欲望の方舟 ~選ばれしモノたち~
『エターナル・市街』 十二月二十四日 正午
「一時間ぐらい外で気分転換をしてきたまえ。これから人生で一番忙しい日が来るからの」
スタッフたちを心配させるくらいに、颯太は仕事に没頭していた。仮眠はとっているが、まとまった睡眠はここ数日一度もとっていなかった。
「分かりました。ちょっと外の空気を吸ってきます」
数分後、ショッピングモールの中をぶらぶらと散歩している颯太の姿があった。エターナル国民は、明日何が起こるか知らされているにもかかわらず、モール内はいつものように賑わっている。これは太田が信頼されているのか、L・D・Fが信頼されているのか。たぶん……その両方だろう。
「颯太さん? 颯太さんじゃないですか!」
突然後ろから声をかけられる。振り向くと、美奈がにこにこしながら立っていた。髪の毛の色が少し明るくなって、それに合わせた眉の色も愛嬌のある顔によく似合っている。
「美奈ちゃん久しぶり! そう言えば、地上に出てからエターナル本社に配属になったんだっけ?」
この偶然の再会が余程嬉しかったのか、颯太の顔もほころんでいる。
「そうなんですよ。あの施設で最後に本部長を見てから、もう四日も経っちゃいました」
「サラ本部長様は、地下でもまた偉そうにしているのかな」
同時にクスクスと笑った。この時二人は、サラが『消去』された事を知らなかった。
「いよいよ明日だね。今夜からエターナルは非常警戒体制に入るんだ。美奈ちゃん明日はどこにいるの?」
「社員は自宅待機か、本社の避難所に行けと指示されています。なんでも本社の社屋には小型のLDなんとかって装置が設置してあるようで安全らしいんです」
名前をよく思い出せない感じで首をひねる。
「L・D・Fだよ。エターナルの主要な建物にはそれが設置されているから、明日は本社に行った方が安全だね」
美奈のことを案じてか、少し心配そうな顔を見せる。
二人ともお昼がまだだったため、近くにあった喫茶店に入ることにした。喫茶店の中もそうだが、街の中は総じて平和そのものだった。日本国ではパニックも発生し始め、人々が右往左往しているのと比べると不気味なくらいに平穏だ。
「カラン、カラン」
店のドアにはサンタの人形のついたベルがぶら下がっていて、ゆらゆらと二人を歓迎してくれた。
内装は木目調で、山小屋のロッジみたいな雰囲気の店だ。店内には、山下達郎の『クリスマス・イブ』が小さな音で流れている。
窓際の席を美奈に勧め、スパゲティのランチを二つ頼んだ。
「そう言えば美奈ちゃん。もし美奈ちゃんがこっそり地下施設の人と連絡を取るならどうする?」
答えをあまり期待してない様子で聞いた。
「そうですねえ……。地下施設と地上はネットも繋がってないですし」
美奈は下くちびるを軽く突き出し、懸命に考えているように見える。
「だよなあ。ネットさえ繋がっていればどうにかできるんだけど」
運ばれてきたアイスティーのストローを、口にくわえた。
「……でも、地下から地上の映像を見れる方法はあるはずなんですよ。確か、本部長がブレインシステムの画面を出している時にちらっと見ましたから」
何故か美奈は複雑な表情をしている。
「えっ! どういうこと?」
「地下施設から地上の映像を見られるカメラが複数あるんです。本部長がこっそり見てましたから。ひょっとしてこの回線だけはネット回線使ってたりして。んなわけないか」
これを聞いたとたん急にマジメな顔をして、颯太は黙り込んだ。とんとんと指先で机を軽く叩きながら、何かを頭の中で組み立てているようだ。
「それは知らなかったな……。俺の権限では見れなかったから。美奈ちゃん! ありがとう。それはいいヒントになりそうだよ」
手を伸ばすと笑顔で美奈の片手を握り、ぶんぶん振った。
「えと、今はどうなってるか分かりませんよ」
耳まで顔が真っ赤になった美奈は、されるがままになっている。
「大丈夫! ネットに繋がってさえいれば、時間はかかるけど何とでもできる。俺のウワサは聞いてるでしょ?」
「……女たらし?」
「違うよ! もう」
「冗談ですよ。天才って聞いています。あの本部長も一目置いてましたもん」
頬を膨らます颯太の様子に美奈の笑いは止まらなかった。そのうち颯太もころころと一緒に笑いだす。
「メリークリスマス」
新聞から顔を上げたヒゲのマスターは、二人の屈託のない笑顔を見てそっと呟いた。
食事が終わると、颯太は自分の電話番号を美奈に渡した。エターナルに、いや、美奈自身に予想外の何かがあった時のために。
作品名:欲望の方舟 ~選ばれしモノたち~ 作家名:かざぐるま