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運命計算に関する報告書

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集英社『週刊少年ジャンプ』に新人の登竜門である手塚賞新設、審査委員長になる。(2月15日●15444日です)

1971 6.  
虫プロダクション社長を退陣。(6月6日 15554日●です)

1973 4. 2  16221日●16222
虫プロ制作テレビアニメ「ワンサくん」が関西テレビで放映開始(~9.24)。

1973 4. 7  16226日●16222
原案の東映動画制作テレビアニメ「ミクロイドS」がNETで放映開始(~10. 6)。

1973 6.27  16307日●16300
NHK総合テレビ「文化展望 日本アニメ-ション史」に出演。

1973 8.22 16363日
虫プロ商事倒産。

1973 9.29  16401日●16400
NHK総合テレビ「テレビ討論-マンガブームをどう見る-」に出演。

1973 11. 1 16434●16444
虫プロダクション倒産。 沖縄海洋博の政府館(アクアポリス)展示プロデューサーになる。

1974 3.  
都内杉並区下井草に引っ越す。(03月2日● 16555日です)

1974 4.21  16605日●16600
『週刊少年マガジン』巻頭カラーグラビアで「手塚治虫30年史」特集。

1975 5.12 16991日●16999
「ブラック・ジャック」で、第4回日本漫画家協会賞特別優秀賞受賞。

1977 10.29  17892日●17888
石上三登志監修の<手塚治虫展=その人間的考察>が池袋西武にて開催(~11. 2)。

1977 10.31  17894日●17888
日本テレビ「11PM ケッ作集中!! 手塚治虫マンガ大全集」に出演。

1977 10.31 17894日●17888
ラジオ劇画「ブラック・ジャック」第1話~第20話 TBSラジオで放送(~11.25)。

1978 2.19  18005日●18000
新発足の日本アニメ-ション協会の初代会長となる。

1978 8.27  18194日●18200
原案、絵コンテ、演出、総指揮の日本初の二時間スペシャルテレビアニメ「100万年地球の旅 バンダーブック」を手塚プロで製作、日本テレビで放映。

1978 12. 5  18294日●18300


1979 3.29  18408日●18400
日本ビクター株式会社主催<第1回東京ビデオフェスティバル>の審査委員をつとめる(以後毎年つとめる)。

1979 4.30  18440日●18444
<手塚治虫ファン大会>が東京の九段会館にて開催され、手塚治虫ファンクラブが新発足。「ユニコ」のパイロットフィルムなど上映。

1979 6.29  18500日●18500
児童漫画の開拓と業績により、第二回巌谷小波文藝賞受賞。

1979 8.26  18558日●18555
原案・絵コンテ・演出の手塚プロ制作スペシャルテレビアニメ「海底超特急 マリン・エクスプレス」日本テレビで放映。




さて、このぐらいでいいでしょう。このサンプルをごらんになって思われるのは、おそらくこういうことだと思います。つまり99であるとか111といった数値が現れるときに、手塚氏の人生の節目となる事件なり、表彰がなされることが多い。そのような確率が高い。

1959 10.4 11292日●11300
結婚しました岡田悦子ととが伝われば、それだけで私としては満足です)。

ですとか、

1963 1.22 12498日●12500 
「ある街角の物語」で第17回芸術祭奨励賞受賞。

1963 1.25 12501日●12500 
「ある街角の物語」で第13回ブルーリボン教育文化映画賞受賞。

1975 5.12 16991日●16999
「ブラック・ジャック」で、第4回日本漫画家協会賞特別優秀賞受賞。

とか。
そのような『運命と生まれてからの日数の関連性』についてはすでに語ったことです。そして当たり前のことですが、この関連性は手塚氏だけに限るものではない。私も、そして貴兄の人生も同じ。同じように、

『生まれてからの日数』

を魂が、あるいは、無意識がカウントしている。否、逆に、日にちの影響を受けている。天才凡人関係ない。気になるようであれば、ご自身の生年月日から日数計算のサイトで割り出してご自身の日記とつき合わせてみれば済む話です。



とりあえずそ話を続けます。手塚氏のチャートを出したのは、
『人生とは1から9にむけて積み上げていくもの』
であると同時に、実は、もうひとつ大事な、
『人生とは4を頂点とする山を登り、下るものである』
という説明をしたかったからです。これもそんなに難しいことではありません。
1、2、3、4
と上って行き、
5、6、7、8
と下りてくる。
9
はサマリー。おさらいであるとお考えください。

手塚氏の例で言えば1000、2000、3000、と生きる。運命を登っていく。


1951 1.25  8118日●8111
島田啓三を中心に、馬場のぼる、太田じろう、古沢日出夫、山根一二三、福井英一、入江しげる、根岸こみちらで、 東京児童漫画会(児漫長屋)が結成され、入会。

1953 ● 
都内豊島区椎名町のトキワ荘へ引っ越す。(正確な数値はわかりませんが、夏に引っ越したということです。7月頭から8月まで。ちょうど8888から9000の間です)

1960 6.  ●11555
手塚治虫プロダクション動画部設立(開始年月日ありませんが11555近辺だと思われます)。

という具合に積み上げて行く。登る。高みに向けて。でも永遠に上り坂ではない。
どこかで折り返す。

9単位であれば4
99単位であれば44
999単位であれば444
9999単位であれば4444

そこが折り返し点。上述の手塚氏の例であれば、

14444日目。この日が上死点。

1968 5.25  14448日●14444
新宿<コボタン>にて<第二回手塚治虫展>開催、6. 9には手塚治虫と語る会が催される(~6.24)。

ここが多分、反転のポイント。一番苦しい時期。

『作家としての窮地に立たされていた1968年から1973年を、手塚は自ら「冬の時代」と語っていた』

ということですから、1968年の5月25日から(実際には、もっと前から多分14000日辺りから何か勝手が違うと氏は思っていたと思いますが)下降線に入り精神的にもきつい時期だったと思います(貴兄が14444日以降の人生を歩んでおられるならば、手塚氏と同じような苦悩をかけておられるかもしれません)

けれど、だんだんに人は学ぶもの。
16645日●16666日 京王プラザホテルにて<漫画家生活30周年をお祝いする会>開催。
このあたりからだんだんに逆風も収まる。落ち着いて行く。落ち着いていったのではありませんか。
作品名:運命計算に関する報告書 作家名:黄支亮