感じながら、一歩一歩階段を上っていく。地上近くになると、焦げ臭さに加えて何かの腐ったような更にひどい匂いが漂ってきた。
 冬とはいえあの日から数日が経っているのだ。時間はかかったが、なるべく不気味なカタマリを踏まない様にして地上に出た。
 地上は――想像以上に酷い有様だった。灰色と黒の世界が広がっていて、むかし原爆ドームで見たモノトーンの写真のようだ。周りのビルは黒く焼け焦げ、電信柱は溶けて倒れている。車はひしゃげてひっくり返り、タイヤはおろかホイールさえも全て燃え尽きている。
 口をタオルで覆うと、妹の口にもタオルを被せてから背負い上げる。そして池袋と思われる方向にゆっくりと歩き出した。一刻も早く、飲料水と薬を手に入れなければいけない。
 しばらく歩くと鼻の下に生ぬるいものを感じた。手の甲で拭ってみる。
「あれ、鼻血が出てる」
 だんだん目も霞み、頭も痛くなってその場に立ち止った。その瞬間、妹の身体が一瞬だけだがすっと軽くなったような気がした。
(神様、まだ妹を連れていかないで)
 そっと妹を降ろすと、自分もその場に崩れ落ちる。その拍子にぬいぐるみもぽとんと足元に転がった。
「おとうさん、おかあさん、あたし、さとみ。みんなここにいるよ」
 転がったぬいぐるみをそっと妹の腕に挟んだ。妹の手はもう冷たくなっていた。高濃度の放射線は、真奈美の細胞も完膚なきまでに破壊していた。
「お姉ちゃんちょっとだけ疲れちゃった。起きたらポテトサラダ作る……ね」

 しばらくすると、眠るように目を閉じた姉妹の上に、ぽつぽつと冷たい雨が降りだした。