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夜、汽車に乗って

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 二日前の水曜日。ぼくの平凡な日常。
「卒論大丈夫なのか、お前?」
「さあ。何とかなるんじゃないかな」
 その日、たまたま、あるいはやはり、そんな事が話題に上った。夏が明けてからそれなりに日が経っていた。ぼくらにとってそれは目前の話で、目下の悩みの種だった。自動販売機前の、いつもの雑談場所。買ったばかりで手に熱い缶コーヒーを啜りながら、たわいもない事をだべりだべりし半時ほど過ごしていた。罪の無い、意味も無い話をしていても、どうしてもその話題に帰って行く。ぼくとしてはあまり語り合いたい内容ではなかったのだけれども。
「教授にだいぶ絞られただろう」
「まあ、それなりに」
 卒業論文の中間発表。準備が終わっていないのは、仲間内ではぼくだけだった。今年の夏、祖父の家から戻って来てから今の今まで、全くと言って良いほど学校に関わる何事もする気力が湧かなかった。そしてその感覚のままに、ぼくは特に何もしない事を選択していた。それが準備が遅れに遅れている原因だった。発表まで後一週間ちょっと。余裕があるという日数ではない。その日も教授に呼び出され、論文の進み具合など訊かれ、早くしろ早くしろと要求されて来た所だった。
「どうするんだよ」
「どうにかするよ」
 決まりきった応対。繰り返しの使い回し。いつもの様に、いつもの如く。そうしてその話題は終わった。きっと明日も同じ会話をするのだろう。その次の日も。その次も。そして同じ言葉でその場限りの解決を得るだろう。
「今日はどうする?」
 ぼくにとってあまりに陰鬱な話題が終わった後、地球上に分布している黒砂糖の生産地でどこが一番うまい黒砂糖を生産しているかと言う議題で一頻り語り合った後、友人はそう言ってぼくを酒に誘った。
「今日は止めとくよ」
 ぼくはしばらく考えてからそう答えた。普段は酒の誘いは断らない事を信条としているけれども、最近はあまり飲む気分でもない。無理を押して行く気すら湧いて来ない。ぼくは、酒を愛している事を誰に恥じる事無く宣言できる。でも酒は万病に効く薬ではない。サークル会館に用事があると言う友人に、ねんごろなぞんざいさで別れを告げ、ぼくは家路に付く。
 アパートまでの帰り道。通いなれた赤煉瓦の遊歩道は、色づき落ちた枯葉で埋まっていた。一歩を踏むたび、パリパリと乾いた音で枯葉は砕けて潰れる。パリパリ、パリパリ。ぼくはもくもくと歩く。歩きながら、考える。
 どうしてぼくはここに居るのだろう。どうしてぼくはここに来たのだろう。
 それはただの気まぐれだったのかもしれない。たいした意味など無かったのかもしれない。ただそうする事が心安く思えたからだったのかもしれない。なにも選べなかったから流れに任せただけだったのかもしれない。
 でもそれは過去の事だ。もう今と成ってはどうしようもない。その時分の無責任さを後悔してみても現状は変わらない。それでは意味が無い。ぼくには現在があり、なんとかしないといけないのは現在なのだから。
 ではぼくは今何がしたいのだろう。どう進むのを求めているのだろう。ぼくが望んでいるのはどんな未来なのだろう。
 見慣れたコンクリート尽くしの小さな川で水鳥が羽ばたいている。風に乗れず、ばたばた、ばたばた。間抜けに思える試みを暫くつづけて、水鳥は川の水面に降り立つ。先日までの雨模様で、川の流れは幾分早い様だった。今日の空はきれいに青い。疎らな雲は白く、流れが早い。ばたばた、ばたばた、水鳥が飛び立った。しばらく羽をばたつかせ、そして風に乗ってゆったり空を滑る。今晩は何を食おうかと考えながらぼくはアパートに急ぐ。


作品名:夜、汽車に乗って 作家名:七節曲