スーパーカミオ患者様
常識で考えれば、これは当然の成り行きであった。だが厚労省や共民党は、あくまで地方の医療崩壊を巧みに医者の資質の問題にすり替え、責任逃れを図ろうとした。共民党の機関紙と呼ばれた「赤日(あかひ)新聞」や「赤日(あかひ)放送」を中心としたメディアと結託し、激しいドクターバッシングを展開した。すなわち、「医師のモラル低下が、医療崩壊を招いたのだ」「悪いのはすべて医者なのだ」と。
だが、これをやればやるほど、地方の医療は崩壊していった。激しいバッシングに医者のモチベーションがさらに低下し、患者は患者で「当然の権利」として医者に暴力や暴言を繰り返すようになったからである。
それでもなお、共民党は「医師のモラル低下が地域医療崩壊の原因である」という見解を撤回することはなかった。いわく、「悪いのは国民報酬平等法ではなく、医師のモラルだ」と。
やがて保険料が支払えずに廃業する医師の実態が広く知られるようになると、さすがに共民党も支持率低下に危機感を抱き、地域医療への貢献度の高い医師に対しては、医師損害賠償責任保険の保険料を国が支払うことで、財務省や厚労省との合意に至った。
ただし、財務省と厚労省は共民党に交換条件を出した。それと引き換えに「おもてなし」をさらに重視した患者様本位の医療を医師に義務付ける法案の成立を求めたのである。
すでにこの頃、メディアでは人権派医師のオカマダ春夫氏のベストセラー著書「患者様は神様です」における究極の医師患者関係、すなわち、「あたしたち医者は、患者様の奴隷なの。ド・レ・イ。ご主人様に喜んでもらうためにはどんな卑屈なことでも喜んで奉仕する義務があるわよ~」という考えが医療現場を席巻していた。この追い風に乗って、ますます勢力を増したのはモンスター患者であり、医療現場での暴行や暴言が正当化されつつあった。
この「患者様は神様です」の書中では、患者による暴力は神様の「天罰」に位置付けられていた。これが医療従事者への暴言や暴力が横行する原因ともなった。極端なケースでは、待ち時間の長さに切れた高校生が医者を蹴飛ばし、脳出血で死亡させた事件において、「暴行の理由はきわめて正当であり、情状酌量の余地はきわめて大きい。加えて、被告人は未成年であり、更生する可能性がきわめて高い」という理由から、この高校生は実刑判決を免れた。
これに対して、医療法人良心会を率いていた良識のある医師、マトモダ良夫氏は「患者さんも人間です」を著わし、「医師と患者は適切な信頼関係で協力し合うべきであり、お互いが感謝の心を持たなければならない」と主張したが、サヨク系メディアや人権派の弁護士によって「マトモダは患者様を神様だと思っていない。つまり、いまだに自分たちはお医者様だとうぬぼれている。患者様を侮蔑する非常に危険な人物だ」と一斉に糾弾し、マトモダ氏はうつ病になった。ネット上では「お医者様に天罰が下った」とはやし立てられた。
こうして医療界に敵なしとなったオカマダ氏は、患者様の権利を確立するための厚労省の諮問機関で委員長を務め、医療従事者を地獄へといざなうことになる天下の悪法である「公的保険医療受給者人権保護特別法(通称「患者様は神様です」法、略してカンカミ法)」を平成40年に成立させたのだ。この法律が施行されると、まずは見せしめにマトモダ氏が「患者様不敬罪」で逮捕され、懲役20年の判決を受けた。それ以降、表立ってカンカミ法を非難する医師は誰もいなくなった。
財務省と厚労省がこの法案を成立させた本当の狙いは、自分たちの手を汚さずに徹底した医療費削減を実現することにあった。すなわち、わが国の借金が増え続け、特に団塊の世代が後期高齢者の仲間入りを果たした平成35年頃から、高齢者の医療や介護にかかる社会保障費が爆発的に増え続けており、徹底的な医療費の削減をしなければならなくなった。相対的な医師不足も深刻になり、特に高齢化が進む地方の医療現場はパンク寸前であった。
とはいえ、官僚主導で医療費の患者自己負担額を大幅に引き上げたり、患者が「いつでもどこでも何度でも」自由に医療機関を受診できるフリーアクセスの仕組みに切り込んだりすれば、国民の怒りの矛先は財務省と厚労省に向かってしまう。要するに、誰が医療崩壊の真犯人なのか国民にばれてしまうわけだ。
ところが、医療従事者が患者に対して卑屈なくらいに従順な態度をとれば、人間の心情として、ついついそういう腰の低い人間に八つ当たりしたくなる。そうやって医療従事者を攻撃することで患者はガス抜きもできるし、攻撃されても卑屈な態度で低姿勢を続ける「いじめられっ子」を見ると、たいていの人間は「本当にコイツが悪いんだ」と錯覚して、余計にいじめたくなるものである。
また、厚労省としても、あくまで自分たちは「患者様第一のおもてなし」を医療現場の人間に厳しく指導しているのだ、というパフォーマンスができる。悪いのはあくまで医者のモラルであり、彼らが厚労省の熱心な指導も聞かず、おもてなしの心が不十分だから、あくまで医者のせいで医療が崩壊しているというストーリーを押し通したのだ。
その結果として医師が病院から逃げ出し、医師不足で病院が淘汰されれば、必然的に医療費は抑制されることになる。これが厚労省や財務省の真の目的だ。厚生官僚や財務官僚は都内の高級住宅や豪華な城塞都市に暮し、富裕層向けの高級クリニックやブランド病院で医療を受けているのであるから、地域医療の崩壊などどうでもよいことなのだ。
「医者が年間1000万円の損害賠償保険料を支払えずに逃げ出したとなると、これは国策が悪いといわれるが、医者が患者におもてなしの精神で接するのが嫌で逃げ出したとなると、これは悪いのは行政じゃなくて、医者のモラルということになるだろ」と、のちに厚労省幹部はカンカミ法施行当時のことを述懐している。
だが本当に恐ろしいのは、このカンカミ法で定められた患者様の呼称である。そもそも、「患者様」という言葉は、「患者に敬称をつけよ」という今世紀初頭の厚労省の通達から始まり、この言葉が多くのモンスター患者を生み出す原因となったという「患者様学説」は有名であったが、この言葉が誕生した頃よりもさらに獰猛になったモンスター患者様は、オカマダ氏らの後押しでさらに勢力を増していた。少しでも気に食わないことがあると医師に土下座を強要したり、「人殺し」「死ね」などと怒鳴ったり、医師や看護師を殴る蹴るなどの「天罰」与えることが、医療現場では日常化していた。患者はそうしてうっぷんを晴らしていたし、重大な人身事故などが起こらない限り、「神様の天罰」は社会的にも黙認されるようになった。
このため医療現場に対し、厚労省は平成38年の通達ですでに「患者様に敬称を付けるように」という通達を出したのだ。「医師の患者様への尊敬の念が足りないから、モンスター患者が次々と現れる」というのが、荒廃した地方の医療現場を見たこともない役人の主張であった。
作品名:スーパーカミオ患者様 作家名:真田信玄