僕達の関係
そんなことをしたら、今度は遥さんが皆からどう見られてしまうのか……。
それを思うと、素直に頷けない自分がいる。
「大丈夫。私に任せて、宮間くん」
僕の心配を他所に、遙さんは自信ありげに言った。
もう、前みたいな遙さんになる心配は無いとは言え、
どことなくアクティブな遙さんを見ると、僕はつい不安になってしまうのだった……。
*
ショックじゃなかった……と言えば、嘘になる。
小さい時から、ずっと好きだった、さとくん。
それでも……少し前までは、幼馴染のままでもいいなんて思ってた。
ずっと一緒にいられたら、それだけで。
だけど――それはもう、変わってしまった。
秋本との仲を疑った時……自分でもありえないと思う程に激しく動揺した。
そして、そのまま膨れ上がった気持ちの混乱に翻弄されて、
考えるよりも先に、二人に対してそのことを追求する言葉をぶつけてしまった。
そして――さとくんの本当の気持ちを確かめる為に……キスをした。
そんな形での……私のファーストキス。
その味は、巷で言われているような甘酸っぱさなんて、全く無かった。
空気のように空虚なくせに、気持ちの奥底まで突き刺されるような、
鈍い痛みだけが残る、無味乾燥な感触。
想いが届かないキスに、何の意味も無いなんて、
知りたくもないような気持ちだけを抱えながら、私はさとくんを秋本の元へ送った。
それが――さとくんの幸せだと思ったから。
なのに……それなのに……突然現れたあの風変わりな女の子が、さとくんの彼女だなんて……。
さとくんは、最初に聞いた時も、そして今朝も、あの娘との関係を否定はしなかった。
だけど……何故なのか、それでも私は、どうしても納得することが出来なかった。
秋本は……秋本の私に対する気持ちは……きっと、さとくんを前にした時の私の気持ちと一緒のはずなのだ。
それでも秋本は、そんな私を、私の気持ちを知った上で、受け入れてくれた。
それなのに、それに比べて、未だこんな感情を抱いてしまう私は、
なんだか、とても小さい人間のような気がしてくる……。
「だめだ。こんなんじゃ」
と、私は思わず呟いた。
「桐野、何がだめなんだ? 分からない問題でもあるのか?」
私の声に反応して、先生が声をかけてきた。
独り言のつもりが、割りと大きな声を出してしまっていたらしい。
もしも、これが休み時間の喧騒の中であれば、誰も気には止めなかっただろう。
だけど、今は授業中。それも小テストの最中という静寂の真っ只中だった。
「あ……い、いえ、な、何でもないです。すみません……」
しどろもどろになりながら、私は誤魔化すように下を向いて答案用紙を見直した。
これじゃ、まるで、さとくんみたい。と、私は、今度は心のなかで呟いた。
当の本人が聞いたら「めーちゃん。そんな言い方しなくても……」とかなんとか、
むくれながら言うに違いないけど、そんなやり取りすら、もう出来ないのかも知れないと思うと、胸が痛くなった。
そんな中、上の空のまま終えた小テストだったが、日頃からそれなりに勉強していたおかげで、
絶望的な点数になることは無かった。
――さとくんは美術部、秋本は陸上部。
帰宅部の私は、二人が何らかの都合で部活動が無い日等に、
時々は一緒に帰ったりもしたけれど、今の状況ではそれもしづらかった。
放課後、そんなことを思いながら、沈んだ気持ちで一人教室で帰り支度をしていると、
不意に誰かの足音の気配が近づいてきて、私の座っている席の真後ろで止まった。
私が驚いて振り返ろうとすると、同時にその誰かにいきなり手を握られた。
そして、そのまま強引に席を立たされ、引きずられるようにして教室の外まで連れ出される。
「ち、ちょっと! あ、あなた、何なの……っ?!」
私は、慌てて手を振りほどこうとして、そして、ギョッとした。
「あのね。ちょっと”めーちゃん”に、話があるんだけど」
そう言って、振り向いた相手の顔は、私が知っている顔だった。そして、
「……あ、あなたに”めーちゃん”だなんて、呼ばれたくないわよ。……でも……」
その顔を見た瞬間、私は自分の血が逆流していくような感覚を覚えて、
攻撃的な気持ちが沸き上がってくるのを自覚した。
「でも?」
そんな私の気持ちにはお構いなしに、その主は私の目を真っ直ぐ見ながら、不敵に言葉の続きを促した。
「丁度良かったわよ。私もあなたに話したいことがあったからね。――水谷遥さん」
と、言いながら、私も彼女の目を睨みつけた。
*
「へ〜。私の名前、知ってたんだ。ビックリ」
彼女は然程驚いた訳でも無いのに、わざとらしく言った。
「聞いたことくらいあるわよ。2年C組、写真部の不思議ちゃんって言ったら有名だから」
噂……と言うより、殆ど揶揄に近いが、変な話し方と赤い眼鏡のこの娘のことは、
同学年の生徒なら、誰でも一度くらいは聞いたことがある。
授業中、しょっちゅう教室から抜け出しては、写真を撮りに出かけたり、
相手お構いなしのマイペースな言動や行動は、空気を読めない等ということを通り越して、
もはや奇行の部類に属していると専らの評判だ。
真相は定かではないが、中学時代には一人の男子生徒を追い詰めて、
学校を辞めさせてしまったという話すら、聞いたことがある。
この娘にまつわるそのような話は、枚挙に暇がなかった。
「ふうん。ま、ここじゃなんだから、屋上行きましょう?」
私の険悪な眼差しを意に介さず、彼女は階段の方を指さしながら言った。
「……いいわ」
望むところだ。噂話が嘘か本当か、そんなことはどうでもいい。
ただ、さとくんがこんな娘と付き合うなんてことは、やっぱり、どう考えてもありえない。
きっと、この娘に何かされているに違いない。
そうであれば、絶対に許す訳にはいかないのだ。
――屋上へ出ると、ビュウと強い春風が髪の毛を捌いた。
私達は、建屋の裏側へと周った。
ここは先日、さとくんと一緒にお弁当を食べた場所だ。
つい最近のことなのに、今はその時と余りにも状況が変わってしまっている。
あの時の関係には、もう戻れない。その現実を改めて突きつけられたような気がした。
「さて、何から話そうかな」
彼女は――この状況を作った元凶である、水谷遥は、呑気な調子で言った。
「待って。その前に聞きたいことがあるわ。あなた、さとくんと付き合ってるなんて嘘でしょ?」
相手の言葉を制止して、私は単刀直入に尋ねる。
「……どうして、そう思うの?」
特に表情を変えずに、彼女は聞き返した。
「私は、あなたなんかより、ずっと、さとくんのことを良く知っている。
さとくんの性格からして、あなたみたいな強引な人に何か言われたり、
自分勝手なことをされても、きっと拒絶することなんて出来ない。
あなたはそれに浸け込んで、さとくんを好き勝手に振り回してるだけなんでしょ? 違う?」