欲望の方舟 ~選ばれしモノたち~
船出
『エターナル上空』 十二月十二日
エターナルの上空二万五千メートルを、高高度偵察機U-2S(ドラゴンレディ)が飛行していた。この偵察機は最高時速マッハ0.8のスピードで、成層圏を飛ぶことができる。
エターナルでの〈太田勝利襲撃事件〉により、世間の注目はL・D・Fシステムに集まった。この事件はセンセーショナルに各国で放送され、それを受けて外国の軍事産業が食指を動かした。そして日本国だけでなく、世界各国のスパイ組織がエターナルに入国しようと画策を始めていた。
エターナル側は襲撃事件の後、さらに警戒を強めた。入国、出国審査も厳しくなり、特に沿岸警戒は日本国をはるかに上回るレベルになっている。
アメリカ合衆国が飛ばしたドラゴンレディは、エターナルを実に十二回ほど高解像度カメラで撮影していた。宇宙服のような与圧スーツを着たガルシア大尉が、成層圏から軍司令部のダッジ少佐に向かって発信した非公式の記録が残っている。
「私は現在、日本の上空二万二千メートルを高速で飛行している。日本って国はおまえが言っていたとおり、緑が豊かで非常に美しい島国だな。おい、ダッジ聞こえてるか? ったく、この国に原爆を落としやがった野郎の顔を見てみたいもんだ。おっと、今のはオフレコにしといてくれ」
以下は二日前に行われたL・D・Fシステム開発者である那智博士の、記者会見での様子だ。
「あーあー。マイク入ってるか? えー、このシステムを開発し、実用化した那智だ。おまえさんたちは勘違いしてるかもしれんが、最強の盾を持つことと、最強の矛を持つことは基本的に意味合いが違う」
カメラのフラッシュが焚かれる中、眩しそうな顔をして博士は続ける。
「エターナルは、誰も傷つけないことを全世界に約束する。あ、おまえさんたちに、いいニュースがあるぞい。そこのカメラもうちょっと寄ってくれ。えーゴホン。では発表する。今日この瞬間から、エターナルを矛で突いてこなかった国だけに、申し出があれば技術提供を前向きに検討するかもしれん。以上だ」
この記者会見の目的は、諸外国の『けん制』にあった。
アメリカ合衆国は、特にこの言葉を重く受け止めたらしい。アメリカ大統領から日本への通達があったのかは分からないが、この日から日本政府も目立った威嚇行動を控え始めた。
だが水面下では、那智博士に密かに接触しようと諜報活動が更に活発になっていった。
『地下施設・コンピュータ室』 十二月十七日
街頭では、フライング気味のサンタクロースたちがチラシを配りだし、日本にもクリスマスの雰囲気が少しずつだが漂い始めていた。
だが、相変わらずハルマゲドンの噂はネットやマスコミなどで流れている。信じる信じないはともかく、人々は漠然と“何かが起こる”とは感じていた。
今日で俺と颯太は全ての作業が終わり、仕事部屋を綺麗に片づけた。最後の仕上げとばかりに、選民プログラムを密かにモニターに出してみた。
【A‐0998 B‐0999 C‐10000 D‐0000】
収容最終日まであと三日だ。この数字を見ると、ほぼ計画通りといっていいだろう。俺たちは、それぞれの部屋に帰ると荷物をまとめ始めた。
颯太は明日からMICに戻る予定だったが、太田さんに会えば転職という道を選ぶに違いない。
そして俺は、今日このままA‐ブロックに入れられるらしい。もちろん愛里とは例のコードを使って毎日連絡をとっている。あっちで友達もでき、元気にやっているようで一安心ではあった。
「先輩、後で部屋に顔出しますね」と五分前に内線があったので、俺は颯太を待ちながら珈琲を入れていた。しばらくしてドアが開くと、大きなボストンバッグを持った颯太が真面目な顔をして入ってくる。
「先輩、お世話になりました。ここでは色んな事がありましたけど、一緒に仕事ができて楽しかったです。あれから考えたんですけど、やっぱり俺、那智博士と仕事がしたいです。そう言えば太田さんって先輩の幼馴染なんですよね。何か伝えることがありますか?」
ペコっと元気よく頭を下げてから、思い出したように質問した。
「うん。よろしく言っておいてくれ。おまえは太田さんについて行けば大丈夫だ。颯太は颯太のやりかたで、エターナルを守って欲しい」
「任せてください。シェルターよりも安全で快適な環境にしてみせますよ。時間はあまり残されてあ無いようですけど」
「頼んだぞ。地上から俺達に連絡を取る方法も見つかったらいいけどな」
頷いた後、何やら深刻な顔をして俺の近くに来て、耳元に口を寄せた。
「資格者の条件なんですが、共通する部分をやっと見つけました。ある特定の遺伝子を持った人だけが選ばれている可能性があります。マーカーにシリアルナンバーが小さく振ってあるはずです。裏側をよく見てください」
ひそひそ声でささやく。まるで誰かに聞かれるのを恐れているように。
言われた通りに裏返してよく見てみると、確かに小さな番号が振ってある。よほど注意して見ないと分からないほどだ。
『0888』
「先輩、覚えてませんか? 0888って。なんと、先輩が……『ADAM』なんです。これが何を示しているかは分かりませんが、1000人に一人の特別な何かなんでしょうね」
「俺が……『ADAM』だって?」
全く凡人の俺が、人より優れた何かを持っている事などにわかに信じられなかった。しかもその1000人さえも、1億3000万人から選ばれた“特定の遺伝子を持った人間たち”なのだ。
「あとどうしても気になる事がひとつ。各ブロック入口に遺伝子照合の最終チェックがあります。書き換えマーカーの愛里ちゃんが、なぜすんなりパスできたのかが理解できません。愛里ちゃんは〈特定の遺伝子を持っていない〉んですから。普通ならそこでERRORが出て入室拒否をされるはずです」
不思議そうな顔をしながら頭を掻いている。
「うーん。分からないな。よし、端末は監視されていると思うけど、入所したら独自に調べてみるよ」
「そうですね。こないだのコードは検索にも使えます。でも……」
「三分間だろ。分かってる。颯太、本当にありがとう。おまえのような部下を持って俺は本当に幸せだった」
また涙ぐみそうになるのをぐっとこらえる。
「先輩こそ最高の上司ですよ。先輩と仕事ができて本当に良かったです。連絡方法については、天才ハッカーの名にかけて俺が何とかします。任せて下さい」
つられて泣きそうな顔なのに、無理にニカッと白い歯を出して胸を叩く。
「頼むぞ、颯太」
「先輩、お元気で。また!」
最後に深いお辞儀をすると、部屋を出て行った。
それを待っていたかのように内線が鳴り、一時間後に迎えが来ることになった。いったいA‐ブロックとは、どんな所なのだろうか。脱走したおかげで一日だけだが太陽と空を見る事ができた。しかし最初の方に入所した人たちは本物の空をずっと見ていないだろう。鳥たちが自由に飛んでいたあの青空を。
俺たちはひょっとして『安全という果実』を与えられ、育てられているモルモットに過ぎないのかもしれない。
同じ頃、B‐ブロックで愛里は不思議な現象を目にしていた。
作品名:欲望の方舟 ~選ばれしモノたち~ 作家名:かざぐるま