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かざぐるま
かざぐるま
novelistID. 45528
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欲望の方舟 ~選ばれしモノたち~

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『町田市』 クリスマス 午前九時 


「裕也君、ひとみさん、ご結婚おめでとうございます。新郎の裕也君とは幼稚園からの親友です。去年の僕の結婚式に、立派なスピーチをしていただいた事を今でも忘れていません。人々が続々と市街地から逃げ出している中、僕は反対方向のここに来てしまいました。いや、何があっても来たかったのです。噂によれば、あと数時間で日本は核攻撃にさらされますが、もし仮にそうであっても、今お二人は夫婦になったのです。お二人の愛の力で……」
 スピーチはまだ続いている。
 新婦の友人である菜緒は、友人席で特に目頭を熱くしていた。避難しろという家族の強い勧めを断って、ここ町田まで来てしまった。一番の親友である、ひとみの結婚式に今日はどうしても参加したかったのだ。
 ハルマゲドンの噂を今や信じない人の方が少数派だったが、菜緒は未だに信じられないようだった。
 友人席の菜緒のテーブルには、彼女を合わせて新郎の友人数名しか座っていない。がらーんとした結婚式場の会場には、スタッフさえも少なく、新郎の弟や友人が礼服を着たまま忙しく手伝っている。正直、こんなに人がいない結婚式に出るのは初めてのことだ。
 広い会場には丸テーブルが十個ほどあったが、結局、親戚などを含めても十数名しか参加していない。
「新婦のお父さんは二年前に失踪して今日は来てないよ。お母さんが脳溢血で倒れてから、ひとみさんが働きながらずーとお母さんの世話をしていたらしい。それでやっと結婚が決まったと思ったら、ハルマゲドンて」
 身体が大きくワイシャツの襟首が喉にめり込んでいる新郎の友人が、身体を傾けそっと菜緒にささやく。人数があまりにも少ないので、友人たちは男女混合テーブルにまとめられていた。
「そうなんですか。あの娘あたしにも全く話してくれなかったんです。昔からひとみは、辛いことがあっても顔に出さないから……」
 菜緒の顔は曇った。小学校からの付き合いなのに、知らない事だらけだ。
「では、お食事を楽しみながら新郎、新婦のスライドショーをご覧ください」
 司会の女性が言い終わった瞬間、突然ドアが開き誰かが飛び込んできた。うす暗い室内のじゅうたんに扇型の光が広がったが、逆光でその人物の顔は見えない。
「ひとみ! 俺だ。おまえの結婚式があるって聞いて、九州からすっ飛んできた! 父さんて呼んでくれとは言わない。ただ、ここの隅っこでいいからおまえの晴れ姿を見ててもいいか?」
 くたびれた背広を着た男は、ひとみの顔を遠目に見ると顔を手で覆った。指の間からは涙が光っているのが見える。
「お父さん! 勝手に居なくなって、今さらなによ! あれからお母さんね、無理がたたって倒れたのよ!」
 ひとみは立ち上がり、会場に響き渡る声で叫んだ。車椅子に乗って最前列にいたひとみの母が、ゆっくりと振り向く。だが、入口に居る人物が誰かは、もう認識できないようだった。
 会場の人々は顔を見合わせながらも、事の成り行きを見守るしかなかった。今やスライドショーを観ているものは誰もいない。
「……父さんが悪かった。そう、そうだな。俺にはそんな資格は無い。でも一目でもおまえの晴れ姿を見ることができて、本当に良かった。じゃあな、幸せになってくれ」
 父親はそのまま踵を返すと、歩きだした。
 その時、暗い室内に白い閃光のような、例えるなら白い妖精のようなものが横切った。
「待って! お父さん。小さい頃に私、お父さんのお嫁さんになるって胸を張って言ったわよね。その時、私に優しく微笑み返してくれた顔が、悔しいけどどうしても忘れられないの。いろいろあったけれど、また母さんと私の所に戻って来て欲しい。ありがとう……来てくれて嬉しいわ」
 うしろから父にウエディングドレスのまま抱きつくと、手をとりながら二人はゆっくりと向かい合った。
「俺を許してくれるのか?」
「まだ許せないけど、私のお父さんだもの」
 彼女の後には、新郎が深々と頭を下げていた。
「ひとみさんを幸せにします! 今日は人が少ないですが、最後までここに居て見てて下さい」
 会場から大きな拍手が起こった。大泣きしたのか新婦のメイクはすっかり崩れている。
 涙を手袋で拭いていたひとみが、急に目を大きく見開く。
 なんとその方向には、車椅子に乗ったまま満面の笑顔で拍手している母がいた。重度の脳障害が残り、今まで何に対しても全く反応しなかったのに。ここ数年表情さえも動いた事がなかったのに! その母が優しく笑っている。
「お父さん、お母さん。それに親戚の皆さまと友人の方々。今、いっぺんに奇跡が起きました。皆さまも今日この式に参加することは、相当の勇気が必要だったと思います。今日結婚することができて私、本当に幸せです。ありがとうございました!」
 司会が持ってきたマイクに向かってそう言うと、ひとみは涙のしずくを光らせながら頭を深く下げた。
 だが(ひょっとしたら、この幸せはあと数時間で終わってしまうかもしれない)と、心の片隅で何かが警告音を発していた。



『さいたま市』 クリスマス 同時刻 


「お母さん。留美ね、お昼はみんなで作ったカレーが食べたい」
 七歳になる小さな娘が母のエプロンをつかむと可愛い目で見上げた。夕食と言わないところが、子供ながらも何かを感じ取っていたのかもしれない。
 ここ、さいたま市も東京ほどではないが、パニックになった群衆がスーパーやコンビニなどを襲う事件が頻発していた。
 やけになった者たちが避難民を集団で襲撃し、食料を奪った。若い娘たちはレイプされたうえ、家族全員が殺されるという凶悪な事件さえも起きている。
 ある刑務所では、刑務官が我先にと非難を始めた影響で、囚人が大量に野に放たれた。治安はどんどん悪くなり、最近は夜間の外出など誰もしなくなっていた。
 都市部からの脱出で主要道路はいつも大渋滞していたが、どこに逃げても同じだと考える人々は、今までと変わりなくひっそりと暮らしていた。
 父と母、そして娘が住む宮内家も、避難という道を選ばなかった家族だ。
 窓からの柔らかい日差しで、父と母をモデルにしたと思われる留美の書いた絵が壁に浮かび上がる。それは額に入れて大切に飾ってあった。
 今やこのマンションのほとんどの人たちは、親戚を頼り田舎に避難済みだ。
 父のひろしと母の幸恵は(もし、もうすぐ世界が滅びるなら、最後は家族と一緒にいたい)と考えた。
 結婚して六年が経ち、よく夫婦喧嘩もしたが子供の事を思う気持ちはお互い同じだった。
「留美はカレーが好きだなあ。よーし、今日はお父さんも手伝うぞ。留美もじゃがいもの皮むきやってみるか?」
「うん!」
 夫と妻と娘は、居間に新聞紙を広げるとじゃがいもの皮むきを始めた。
「こうやって左手でしっかり持って、ゆっくり動かすのよ。ケガしないようにね」
 幸恵は娘に手を添えて、にこにこしながら教える。その姿を見ているひろしも楽しそうだ。
「できたー!」と留美はじゃがいもを母に見せたが、母がむいたのと比べ何かが違うことに気付いたのか可愛く小首を傾げる。
「留美のじゃがいもさんはだいぶダイエットしたわね」
 幸恵はくすくすと笑いながら、小さなじゃがいもを鍋に入れる。