欲望の方舟 ~選ばれしモノたち~
愛里は興奮で顔が真っ赤になり、マーカーを手首から強引に外そうとする。だがその行為をするたびに、キョトンとして一瞬記憶を無くしているようだ。何も知らないで見ている分には、少し面白い光景だ。
「サラにこの話を持ちかけられた時から、愛里ちゃんを助けるつもりでした。先輩には出来ない事をしてやるって。でも、不正は不正ですから、この際ワルモノになっちゃおうと思ったんです。失礼な態度をとって申し訳ありませんでした」
悲しそうに眼を伏せる。
「おまえの気持ちはわかった。カッコつけやがって」
熱いものがこみ上げ、俺はいつの間にか涙を流していた。愛里の前で格好悪いが、袖で拭いても拭いても止まらない。
そのまま五分が過ぎ、愛里が口を開く。
「颯太……。私はまだ全然納得できてないけど、地上に出たらすぐ太田勝利って人を訪ねてみて。きっとあなたの力になってくれるはずよ」
愛里は手帳を取り出すと何かを書き込み、破って颯太に渡した。少し記憶を無くしていても、俺につられて泣いていたのか目が少し赤くなっている。
「そうだ。太田さんなら颯太の才能を最大限に生かしてくれるはずだ。おまえが那智博士と組めばL・D・Fの性能は格段にアップするはずだよ」
「L・D・Fってなんですか? っていうか、まさか先輩はあの那智博士と知り合いなんですか? しかも一緒に仕事ができるなんて。……夢みたいだ」
博士の名前を聞いたとたん、瞳が知的にきらきらと輝きだした。
「四国は今、エターナルという独立国家になっている。詳しい事は太田さんに聞いてくれ。きっと颯太の力が必要になると思う」
「那智博士と颯太かあ……。なんかすっごいものができそうね」
何を想像しているか知らないが、とても興奮している。
「先輩、愛里ちゃん。命令されたとはいえ、俺のしたことは許される事ではありません。そのかわりといっては何ですが、一人でも多くの人を助けるために俺は俺でがんばります! 先輩たちも頑張って下さい。もし生き残れたらまた三人で会いましょう」
「もちろんだ。でな、颯太。このあと愛里はB‐ブロックに隔離される。うまく連絡をとる方法はないかな」
颯太は少し考えると、パソコン画面にハッキングシステムを立ち上げた。
『Noah2 ハッキングプログラム バージョン?』
画面にドクロマークの背景が映り、カタカタ笑っている。颯太のセンスはよく分からない。
「いいですか。これから言うコードを紙に控えてください。〈MF-75166G〉これを自分の部屋にあるパソコン端末から、Noah2のブレインシステムに入力します。いわゆる裏コードですが、一日に三分以上使用するとシステムに気付かれて二度と使用できなくなりますから注意して下さい」
「ありがとう颯太。ところで、ここに残って仕事を続ける事にしてくれたのもおまえの口添えなんだろ?」
「どうですかね。今はとりあえず仕事を早く終わらせて、一刻でも早く博士の手伝いをしたいです」
その眼を見て、あれから颯太が俺の為にいろいろ動いてくれていたのを悟った。それから昔話に花が咲き、時間はあっという間に経ってしまった。入口のドアが開き、警備員が時間を告げる。このドアをくぐったら、愛里はB‐ブロックに行かなくてはならない。
(次に会えるのはいつになるか分からないが、必ずまた会いに行くから待っていてくれ)
この時、心に誓った。しかし、その考えが甘かったと気付くのは、だいぶ後になってからである。
「いろいろありがとう、颯太。あなたのとった行動は決して許される事じゃないけれど、気持ちはすごく嬉しかったわ。私も太田さんに頼まれた仕事もあるし、頑張ってみるよ」
愛里はまず颯太に、次に俺に近づき軽く抱きしめると、警備員に連れられ部屋を出て行った。細く頼りない後姿だったが、俺は何となく愛里が更に強くなっていくような印象を受けた。
彼女は少し歩くと急に立ち止まり、振り向きざまに親指を立ててそのまま横に何度か振る。これは俺と彼女だけに通じるハンドサインだ。乗馬の時によく使う。
『まっかせなさいっ』――サインはそう伝えている。しっかりとその姿を眼に焼き付けてから彼女に背を向け、かつて居た自分の部屋へ向かう。
俺たちは、この瞬間からそれぞれの運命に向かって走り出していた。
【ハルマゲドンまで、あと一八日】
作品名:欲望の方舟 ~選ばれしモノたち~ 作家名:かざぐるま