ブリュンヒルデの自己犠牲
俺はしばらくPCの中のファイルを開いて調べることを繰り返すが、その中身を見る度に俺は失望するばかりだった。確かに何かしらのデータがある。しかしそこに数値類が大量に記録されているだけえで、文章はおろか単語に相当するものさえ一切なかったらだ。これじゃあ、俺にはこのデータが何を意味するのかさっぱり分からない。おそらく千鶴さんはこの数字の羅列が何を意味しているのかを、しっかりと記憶してるのだろうが、俺にはこんな暗号みたいなものばかりじゃ、何を意味してるかなんて分かるはずもない。。
セキュリティが甘いなどと一瞬でも思った自分が恥かしくなる。この暗号の様なデータが第三者に分かるはずがない。となれば、このPCのデータを調べても神眼に関する情報を得られる可能性は低い――。しかし今俺が出来ることはこの研究室のものを調べるしかない。仕方なく、俺は根気よくファイルを一つ一つチェックしていった。
時間も忘れる程、調べることに夢中になっていた時、ようやく俺にも判別可能なデータを一つだけ見つけることが出来た。中には実験の経緯が記された文章とデータ類が記載されている。データの日付を見ると2年近く前でかなり古い。成程――。あまりに古いデータのために暗号化を忘れたのかも知れない……。
だがこのデータこそが当たりだった――。日付順に並ぶデータと実験の記録結果らしきものがある。そこには神眼のドパージュらしき薬を、いつ、どれだけ投与していたのか、そして何より被験者の視力の変化が丹念に記録されていた――。
間違いない! これは神眼の実験記録だ!
俺は急ぎその記録を読み漁る! だが、その記録を見るにつれ足が震え、背筋が寒くなる恐怖に襲われた。
確かに投薬と共に徐々に遠距離視力や動体視力が向上しているのだが、同時に受容体の神経組織が過敏化し、頭痛や嘔吐の症状が頻発している。そして実験の最後にはこう記録されていた。
『被験者の視認識能力のコントロール不能、及び副作用による病状を考慮し実験は中止するものとする――』
ドパージュが失敗――? しかも副作用で――!
そしてそのファイルにリンクしている一つの画像ファイルを見つけ俺は愕然とした。
毛細血管が発達し赤く変色した目の写真。ガーネットアイだった――。
だが片目のみが妖しく赤く輝いている――。
俺と同じ症状じゃないか――!? 俺は思わず自分の目を押さえた!
俺にも何かしらの異常が発生しているのか? 明日香の話ではこの頭痛は視神経が順調に発達している証拠だと言っていたが、上手く行ったのは明日香の時だけで、まさか俺は失敗しているのか? ドパージュは特定の異常作用を抑える効果もある。もしかすると投薬を止めたことが、逆に異常の原因となっているのか?
何だよ、これ……? 俺も失敗なのか――?
思わず足が震えた――。神眼を手にする処じゃない! 明日香を助ける処じゃない! コントロール不能の副作用って――? 俺の目は一体どうなるんだ?
やばい! もっとこの症状を調べないと! この被験者の病状を調べないと――!
だがPCの中に参考になる情報はなかった。ただ実験は失敗したとの記録しかない。
畜生! このデータは単なる消し忘れなのか!
それにしても、この被験者は誰なんだ――? 明日香は完全な深紅の瞳をしている。こんな中途半端な変色じゃない。他の被験者に違いないのだろうが、明日香や俺以外にもこのガーネットアイを持つ被験者がいたなんて――! 一体、誰だ――?
ガチャ、ガチャ――。 その時突然、研究室のドアが開く音がした。
しまった、誰か来た! 突然の事に驚くが、今更身を隠す場所もない。
俺はゆっくりと横目でドアの方を僅かに見遣る。この部屋に来れる人間は俺以外に二人しかいない――。
「火鷹くん……、なの……?」
やはり千鶴さんだ――。千鶴さんは驚きと困惑の交じる表情で俺を見ていた。
「火鷹くん、どうしてここに……? もうドパージュは受けさせないって言ったはずよ……」
「……すいません、千鶴さん……。でもまだ授業中じゃあ……」
「……この研究室には良く来るのよ……。私物も置いたりもしてるから……。でも……」
千鶴さんは自分のPCが起動されている状況を見て、慎重に言葉を選んでいる様子だった。聡い彼女のことだ。俺が単にモノを漁っているだけとは思わないだろう。
今更隠し様もない――。俺は静かに千鶴さんに目を向けた。赤く変色したこの目を――。
「火鷹くん! その目は――!」 千鶴さんの表情が驚きのそれに変わる!
「……しばらく頭痛で休んでいました。その間に赤くなっていたんです……。それよりも教えて下さい! この写真は――? この片方の目だけ赤く変色した人は、一体誰なんです? 俺もドパージュに失敗したんですか――?」
「ごめんなさい、火鷹くん……。隠すつもりはなかったの……。いいえ、むしろいつかは話さなきゃいけないことだと思ってたけど、余りあなたを不安にさせたくなくて……」
「じゃあ……、このファイルに書いてあったことは本当なんですか!? ドパージュに失敗したって……?」
「……それは全てが本当のことじゃないの……。もし誰かがわたしから神眼の情報を得ようとした時のためのダミーデータを混ぜてあるわ……。神眼の開発に失敗したって思ってもらう様にね……」
「でも、この目の写真は――?」 この写真が合成したなんて考えられない。何しろ俺と同じ目なのだ。
「そう、それは本物よ――」
すると千鶴さんはゆっくりとメガネを外し、両手を右目に添えた……。
千鶴さんの右目が突然赤く、そして妖しく光る――!
ガーネットアイ――!
「千鶴さん、その目は――?」
「そう……、わたしが数少ないこのドパージュの被験者の一人。そしてガーネットアイの最初の保持者よ……」
そう言って、千鶴さんは右手差し出し、手の上にあるものを俺に見せた――。コンタクトレンズ。それも色付きのものだ。
「普段はコンタクトを付けてこの目を隠しているの――。その写真の通り、わたしのガーネットアイは片目だけよ。明日香と違ってね……。片目だけなんて気味が悪いでしょ? それに失敗したみたいで……。事実わたしの場合ドパージュに失敗したものだもの……」
「……それじゃあ、このデータはやっぱり本物なんですか……?」
「そう……。多少の嘘は交えてあるけど、大体は本当の事よ……。副作用もドパージュを止めれば……、それに視力の異常反応も慣れるに連れて制御出来るようになるわ……。わたしも視神経が向上したのは間違いのない事実。でもこれは神眼とは違うの……。単に赤く変色しただけのガーネットアイ……。明日香とは遠距離視力も動体視力もまるで比べ物にならない位劣るものよ……。火鷹くんの目もまだ神眼には程遠いはず……。おそらくドパージュを途中で止めたから視神経の発達が不十分なはずよ……」
「千鶴さん、それなら俺にあのドパージュをもう一度受けさせて下さい!」
作品名:ブリュンヒルデの自己犠牲 作家名:ツクイ



