私をスキーブームの時代に連れてって
「いやさあ、部長からさっき電話があったんだ。今、部長は万座にいるんだけどさ、そこで、取引相手と夕食を共にすることになってな。それでな、このホテルのバーにおいている自分のロマネコンティを万座まで持ってきてくれって言うんだ
「部長のロマネコンティをですか。夕食っていつまでに持っていけば」
「午後六時までにってさ」
「あと三時間ですよ。そりゃ無理でしょう。車で五時間はかかる道のりですよ、万座って」
「スキーに連れてって、のように持ってこいってさ」
純平は、なるほどと悟ったようだ。志賀高原の横手山から万座の間のツアーコースを滑って行けば二時間で辿り着ける。
純平と同期の社員が言った。
「部長はどうも、俺たちを試してこんなことをしているように思うんだ。あの人は、いつも無理難題を持ち込んで困らせるんだけど。それでもそれが出来る奴を出世頭に立てる人だ。これまでも部長のチャレンジを受けて、それをやりこなした社員が電撃的に出世した例がある。まあ、型破りの人材発掘のためだって聞くけどな。だが、今回のはできそうにないな」
もう一人同期の社員が続けて言った。
「そうだよね、いくらツアーコースを使えばいいと言っても、あそこはかなりの腕が要求されるって聞くし。今からだと、着く前に暗くなって遭難してしまう可能性だってある。それに部長のロマネコンティって、当たり年の七十六年もので1本百万円ぐらいする価値のものだろう。ワイン愛好家の部長の一番のお気に入りで、スキー旅行の間に飲もうってフランスから直輸入で買ったものだ。転んでボトルを壊してでもしたら、出世できないどころか、クビにされてしまうぞ」
そして、主任の大柄な男は言った。
「だけどよ、誰も引き受けられないとなると、俺たちの課は、へなちょこばかりだと思われて、みんな変なところに飛ばされかねないぞ。部長は、そういう性格なんだ」
一同、シーンとなった。純平も普段は隅に追いやられている身だが、一緒に考え込んだ。
すると、お尻をつねられる感覚を受けた。雪子だ。雪子がつねって、何か指令を与えているような感じだ。純平は雪子の顔を見た。目を輝かせている。何が言いたいのか即座に分かった。
「俺にやらせてください。やります、できます。俺が万座にワインを届けに行きます」
と純平。大役だが、リスクが大きいため誰もやりたがらないことを進んで引き受けるつもりだ。
「え、お前が?」
と主任の男。
「いくら滑れるようになったからって、突然、ツアーコースなんて、無理しちゃいけないぞ」と同期社員。
すると、雪子が口を挟んで
「大丈夫です。私がガイドしますから、私は、このスキー場のインストラクターです。ツアーコースも何度もガイドをして滑ったことがあります。純平さんとなら、私がガイドして行きますから、今からなら十分間に合います。お任せ下さい!」
と言い切った。
志賀高原の横手山の頂上までリフトを乗り継ぎ、ツアーコースの始点に辿り着いた。そこからの景色は絶景で、遠くの左手に朝日山と右手に万座山が見える。そのまた、奥には煙を吹かした浅間山も見える。これから、三人が向かうのは万座山の方である。その万座山のスキー場近くの万座プリンスホテルまで滑り純平の上司である部長へロマネコンティという最高級ワインを届けるのが任務だ。
始点には、「志賀ー万座ツアーコース 午後四時以降滑走禁止」という看板が掲げられている。現在、時刻は午後三時半。あと残る時間は二時間半だが、午後五時半ぐらいになると、日没になり真っ暗になってしまう。そうなると、山の中にいたままだと照明はなく滑走を続けるのは不可能だ。
映画「スキーに連れてって」では、背中にしょえるライトで、前方を照らしながら目的地まで滑るシーンがあったが、あのようなことは現実には難しい。背負い型照明機器は電池も合わせて三十キロの重量である。あんな重量を背負いながら、ライトがあるとはいえ、暗い雪道を滑走するのはよほどの技術が必要になるし、大変危険だ。ゲレンデとは違い、ツアーコースは木々をぬって進む山道だ。明るいうちでないと、滑走など不可能だ。もし、暗くなってしまったら、止まって、そこで日の出になるまで動くのをまたなければいけない。また、その間は、零下二〇度になるほどの寒さが襲ってくる。
涼子は、なぜかついていってしまった。というのも、自分の父親の出世がかかっていると思うときがきでならなかったのだ。だが、大事な役割を担うことになった。先導役は、もちろんのこと雪子で、背中には、折り畳み簡易テントを入れたリュックをしょい、腰には携帯無線トランシーバーを携えている。次に純平だが、純平は最も重要な役割、背中にしょうリュックにロマネコンティの入った木箱を毛布にくるんで入れている。転んでも、中のボトルが割れないようにするためだ。同時に毛布はもしもの時にも必要とされる。遭難の時の防寒のためだ。
涼子は、背中に缶詰・パックなどの非常用食料と応急処置用の医療品などを入れている。もし間に合わず、途中でビバークして一晩を山中で過ごさなければいけなくなった場合の準備だ。スキーのプロである雪子がツアーガイドの常識として心得えている準備体制である。
「さあ、行くわよ。何とか日没前二時間で到達しましょう。私についていけば安心よ。これでも何度も、このコースを滑っているんだから、ルートはしっかり把握している。あの映画のおかげで滑るお客さんが多くてね、つい先週も付き合わされたばかりなの。普段は、午前中か、遅くても正午過ぎぐらいから始めるのだけど、今回は日没ぎりぎりという大チャレンジよ。こころしてかかって」
と雪子は、張り切りを見せた。純平も目が輝いて意欲満点だ。チャレンジをやり遂げられたら出世間違いなしだ。涼子も、心が高ぶった。まるで、親子三人で戦場に向かう気分である。
「行くわよ!」
と母が声を上げ、さっと滑り降りる。純平続く、涼子も続く。
コースはゲレンデとはまるで違う。まず圧雪などによる整備がされていない。雪質にばらつきがある。そして、木々の障害物をぬって進まなければならない。 雪子は、らくらくと進んでいくのだが、純平と涼子は、しっくはっくしている。途中で、国道最高地点という標識の前も通った。雪が積もり道路は完全に埋まっている上を滑った。そして、滑っているうちに気付いた。朝から滑ったための疲労感が今になって襲いかかってきていることを。
純平と涼子は何度も転んだ。純平は、そのたびにリュックを開け中のボトルが割れていないかを確認した。毛布と木箱に保護され、常に無事のようだ。
起きあがっては、すぐに前進を開始した。休んでいる暇などない。だが、緊張と疲労が三人を徐々に蝕んでいるのを感じる。
だんだん辺りも暗くなってきている。まだ、十分な日の光があり前方は、はっきり見えるが、どうも雲が増えてきているようだ。
腕時計の時間を見た。午後五時少し前だ。
日の光が西から照りだして、オレンジ色の夕焼け色を醸し出している。
「おい、間に合うのか?」
と純平が雪子にきく。
「大丈夫よ。ここからだとあと三十分ちょっとぐらいだから」
と雪子は答えたが、数分後、突然、立ち止まり、
作品名:私をスキーブームの時代に連れてって 作家名:かいかた・まさし