記憶の冥き淵より
Ⅸ
そして、私は全ての記憶を取り戻していた。それは、かつて自分自身によって封印した記憶だった。
あの夜、私は母の後ろに隠れて見ていた。狂ったような母にドアから押し出される兄を。
あの夜、私は布団の中で聞いていた。ドアの向こうから聴こえる、母に許しを乞う兄のか細い震える声を。
翌朝、玄関脇で冷たくなっていた兄を、母は私に手伝わせて、家の床下に埋めた。そして、母は兄の存在を示す一切のものを処分したのだ。
私は罪の意識に苛まされ、耐え切れそうになくなった。だから、私は自分の記憶をそっくり書き換えることにした。
虐待されていたのは兄ではなくて私だった。真冬に家から閉め出されたのは兄ではなくて私だった。ひょっとしたら、兄を救うことができたかもしれない。けれど、兄が家から閉め出されたとき、私はなにもしなかった。だから私は、家から閉め出された私を兄が救ってくれたストーリーを作り上げ、自分の記憶を書き換えた。
私は、自分の精神のバランスを保つため、全ての記憶を書き換えたのだ。
それは、母の行為とどれほど違うのだろう。母の行為は決して許されるべきものではなかったが、だとしたら、私の行為はどうだったのだろう。
作品名:記憶の冥き淵より 作家名:sirius2014