夜、汽車に乗って
列車は夜の中を快調に走る。線路の横で、生活の灯が通り過ぎて行く。車が行き交う事も無い閑散とした道路。街灯は虚ろな道を照らし、信号機は誰に知られる事も無く、青、黄、赤と色を変える。世界は眠りについている。窓の外の景色を見ていると、そんな事を思う。街を抜け、真っ黒い夜に沈む山も、ぼんやりと明るい枯れ野も、ぼくに音をとどけずに過ぎて行く。
ふと思い出して、鞄の中で祖父の家の鍵を探る。大丈夫、忘れて来たりしていない。安心して、鞄を棚に戻すと、ぼくはもう一度地図を見直す。向こうに着いても迎えに来てくれる人など居ないのだから、ぼくが道を解っておく必要がある。まあ、何度も見直して復習しなくても、その場に着いたら見れば良いのだが、どうもぼくは方向音痴で、見知らぬ土地ではすぐ迷う懸念がある。迷う前にある程度道が解っていれば多少迷っても不安がないだろうと、ぼんやりと地図を眺めている。それもいい加減飽きて、ぼくは地図を書類入れに、書類入れを鞄に、片付け、窓のスクリーンを降ろし明かりを消す。もう寝るとしよう。この列車に乗っている時間が七時間あるからと言って、乗り換えの駅に着くのは朝の六時半なのだ。そこから別な特急列車に乗って三時間と、時間の余裕はあるのだが、十全に動こうと思うなら眠るに超した事はない。ぼくは暗闇の中目を閉じる。呼吸を深く、静かに、ゆっくりと。全身の力を抜いて、四肢の形が意識から消えて行くのを待つ。ゆっくり、ゆっくり、ただゆっくり。
感覚が消えて行く中、記憶の中から一つの景色が脳裏に浮かぶ。整然と並んだ無機質なパイプ椅子。がらんとして誰もいないホール。大理石の固い床。色とりどりに飾られた花々。中心に添えられた祖父の写真。写真の中で、祖父はいつもの笑顔を浮かべていた。ただ、祖父の纏う装束の黒が酷くそぐわない様に思えた。