僕達の関係
と、月代は俺の腕を両手でがっちりと掴んだ。
そして、今度は片手で俺の腕を掴みつつ、自らのウエストポシェットから、
水が入った小さなチューブ付きの容器を取り出して汚れを洗い流すと、
消毒綿で傷を拭き、素早く絆創膏を貼った。
*
「す、すまねえ」
と、俺が礼を言うと、
「先輩は私の夢ですから……」
と、月代が言った。
「私、中学時代は陸上部だったんです。でも、あんまり速くないから、レギュラーになれなくて、
そんな夏の大会の時、先輩を見かけたんです。そこで先輩がとっても綺麗なフォームで走る姿を見た時に、
私、本当に感動して……その時に思ったんです。私が速く走れなくても、
先輩の応援やサポートはすることが出来るって。だから……」
そこで月代は一旦言葉を切った。そして、
「だから、私は1番を目指す先輩に、マネージャーとしてサポートをしようって……
先輩のマネージャーとして1番を目指そうって。それが、私の夢になったんです」
「……そ、そんなことが、あったのか。……だから、ここに……」
月代がこの高校に入学した理由が、
まさか俺のマネージャーになる為だったとは、知る由も無かった。
俺は、決して一人で走っているんじゃない。
マネージャーや同じ部員の仲間、皆がいるから、思い切って走ることが出来る。
月代の告白を聞いて、俺は改めてそのことを認識させられた。
「でも……こんなこと言って、迷惑ですよね。
……先輩に、勝手に自分の夢を託したりなんかして」
と、月代は下を向いた。だが、その姿を見て、俺は、
「そんなことねえよ、月代。だけど……」
と、言いながら、月代の頭にポンっと、さっき絆創膏を貼ってもらった左手を置いた。
そして、
「……せ、先輩?」
と、目に涙を溜めて、不安そうに俺を見上げる月代に、
「一度口に出した言葉は、もう引っ込められねえからな。
そこまで言うからには、俺と一緒に一番になるまで、とことん付き合ってもらうぜ!」
と、言った。すると、
「っ?! 先輩!!」
今の今まで泣きそうになっていた月代の顔が、パアッと花が咲いたように輝いた。
「ただ、そうなる為には俺もお前も、まだまだ力が足りねえ。
だから……だから、もう一本! もう一本行くぞ! 月代!
そして、もう一度、さらに0.2秒、自己記録を更新するからな! 付き合え!!」
と、俺が高らかに宣言すると、
「はっ、はい! 先輩!! 私、何度だって付き合います!!」
と、月代も、元気一杯に答えた。
「はっはっは! その意気だ! ついて来い! 月代!!」
「はいっ!!」
そして俺達は、再び自己の限界に挑戦し始めた。
まるで走る度に、お互いの距離を近づけるようとするかのように、全力で、いつまでも――いつまでも走り続けた。
*
――僕は通学路を一人で歩いている。
めーちゃんとは、割りと普通に話せるようにはなってはきたけれど、
それでもさすがに、一緒に登校出来るような雰囲気ではない気がする。
実はあれから、遥さんの提案で二人一緒に行動するのを控えようということになった。
すると、そのおかげもあってか、どうやらクラスメート達の間で、僕達二人は別れたということになったらしく、
それを聞いた隆が、「悟、元気出せよ」等と、僕を気遣って励ましてくれた。
だけど、声をかけてくれたことは嬉しい反面、
同時にどうしても、隆を騙しているような罪悪感を感じてしまい、僕の胸は苦しくなった。
お昼休み、いつもなら売店でパンを買って、屋上で食べるけれど、
今の僕は正直、人が沢山いる場所に身を置くことに抵抗があったので、
いつもはあまり行かない、旧校舎の裏で食べることにした。
普段、僕達が授業を受けている校舎は、昨年に新設した新校舎で、
旧校舎はそれ以前に使われていた場所だった。
現在は夏期講習や特別授業、または、検定時のテスト会場として、他校から来る生徒達が使う場合等、
通常時以外の臨時的用途が主になっている。
――旧校舎が近づくにつれて、段々と人気が少なくなっていく。
新校舎の影になったせいもあり、ここは、どこか薄暗い寒気を覚えるような場所になってしまった。
そのせいで、生徒達からは、学校のミステリースポット的な扱いを受けるようにもなっている。
夏休みになれば、肝試しの会場として使われることは、まず間違いなかった。
元々、臆病な性格の僕は、普段ならこんな場所に一人では来ないけれど、
それでも今は、隆を騙しているという罪悪感もあってか、他人の視線に晒されたくない気持ちの方が強かった。
それに旧校舎の裏には古いベンチがいくつも置いてあるので、
こんな時、一人でお昼ご飯を食べる場所として、そこは打ってつけの場所だったのだ。
――目的の旧校舎に着いた僕は、さらにその裏へ回ろうとした。すると、
てっきり誰もいないと思っていたその場所に、何やら人影が見えて、僕は咄嗟に校舎の壁へと身を隠した。
「……びっくりした。どうして、こんな所に人が……」
別に悪いことをしている訳でもないのに、僕はなんだか肩身が狭くなってしまい、
縮こまるようにして、その場へとしゃがみこんだ。
そして、もう一度、恐る恐る壁の向こう側を覗いてみた。すると、
その人影は二つあり、しかも――その両者とも、僕に見覚えのある人物だった。
「な……なんで……遥さんと、め、めーちゃんが……」
あまりにも意外なツーショットに、僕は面食らった。
めーちゃんは、遥さんのことを、あまり快くは思っていないようだったし、
正直、遥さんにしても、とてもじゃないが、めーちゃんと、馬が合う性格だとは思えなかった。
なのに……それなのに、これは一体……?
「――あ……ま、まさか……この間、遥さんが、任せてって言ったのは……
だ、だとすると、こ、これって、まずい状況なんじゃ……」
二人がここで喧嘩でも始めるんじゃないかと思い、僕は焦り始めた。
しかし、しばらくそのまま見ていても、二人は特に言い争う様子もなく、
そのうち、一緒にお弁当を広げ始め、ベンチに座って食べ始めた。
「ど、どういうことなんだ……」
もしも、二人が争い始めたら、すぐに出て行かなければいけないと思い、
勇気を振り絞っていた矢先、意外にも穏やかなこの状況を見て、機先を制されてしまった僕は、
半ば判断停止状態となって、その場に立ち尽くしてしまった。すると、
「宮間くん。覗き見かい?」
と、不意に真後ろから誰かに声をかけられた。
*
「うわわーっ?! ――――っ?!」
突然のことに驚いた僕は思わず大声を上げた。すると、その瞬間、
声の主らしき人物の手が素早く伸びてきて、後ろから僕の口を塞いだ。そして、
「――しっ! 静かに。落ち着いて。二人に気づかれてしまう」
と、耳元で囁いた。
しかし、不意に後ろから声をかけられた上、いきなり口を塞がれて落ち着けるほど、
僕は冷静な態度ではいられなかった。