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かいかた・まさし
かいかた・まさし
novelistID. 37654
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私をスキーブームの時代に連れてって

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と言ったところで、涼子はフロントの壁に貼られている大きなカレンダーを見つめた。「一九八九年(昭和六十四年)三月」となっている。昭和六十四年って、昭和天皇の崩御が一月にあった年だったから、そんなことを想定していなかったため前年に刷られたカレンダーは平成年号を使ってなかったと聞いたことがある。
 目の錯覚なのか、どうして、そんな古いカレンダーを掲げているのか。今朝は、こんなものはなかったはずだ。同じ建物のはずなのに、中の様子ががらりと変わっている。涼子をみんなでからかうためにそんなことをしているのか。
 涼子は、こんな変な連中に絡まれるのは嫌だと思い、今、この時点で頼るしかないアキラのいるところに行こうと思った。もう目を覚ましているはずだ。
 ブーツを履いたままでは動きにくいので、脱いで靴下になったまま階段を駆け上り二階へ行く。二〇四号室だ。
「ちょっと」と雪子が後ろから声をかけ、追いかける。
 二〇四号室に着いた。インターホンを押す。アキラ、顔を出して状況を説明してよ、と願った。アキラよりたちの悪い連中に、今、絡まれている。
 誰かが部屋の奥から歩いてくる音が聞こえる。やった、アキラだ。
 ドアが開いた。
 涼子は、自分の目を疑った。
「お父さん」と声を発したくなった。しかし、父ではない。父には似ているが、涼子が最後に見た父よりずっと若々しく、それに頭に、ふさふさと毛が生えている。
「はい」と父似の男が声をかける。眠気眼で起きたばかりというような表情だ。
 涼子は廊下に後退った。後退ったところは、一階のロビーからの吹き抜けと接している廊下で手摺りがある。手摺りに背中がぶつかり立ち止まった。
「ちょっと、あなたどうしたの?」
と雪子が現れた。同じくブーツを脱いで靴下の状態だ。涼子は、目の前の父と母が若返った姿にそっくりな男女を見て気が動転して、急に腰を抜かしてしまった。腰を床に落とした。驚愕して立ち上がれない。とんでもない次元に自分が引きずり込まれたことを自覚した。
 ああ、どうしよう、いったい全体何が起こっているのか。どうしたらいいのか。

 それから、約一時間後、涼子はホテルから少し離れた診療所にいた。雪子と宿泊客の磯崎純平が腰を抜かした涼子を運んできたのだ。
 医師は、何を言わず放心状態の涼子を見つめながら、涼子は名前を訊かれたが、それに対しても沈黙した。
「うーん、何も異常はないようだけどね。特に頭を打ったとか、怪我をしたということもないし」
 聴診器を体に当てたり頭を触ったりして診たりした。とりあえずならばということで、レントゲン写真も撮らされた。
 そして、三十分以上してから医師は
「多分、スキーで転げ落ちたときのショックによるものじゃないかな。外的な障害は何もない。一時的なものでしばらくすれば回復するだろう」
と言った。涼子は、そう言われた後に、ふっと気を取り直しこう話した。
「わたし、涼子と言います。覚えているのはそれだけです。スキーをしに来たのだと思うのですけど、転げ落ちる前のことは覚えていません。どこから来たのかも、ホテルも志賀高原温泉ホテルではなかったのかもしれません。どこかに泊まっていたのですけど、どこだか定かではなくなりました。どうしたらいいのでしょうか」
「記憶喪失かよ?」
と純平が言った。医師は困った顔になった。
 その後、話し合い、仕方なく、涼子は雪子と一緒にホテルに戻ることにした。純平は、中部日本物産の社員で、他の社員と一緒に食事を取ると言うことで別れた。雪子の泊まっている従業員用の部屋に連れて行かれた。
「うーん、困ったわね。記憶がないとなると思い出すまでどうしたらいいのか。若いからご両親やご家族がいるはずだから、連絡があるかもね」
「でも、全く覚えてないんです。何となく、一人で来たと思うし」
「そうね、あなたはここの人って感じじゃないし、きっと旅行で来たのよね」
と雪子は困ったような表情を見せる。しばらくして考えた挙げ句。
「ねえ、記憶が戻るまでの間、ここで働かない?」
「え、いいんですか」
と涼子が驚いて言うと
「仕方ないじゃない。誰も面倒見てあげられないんだし、それにね。今、このホテルは人手不足なのよ。最近は景気が良くて、その上スキーブームだからお客でいつも満杯で、困っているところなの。支配人には話ししておくから、このホテルの従業員としてアルバイトしたら、ここは住み込みで働けるし、どう?」
と雪子は、歓迎するかのような生き生きとした表情で話すので、涼子はなぜか嬉しくなり「うん、喜んで、頑張ります」
と答えた。
 今が一九八九年三月。そんなこと信じられない。あの崖に落ちたとき、タイムスリップしてしまったのか。それも、母がスキーインストラクターとして、この志賀高原で働き、父が社員旅行で母が滞在するのと同じホテルに宿泊しているときだなんて。一体、どういう神のいたずらなんだろう。
 結局、ホテルのレストラン・ウエイトレスやその他雑用係として働くことになった。同僚となった松本雪子の話しでは、生まれも育ちも志賀高原で、家族で農業と民宿をやっていたのだが、父親、涼子にとっての祖父は、数年前に他界、祖母は姉、つまり涼子の伯母の嫁いだ九州に移り、志賀高原には雪子だけとなり、農業も民宿も閉めた状態だとのこと。
 この辺りの話しは、涼子は聞いていた。祖母は涼子が小学生の時に他界。伯母とは、その後、何度か手紙や電話で連絡を取り合ったぐらいで、お互い音信不通といっていい状態だ。
 だが、雪子がスキーの名人だったなんて話しは一言も聞いていなかった。何でも、この雪国では体育の授業として小学生の頃から教わっていて、そのうえ、抜群の運動神経だったので見初められ、ついには全日本女子の選手に選ばれたこともあったくらいだと。その特技を活かしてインストラクターの資格を取り、冬場は東京や名古屋から来るスキー客の指導をしている。
 なぜ、そのことを今まで話してくれなかったのか。馴れ初めでは、スキーは全然できない自分が、この志賀高原のスキー場でうまい滑りをする父、純平に出会ったという話しだった。
 でも、母は立派な上級者、プロ級といっていい。ということは、父はそれ以上の腕前だったということなのか。父、磯崎純平とは、涼子は会ったばかりで、腰を抜かした後に肩を持ち上げ、診療所まで連れて行ってもらった。だが、その後、診察を受けている途中、そっけなくホテルに戻ってしまった。雪子とは、その時、偶然に従業員と客として面識を持ったという感じで、二人の間に何か関係があったとか、これから起こりそうな気配はなかったようにみえる。
 だが、その日の夜、ウエイトレスとして働くホテルのレストランで純平とまた会うこととなった。
 レストランは、中京物産の社員でごったがえしていた。煙草の煙で室内はむんむんとしていた。ざわざわと騒がしいが、なごやかで楽しそうだ。純平が隅の方の席で食事をしていたのが見えた。
 ひっきりなしに注文が来る。皆、スキーをしまくった後だけあり、食欲旺盛で立ち止まる暇が全くない。盆にビールやつまみを置いて運びながら、商社社員たちの会話が、自然と耳に入った。