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スーパーカミオ患者様

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IDチップで認証すると、実年齢が表示された。58歳女性、糖尿病と高血圧と痛風で治療中だ。過去に顔のしわ取り手術や眼瞼下垂など複数の美容整形手術と胆石の手術を受けている。同時に、電子カルテを表示するPCの画面にレッドランプが点灯した。この患者がクレーマー患者であることを告げるアラームだ。続いて画面にカテゴリー8レベル5と表示される。カテゴリー8は医者の失言を引き出して慰謝料を引き出そうとするタイプのクレーマーを意味し、レベル5は過去に医療訴訟で5回以上勝訴している最強強度のクレーマーを意味する。一瞬、私の顔が引きつるのを、彼女は見逃さなかった。

「何で人のカルテを見るなり顔をひきつらせているんですか?」と鋭い目つきのままで笑顔を振りまきながら、非常にやわらかい物腰で話しかけてくる。

「いえ、何でもありません。実年齢よりずっとお若く、とてもおきれいですので、驚いているんですよ」私はとっさに思いついた言い訳でやり過ごす。

「本当かなあ、怪しいなあ」と言いながら、彼女は画面を覗こうとする。だが、医師用の特殊なゴーグルを着用しないと、PCの画面には沖縄の海と空の写真しか写っていない。口惜しそうに彼女は画面から目をそらした。

「今日はどのようなことで受診されたのでしょうか?」今度は私が訊く。

「あたしさぁ、趣味がジョギングじゃん。でさー、週に4-5日は10キロ走ってんじゃん。でさー、最近両ひざの内側が痛いんだよねー。そんでー、原因知りたくて来たわけーみたいな」
「なるほど、それに非常にお困りですね。心よりお悔やみ申し上げます。本当に膝の痛みって辛いですよね」診療マニュアル通りに、まずは相手に対する共感を示すことから会話を始める。

「何でかな?何であたしの膝は痛いの?教えてくれる?」だんだん馴れ馴れしさが増してくる。顔は笑っているが、その眼は獲物を狙うヘビやトカゲのように冷たく光る。敵意がなさそうな感じで徐々に距離をつめて近づいてくる手法は、ヤクザやクレーマーが多用する手口だ。
「年齢のせいかな?それとも、太ってるからかな?」ますます距離を詰めてくる。整形を繰り返した般若の面のような顔が怖い。

もちろん、ここで同意すればやられる。「真田とかいう医者に、お前の膝が痛いのはババアでデブだからと言われた。トラウマになって、自殺も考えた。患者様不敬罪で訴えてやる。それが嫌なら、慰謝料払え」。そうなることは必至だ。

「ちっ、違います。ぜっ、絶対に違うと思います」私は恐怖のあまりに甲高くなった声を張り上げて、必死に否定する。再び足が震える。「原因は私にはわかりません。おそらく何かが原因していたいのだと思いますが、たいへん申し訳ありません」。

「お前、それでも医者かよ。バーカ。何で痛いのかもわからないのかよ。医者をやめちまえよ。無能な爺はとっとと消えろ」彼女は怒鳴り散らす。それでも診察室の様子が院内派出所に中継されているのは知っているので、机や椅子を蹴ったりはしない。器物破損は現行犯逮捕となる可能性が高いことはわきまえている。さすがにプロのクレーマーだ。

「本当に、申し訳ございません」私は診察室に土下座して、床に額を押し付ける。同席していた看護師も一緒に土下座する。騒動を聞きつけて駆け付けた警備員も、もちろん土下座だ。「ゆっくり10秒間、床に額をしつけましょう。そして、ゆっくり過ぎるかなあと思うくらいのタイミングで、頭を上げましょう」と接遇研修で習った通りに土下座する。

ゴリゴリゴリッ。突然、95キロの彼女が私の床についた右手をハイヒールの踵で踏みつけたのだ。

「ウギャーッ」あまりの激痛に私は叫んだ。ヒールが手の甲に食い込んいる。「ブレイク、ブレイク」とボクシングのレフリーのように叫びながら警備員が彼女を押さえつけ、過剰防衛で訴えられないように、優しくゆっくりと私から引き離した。遅れて警察官も駆けつける。だが、逮捕するわけではない。厳重に注意して、診察室から出て行ってもらうだけだ。犬や猫には人権があっても、医者には人権などないのだ。

医療従事者に致命傷でも負わせない限り、スーパーカミオ患者様はカンカミ法で守られている。医者の手にケガを負わせたくらいでは、患者が罰せられるようなことはないのだ。訴えたところで、通常の天罰として不問にされるのが関の山だし、訴訟費用がバカにならない。係争中は外来や手術などの仕事ができなくなるので、それに対して私が支払う補償金も高額になる。訴訟社会においては、事実関係がどうであったとしても、患者のように社会的弱者とされている人間の方が圧倒的に強いのだ。

応急処置を受け、今ここで起こった事実をありのまま客観的にカルテに記載する。それだけが、私たち医師がクレーマーに対して許される唯一の抵抗なのだ。

午前3時。ようやく外来が終了した。待合室のテレビモニターに風にたなびく国旗の映像が映し出され、同時に「スーパーカミオ患者様が代(君が代のパロディーのような不思議な歌)」のメロディーが流れる。職員一同が待合室の前に整列し、この歌を大声で歌う。最後の締めは私のエールだ。

事務職員から学ラン風の白衣を着させられた私が一歩前に出る。両脇に相撲の土俵入りのように外国人医師のシンさんとワンさんが並ぶ。あらん限りの声を出して私が叫ぶ。「フレーッ、フレーッ、スーパーカミオ患者様~。ソレーッ。フレッ、フレッ、スーパーカミオ患者様(以下3回繰り返す)」。深々と礼をして引き上げようとする私に罵声が飛んだ。

「聞こえねえぞ、ジジイ」。どう見ても私より年配の目つきの悪い老人が、こちらを睨んでいる。

「申し訳ございませんでした」と深く謝罪し、再びスーパーカミオ患者様にエールを送る。

「まだまだまだ、声が小せえぞ」と再び罵声が飛ぶ。

5回ほど繰り返したところで、病院のお抱え弁護士が老人に近寄り、これ以上の行為は強要罪に当たる恐れがあり、これによって医師の業務が停滞した場合の損害賠償請求も求められる可能性があると説明する。「チッ」と舌打ちをして老人は立ち去った。

ようやくエールを終えて、昼食を取ろうと診察室に戻ろうとしたとき、「悲しみ隊」がストレッチャーに乗せられた患者とともに病棟から降りてきた。ウェアラブル端末からの情報によると、もともと重い心不全と腎不全がある103歳の身寄りのない老婆が、肺炎から敗血症性ショックになって入院、最新鋭の医療機器を揃えた集中治療室で集学的治療を続けていたが、最後は多臓器不全で亡くなったとのことであった。付き添いの女性は近所に暮らす友人の女性とのことであった。悲しみ隊がストレッチャーの周りを固め、泣き崩れたり、壁を叩いて悲しがったりしている。ちなみに悲しみ隊とは、独居老人などが死んだときに「お見送りをする人や悲しむ人がいないのは、故人の尊厳と人格を著しく傷つける行為である」という人権派弁護士からの指摘を受け、全国の病院が雇用することを義務付けられた専門職であり、遺族のかわりに泣いたりわめいたりするのが仕事である。

いつも病院内をハイエナのように嗅ぎまわっているフリーの弁護士が、猛ダッシュでストレッチャーに駆け寄り、付き添いの女性に話しかける。
作品名:スーパーカミオ患者様 作家名:真田信玄