僕達の関係
桐野は震えながら、俺を盾にするかのように後ろへ隠れつつ言った。
この先の角を曲がると、効果音と煙に合わせて、天井から生首が落ちてくる仕掛けがあるのだが、
さっき程度のお化けでこのリアクションでは、次はどうなってしまうのか、俺は不安になってきた。
とりあえず、桐野を脅かし過ぎないように、生首が桐野の死角になる角度を考えながら歩き始めると、そこで予想外のことが起きた。
「あ……あああ、あの角には、な、何かいるよ。絶対……」
桐野がそう言いながら、前の方へ意識を集中した瞬間、先程のお化けが後ろからそっと忍び寄って、桐野の肩を叩いたのだ。
「ヒィ?! うっ、ぅわわわぁぁぁぁぁーー!!」
完全に不意を突かれた桐野は、警戒していたことを忘れて、前方へ向かって疾走し始めた。
「お、おい、桐野、ちょっと待て! そ、そっちには……!!」
桐野の全力疾走には、この俺でも簡単には追いつけない。
案の定、角を曲った瞬間、派手な照明と煙が吹き上がって――
「ギャアアアアーー!!」
天井から吊り下がった生首を前にして、桐野はひっくり返った。
そして、そのまま亀のようにうずくまり、ガタガタ震え始めた。
「き、桐野!! だ、大丈夫か??」
なんとか追いついて、俺は声を掛けたが、それに桐野は反応しない。
そして、何やらブツブツ呟いている。
「お、おい――桐……」
桐野の肩越しに顔を寄せると、その呟きが具体的に聞こえてきた。
「……くん……さとくん……怖いよ――助けて……さとくん……」
「桐野――お前……」
桐野は助けを求めていた。今、目の前にいる俺ではなく、ここにはいない悟に――。
「分かったよ、桐野。俺が悪かった。大丈夫だって、もう戻ろう……」
俺は桐野の肩にそっと手をやると、ゆっくりと起き上がらせて、元来た通路を戻り始めた。
すると、さっき桐野の肩を叩いたお化けが、こちらの方をまだ向いている。
考えてみれば、このお化けが、あんなに驚いていた桐野に追い打ちをかけるようにして脅かさなければ、
桐野もここまで追い詰められはしなかったのだ。
「おい、あんた! 何もあんなに脅かさなくても良かっただろう!」
と、思わず俺が文句を言うと、
「す、すみません。別に脅かそうとした訳ではなくて、これを……」
そう言って、お化けは何かを差し出した。
「あ……」
見ると、それは年間フリーパスポートのチケットだった。
どうやら驚いた拍子に、桐野が落としたらしい。お化けは、これを渡そうとしていただけなのだった。
「そうだったんですか……こ、こちらこそすみません。わざわざどうも……」
俺はかなりバツが悪くなりながらチケットを受け取って、未だ怯えている桐野と二人、そそくさと入り口から退散した。
*
お化け屋敷を出た俺と桐野は、園内のカフェで休憩をすることにした。
店員にアイスコーヒーを2つ注文した後、
「大丈夫か?」と、俺は改めて桐野の顔を見ながら聞いた。
「うん……ごめんね。秋本……」
桐野は申し訳なさそうに、上目遣いで俺を見ながら謝った。
「いや、それを言うなら、俺の方こそ悪かったよ。まさか桐野が、ここまでお化け嫌いだとは思わなかった」
「なんか、恥ずかしい……私、取り乱しすぎだよね」
「――気分転換のはずが、怖がらせて、結局、思い出させちまったな……」
俺は、お化け屋敷で桐野が生首に驚いて、うずくまりながら呟いた言葉を思い浮かべながら言った。
「ん? 何のこと……?」
「いや、ほら。さっきお化け屋敷で、お前、助けを呼んでいただろ? 何度も……」
「ええっと、ごめん。私、あの時、怖すぎて自分が何を言ってたかとか全然覚えてなくって。
……も、もしかして、何か恥ずかしいこととか言っちゃってた?」
「い、いや――だったらいいんだ。大したことじゃない」
本当に覚えていないのか……それとも、ただとぼけているだけなのか。
――いずれにしても、追い詰められた状況で、桐野の心の中の正直な気持ちが、口をついて出てしまったことに変わりはなかった。
「気分転換……か……」
桐野の為の気分転換のつもりだったが、どうやらそれは、俺自身の為でもあったようだ。
部活に打ち込んで、割りきっていたつもりが……心のどこかで期待していたのだ。
悟に彼女が出来たことで、もしかすると桐野はこちらを向いてくれるかもしれない。
ほんの少しでも、悟のことを忘れて――俺の方へ、と……。
だけど――そんなはずはなかった。これまで、二人の関係を見てきた俺には分かっていたはずだ。
桐野と悟の関係は、そんな簡単に忘れたりするような、安っぽい物じゃないってことくらいは――。
「秋本? どうしたの?」
急に黙り込んでしまった俺を見て、桐野が心配そうに聞いてきた。
「いや、なんでもない。それより、まだ時間もあるし、なんか乗るか?」
そうだ。でも、それは構わないはずだ。桐野の心の中に悟がいる。――だとしても、
桐野が少しでも元気でいてくれれば、俺はそれでいいはずなのだ。
「うん! 乗り物は好き! じゃあ、乗っちゃおうか?」
「おう! まだここの絶叫系を、完全に制覇してないからな!」
俺たちは、残りの絶叫マシンをコンプするべく、店員が運んで来たアイスコーヒーを一気飲みすると、勢い良く店を出た。
そして、ほぼ全ての乗り物で遊び終わった頃には、日はすっかり落ちて、空には夕焼けが見え始めていた。
「あー楽しかったー」
桐野が満足そうに、大きく伸びをしながら言うと、
「お前、絶叫系本当に好きなのな……」
と、俺は本気でフラフラになりながら、疲労の色が全く見えない桐野を、半ば呆れながら見た。
「あと、まだ乗ってないとしたら、何かなー」
「おいおい、まだ乗る気か……」
と、言いかけて、俺の目に、ある乗り物が映った。そこで、
「――なあ、桐野。絶叫系ではないけど、最後にあれでも乗るか?」
と、俺はその乗り物を指さしながら言った。
そこには、大きな円を描いてゆっくりと回る、巨大な乗り物があった。
「あ、観覧車――」
観覧車は、この遊園地の一番目立つ乗り物だが、桐野が絶叫系しか眼中になかった為に、すっかり忘れていたのだった。
「いいかもー。夕日が綺麗だし、私乗りたい」
「よし、決まりな。じゃあ行こう」
俺たちは、受付で手続きを済ませると、スタッフに招かれるまま、観覧車のゴンドラに乗り込んだ。
*
観覧車がゆっくり回り始めると、景色は段々高く、広くなっていき、
近隣の木々や建物は、夕焼けに照らされながら、光と影のコントラストを強めていく――。
ふと見ると、桐野も同じように、夕焼けのオレンジ色の光に照らされていて、
そのせいか、なんだか昼間よりも、少しだけ大人っぽく見えた。
「ん? どうかした?」
一瞬、時が止まったような錯覚を覚えて、桐野の顔をじっと見つめてしまっていた俺は、少し焦りながら、