私をスキーブームの時代に連れてって
「え?」と突然の問いかけに涼子はぎょっとした。
「何を言っているの? そんなことするわけないじゃない」と慌てて否定した。
「でも、私があの場で見た限り、あなたはあの人に突進していったわ。確か、磯崎純平っていう中日物産の人。どう考えても変。あなたは記憶喪失だなんて言っているけど、本当は何か隠しているんじゃないの? 昨日、ホテルに来て、訳の分からないこと言って、あの人の部屋に駆け込んだわ。あの人がいることを知っていて駆け込んだんじゃないの? それで突然、腰を抜かして、あの人に診療所まで運んで貰うようにした。あの人と何か関わり合いがあるんじゃないの? もしかして昔の女とか、恨みがあって復讐をしようとしてあんなことを」
「とんでもない!」
と涼子は叫び声をあげた。どうしてそんなことになるの、と心の中で叫んだ。あまりに大声だったので、雪子はおののいて涼子をみつめた。
しばらく沈黙して、気が落ち着いたのか雪子が涼子に言った。
「まあ、何でもないんならいいけどさ、たださ、あの人と関係なんてないというのならお願いがあるの」
と思わぬ返答に、今度は涼子が驚いた。涼子は自分の殺意を見抜かれた上、とんでもない誤解に発展したのが仰天だった。
「お願いって何?」
「恋のキューピットになって欲しいの」
「キューピットって、誰の?」
「分かるでしょう」
「純平さんと雪子さんの」
「そうよ」
「え、どうして?」
「狙っているからよ」
とにたりと笑って雪子が言った。涼子はどきっとした。母が自分に父とくっつくようにお願いしている。娘をキューピット役に。だけど変だ。母はどうして父に惚れ込んだのか。そもそもスキー場でかっこく滑る父の姿に惚れてという馴れ初め話しは嘘だった。
「なぜ、あの人がいいの?」
と涼子は興味津々になって訊いた。
「うーん、私さ、商社マンと結婚することが夢なの。この仕事も、そんな夢を実現したくて選んだの。一流商社の社員旅行なんて絶好の機会じゃない。だからさ、折角出会いがあって、それなりに知り合えたんなら、そのチャンスを逃す手はないじゃない。何だか悪い人じゃなさそうだし、あなたも分かるでしょう。診療所まで担ぎ込んでくれて、今日もあんな目にあっても態度に大人げがあったわ」
と雪子が嬉しそうに言う。涼子は思った。母は商社マンだから父を選んだんだ。
何とも情けなく思った。でも、この際、断りづらい。できることならしなければいけないのだろう。考えてみれば父と母がくっつかない限り自分は生まれてこなかったんだから。
翌日、涼子は行動を開始することにした。大したことではない。まずは父、純平と接して父の素性を出来る限り調べろと言うことだ。どんな人で、どんな考えを持つ人なのか。どんな女性を好みと思っているのか、など。親子として十七年も付き合った経験のある涼子にとっては分かっているつもりで実をいうと新たなる探求でもある。なぜなら、自分が生まれる前の父のことなんて何も知らないからだ。
涼子の知っている父は、人生を苦々しく過ごし、家庭にさえ居場所がなく、いつも不満を抱え込んだ表情をして時折愚痴をこぼして重たい雰囲気をつくる人だった。会社ではうまくいってなかったようだ。業績が悪く、会社が不景気で雇用調整をしだしたときに、真っ先に対象にされた。会社を解雇されるまでは一家の生活には余裕があった。そのため、家庭は父の商社からの収入でもっていた。うとましい父親でも、雪子と涼子は、そのために付き合っていた気がする。父とは距離をもってさえ付き合えば問題なく付き合える人だった。涼子が「どこか連れてって」と言えば、家族でとりあえず、どこかに出かけたり、欲しいものがあれば、買ってくれた。涼子は、あまりわがままをいうタイプの娘ではなかったので、それなりのことはして貰えたのでぶつかり合うこともなかった。
しかし、適当に父親を演じはするものの、余計なことには干渉しない、自らの本音をさらけださないタイプの人でもあった。だが、商社を解雇されてからは一挙に変わった。一家をつないでいた生活安定の供給源が吹き飛んだので、家庭は崩壊の一途を辿った。
父は、涼子にとってはいい父親でなければ悪い父親であったとも言い難い人だった。何を考えているか分からない不思議な面があった。しかし、一度も父の本音に迫ったことがない。そんな機会を与えられなかったからだ。
その日のお昼、ロビー内は静かだった。というのは、社員の大半は長野の善光寺詣りに麓へ降りていっているためだ。だが、そんな中、父はソファに座り一人煙草を吸って何かの写真を見ているようだった。
父は覚えている限り、中学の頃までヘビースモーカーだった。涼子が煙草の煙を嫌がりだしてからはベランダや庭で時折吸うようになった。若かりし頃は堂々としたヘビースモーカーだったのである。
涼子は純平に近付き言った。
「先日はありがとうございました。それから、昨日は本当にごめんなさい」
と深くお礼をして言った。
純平は涼子の突拍子もない行動にびくついてしまった。
「ああ、何だ、突然、別にどうでもいいけどさ。君は大丈夫なの、確か名前は何と言ったかな?」
「涼子です。私は何のご心配もなく」
「ああ、涼子さんね。大丈夫ならよかった。ま、俺の方は何も気にしてないからいいよ」
純平は煙草を灰皿に置いて涼子を見つめて言った。やや表情が和んだ感じだ。涼子は、これをきっかけに何とか切り出そうとした。
「純平さんは、他の社員と一緒に善光寺の方には行かれないのですか」
と涼子は訊く。純平は涼子が「純平」と読んだことに驚いたようだ。
「俺の名前、どうして知ってんの? 教えたかな」
「ああ、雪子さんから聞きました。実をいうと、雪子さんにきちんとお礼と謝罪をしてきなさいと言われて来たんです」
「あ、そう」と言うと、純平は立ち上がった。何だか、これ以上、話したくないと言った感じの態度だ。これは涼子のよく知る父の癖でもある。何か、深入りするようなことを訊くと、仏頂面となり、その場を離れてしまう。
涼子は、そうはさせないというつもりで、去ろうとする父の腕をつかむ。
すると、はずみで父が手に持っていた写真がぽろっと床に落ちてしまった。涼子は、それを拾い上げた。
写真には、七、八人の子供たちがかたまって写っていた。それも外国で撮った写真であるとすぐに分かる。東南アジアのどこかなのだろう。子供たちは肌が浅黒くにこにことした表情をしている。
「わああ、かわいい子供たち」
涼子は写真を見て素直な感想を述べた。実に表情豊かでほがらんだ顔をしている。どんな人でも、この写真を見ればそう思うだろう。
「おい、何だよ」
と純平は涼子から写真を取り上げる。何だか恥ずかしそうだ。一体、何なんだろうと、興味津々になった。
「どこで撮ったんですか。かわいい子供たちですね」
「かわいい?、おい、軽々しくそんな言葉を使うもんじゃない」
と突然、涼子を睨みつけるような表情に純平はなった。涼子は、どきっとした。何なんだ、かわいいと言って何が悪いのだか分からなかった。
「この子たちはな、児童搾取で虐待を受けたり、ひどい場合は、売春までさせられ続けた子供たちなんだ」
作品名:私をスキーブームの時代に連れてって 作家名:かいかた・まさし