私をスキーブームの時代に連れてって
「いやあ、志賀高原はいいよな。私をスキーに連れてって、の舞台になっただけある。景色もスケールも抜群だ」
「ああ、私もあの映画大好きです。あの映画見て、思い切ってスキー旅行挑戦してみたんです」
「この旅行のためにスキー用具一式買ったぞ。三十万もしたけど、滑ってみるとそれだけの価値はあるよな」
「冬のボーナスは月給半年分だったもんな。スキーに海外旅行に、それに車も買う予定なんだ」
何だか豪勢な会話だと、涼子は思った。一流商社の社員たちだからか。それも、バブル絶頂だといわれたこの時期の社員たちだからかなのだろう。涼子の世代には無縁の会話だ。大学に行くのが夢になり、そのうえ、大学を卒業したとしても、まともな就職先がない。一流企業に勤めても、給料がいいとは限らない。正社員の登用を出来るだけ減らし、派遣や契約社員の割合を増やし人件費を抑えている。特に若い世代は、中高年世代の高給を支えるため、低い給与に抑えられ、これから伸びていく保証がない。
何という落差なのだろう。両親の世代は、こんなに恵まれていて、自分の世代は貧しく苦しいのに、それを世の中は「自己責任だ」と片付ける。経済状況が変わってしまったのを個人の責任にされるという理不尽を味わっている。
涼子は、純平の座っている席の近くに生ビールとフライドチキンを運んだ。注文した人は喜んで受け取った。そばに座っている純平の様子は、どうも浮いている感じだ。みんなが楽しそうにしているのに、純平は無表情で、やや浮かない感じだ。周りにいる人は、純平を無視してビールと会話を楽しんでいる様子だ。
涼子は思った。ま、この時から、こんな感じだったのね。涼子の子供の頃からの記憶を思い起こせばそうだった。一緒に家にいるとき、家族で旅行するとき、なぜか無表情で感じの悪いことがよくあった。会社で嫌なことがあったのか、口を開けば訳の分からない愚痴をこぼすことがしばしばあった。
父は、けっして暴力を振ったりするような人ではなかったが、ほがらかで家族想いな感じのする人でもなかった。義理で付き合ってきたという風にさえ思えた。だから、けっして優しくていい父親だという印象はない。そのせいか、母と涼子は話すことが多かった。父とは離婚で会わなくなる前から疎遠な仲だったといえる。朝に出会って診療所まで運んでくれたお礼を言うべきかと思ったが、涼子は、何も話しかけず、気付かない振りをして父、純平のそばを離れた。
食事が終わった後、ロビーで映画の上映会が開かれていた。大きなテレビ画面で、志賀高原を舞台にした「私をスキーに連れてって」のビデオが放映されていた。四対三のテレビ画面映像だ。ビデオ映像で、映画スクリーンやDVDと違い、両端が切れている。ビデオ映画といえば、これが当たり前なのだ。多くの人が、集まって観ていた。涼子は、すでにDVDを借りてみている。
これは一九八七年の作品。主演は当時のアイドル、三上博史と原田知世で、スキー場で二人が偶然にも出会い、それがきっかけでスキーをしながらの深い付き合いが始まる。ユーミンの歌をバックにスキーやデートやパーティーのシーンが優雅に映し出されるのが特徴だ。
クライマックスは、長野県の志賀高原から山岳でつながる群馬県の万座スキー場の間のツアーコースを滑走するシーン。三上博史演じる商社マンの矢野は、志賀高原で恋人を含む仲間とスキーを楽しんでいたのを中断して万座スキー場で開かれる新作スキーウエアの発表会に使うウエアを届けなければいけなくなる。発表会の失敗を目論む社内の人間の陰謀で、発表に使うウエアが会場に届けられていない。それは矢野にとっては、自らが関わった販売促進プロジェクトの一環であったため、どうしても成功しなければならない発表会だった。
彼女との付き合いのため、矢野は発表会の参加を断っていた。だが、そのスキーウエアは関わった社員への分け前として、矢野と彼女と、友人たちが貰い受け着用していたため、それを代わりに届けることにした。しかし、志賀高原から万座の発表会会場まで届けるには時間が足りなすぎる。
通常、志賀高原から万座のスキー場までは、高原を周回して車で五時間の道のりでしか到達できない。だが、ツアーコースであれば、両スキー場間を直線距離で二キロをスキーで二時間で通過できる。しかし、そこは真冬は閉鎖され、普通のスキーヤーはガイドなしには通過できない難所である。それを矢野は得意の滑走で滑りきる。
命をかけて仕事を成し得ようとする商社マン精神の鑑のような行動は、バブル当時、仕事を生き甲斐にすることが美徳とされた時代感覚を彷彿とさせる。
涼子からすれば、そんなことは今時流行らない、と言いたかった。会社や仕事に尽くして、どんなメリットがあるの。安月給でこき使われ、先も明るくない。だけど、経済が好調だった当時としては、それは夢を果たすという意味があったのかもしれない。何たって、映画のように若者がスキー旅行に行ったり、スポーツカーを乗り回したりと、とってもリッチだった。未来に大いに希望が持てた。いい時代だったのだ。
仕事が一通り終わり、従業員用の部屋に戻る。すでに雪子が戻っていた。半纏を着て、くつろぎ、御茶を飲んでいた。
「ねえ、どうだった仕事?」と雪子が話しかける。
「うん、大忙しで大変だった」
と涼子。
「そうよね。数年前なら、3月になるとお客はシーズン末期で減っちゃうのに、こんなブームだと来月までスキー場は開かなければいけないほどごったがえして、大忙しで振り回されっぱなし。景気がいいのを喜んでいいのか、困っていいのか。私も朝から下手なスキー客相手して疲れちゃったわ」
親子で会話しているのだが、今はまるで姉妹か友人同士のような間柄になっている。
「ねえ、明日さ、思い切ってスキーをしてみる?」
「え、いいの?」
「うん、そっちがよければ、従業員としてリフト代ただで、レンタルもできるわよ。それに、あなたは、ここにスキーをしにきて崖に落ちて記憶喪失になったのよね。ここで、もう一度滑れば、何か思い出すんじゃないの?」
と雪子の言うことに理があると涼子は思った。
翌日の午後、涼子は、雪子と一緒にスキー場にくり出した。午前中とお昼の仕事が終わり、夕食の準備までの間、暇が出来たので、滑ることになった。雪子も、レッスンがないので一緒についてあげられるということで付き添った。
スキー板とストックはレンタルできた。板は、旧式の板だ。自分の身長より10センチほど高い長さの板を着用させられた。カービングでは同身長の長さが基準であった。
だが、今はこれが普通の板とされているのだ。とりあえず、初級のコースに案内された。
「ねえ、ゆっくり滑ってみて。あなたは上級者のコースで発見されたわ。ということは、上級レベルを滑れる腕があるのか、そうではなくても、あんなコースを初級レベルも楽々と滑れない人が挑戦したりしないわ。試してみて」
と雪子に言われ、滑ってみる。涼子は、まずすっと真っ直ぐに滑った。難なくこなせる。足を広げ、クロスして止めることもできた。
作品名:私をスキーブームの時代に連れてって 作家名:かいかた・まさし