ブリュンヒルデの自己犠牲
「そんなあ…………、あああああ…………」
春菜の表情が絶望的なものに変わった。
「明日香っちーー、ごめんなさいーー! 許してええーー!
わたしあんなこと言っちゃってええーーーー!」
春菜は、再び明日香に抱き付いて泣いた――。教室での時の様な安堵の交じる泣き声ではない。嗚咽を漏らす様な、自分の罪を告白する絶望の涙だった。
「うわああああああぁぁぁぁーーーー!
明日香っちいいーー! ごめんなさあーーい!
ごめんなさあーーい! ごめんなさあーーい!
わたしいーーっ、そんなつもりじゃなかったのおおぉぉーーーーーー!」
「……春菜、泣かないでくれ――。泣くのを止めてくれないか――」
大声で泣き叫ぶ春菜に聞える様、明日香は春菜を優しく抱き締めたまま、耳元で優しい声で言うのだった。
明日香のガーネットの瞳から、大粒の涙が見えた――。俺も初めて見る明日香の涙だった――。
「春菜が泣いている姿を見る方がもっと辛いよ――。春菜が笑ってくれれば、わたしも泣かずに済む――。だから泣くのを止めてくれないか――?」
「だってえーー、わたしがあの時独りで帰っちゃったから、明日香っちと火鷹っちが怪我をしてえーー! わたしのせいだよおおーー! わたしがケンカなんかしなければあーー! ちゃんとウォーカーに乗っていればああーー !」
「春菜が気にする事はないよ……。全てわたしの未熟ゆえの結果だ……。敵の狙いはわたしだったんだ。むしろ春菜が巻き込まれなくなくて良かったよ――」
「許してえーー、許してえーー。明日香っちーー、わたしを許してえぇーー!
ごめんなさあーーい! ごめんなさあーーい! ごめんなさあーーい!」
「春菜、違うよ……。春菜のせいじゃないんだ……。春菜のせいじゃあ……」
だが、明日香の慰めの言葉は春菜の心には決して届かなかった……。暫くの間、春菜はずっと泣き叫び……、泣いて、泣いて、泣きじゃくり、泣き疲れた後、春菜は声も出せず、
「うっ……、うっ……」、、嗚咽を漏らすだけになっていた……
「さあ、一緒に行こう、春菜……。一馬も心配しているよ……」
「うん…………」 明日香の言葉に春菜は力なく頷くと、匂宮に支えられて俺達と一緒に教室に戻ったのだった。
俺は無力だ……。いや、俺達は無力だ……。
俺達はもう何も出来ない……。明日香を慰めることも……。
明日香の前では泣くことさえも許されない……。でも笑うことなんて出来やしない!
そう、俺はもう何も出来ないと思っていた……。
* * *
「馬鹿な! 一馬、本気か――?」
「ああ……、まあ別に、そんな本気とかマジとか言うんじゃねえんだけどさあ……。春菜も志願したし、俺も本格的にと思ってな……」
一馬と春菜が武装課に入る――。
銃火器を使う本物の実戦部隊。この白鳳学院が防衛大の付属高校と言っても、軍の武装訓練を受ける者は意外に多くない。まだ高校生ということもあるが、武器が先鋭、ハイテク化した現代では人的資源は武器の開発やドパージュの研究、それにインテリジェンス部門等に多く割り当てられ、後方部門の比重が高いためだ。
だが、将来の前線士官と特別警察官等の育成のため、この学院でも実戦訓練を行う武装課がある。それに一馬と春菜が志願したと言うのだ。しかしそれだけならこの学院では別に驚くべきことではない。だが一馬と春菜は――、
「俺も春菜も明日香ちゃんを守ってやりってえんだよ……。そりゃ武装課に入ったって、すぐに何か出来るって訳じゃないけどさ。少しでも強くなって明日香ちゃんを助けたいって思ってな――」
「待て、一馬! お前、明日香を守るってことが、どういうことか分かってるのか? 明日香は狙われているんだぞ! 俺みたいに殺されそうになるかも知れないんだ!」
「……まあ、それは分かってるさ……。お前がどんな怪我をしたかも聞いたしな――」
「一馬、止めろ! そんな甘いもんじゃない! 俺の覚悟なんて甘かったんだ! 俺がどれだけ苦しんだか分かっているのか?」
俺の脳裏にフラッシュバックするあの地獄の様な爆発に炎……。何より激痛と血が流れる恐怖……。たとえ死の恐怖から逃れたとしても、病院で長い時間動く事も出来ず、苦痛に苛まれる……。あんな苦しみをお前も味わうことになる……。だから止めろ――!
「まあ、多分俺は何も分かっちゃいねえよ……。お前が止めろって言うんなら、きっとそれが正しいんだろうよ……」
「だったら、どうしてだ? 意地とか言うなら止めろ! 誰もお前を卑怯なんて言わない!」
「……お前と明日香ちゃんが入院してる間、ずっと春菜は泣いていたよ……。でもそんな春菜がもう泣かないって言ってな……。泣いて待っている方が辛いって……。そんな春菜がやるって言うんだ。俺も付き合おうと思ってな……。
俺に覚悟があるかは分かんねえよ……。でも春菜を独りで置いて行く気になれなくてさ……。まあなんとなくってヤツよ! 俺って頭悪いし、馬鹿だからさ。まあ笑ってやってくれ――」
一馬は、はにかみ、そして少し笑みを交えながら答えた――。
だがその笑顔が俺の胸を余計に抉る。俺の背筋が寒くなる――。
まずい、一馬は本気だ! 本気だから笑っていられるんだ――!
一馬、止めろ! 頼むから止めてくれ! 明日香だってお前達を責めない! お前達が犠牲になることを望んじゃいない――!
だが俺が何を言おうと、一馬は武装課に志願することを止めなかった。俺が説得してもむしろ穏やかに笑うだけだった――。
しかしこの危険に身を晒そうとするのは一馬や春菜だけではなかった。あの匂宮が明日香のパートナーを志願したのだ。
「火鷹くん、わたし明日香と一緒にいようと思うの……」
「何を言ってるんだ! お前だって知っているだろう? 明日香はまた狙われる! なのにお前が何が出来る――?」
俺だって明日香を守る力はない……。まして体力のない匂宮では格闘技も銃も無理だ……。それで一体何が出来るんだ! 闘うことも出来ねえだろう?
「火鷹くん……、わたし昔、明日香に助けてもらったことがあるの――。今まで言わなかったけれど、わたしかなりの怪我をして入院生活が長かったの……。でも明日香はその間ずっと励ましてくれたのよ。今度はわたしが側にいる番だわ……」
……そんな話は明日香からも聞いたことがなかった……。確かに匂宮と明日香は小さい頃からの知り合いと言うことだったが、二人からその頃の話を聞くこともなく不思議に思っていた……。だが――、
「匂宮、お前が明日香に恩を感じる気持ちは分かる……。俺も明日香に助けられた身だ。でもお前に何が出来る? 危険に身を晒すだけだ! 止めろ、お前も本当に死ぬことになるぞ!」
「わたしにしか出来ないことがあるの――。火鷹くん……、今までわたしの身体を見て不思議に思ったことはない――?」
そう言って匂宮は静かに俺の方を向き両手を開いて自分の身体を見せたのだった――。まるで見られたくないものを曝け出すかの様に、匂宮は俺から顔を背けていた。
作品名:ブリュンヒルデの自己犠牲 作家名:ツクイ