ブリュンヒルデの自己犠牲
「えへへーー? そうなのおーー?」 クラスの男子が明日香から目を背けた。
「でも春菜、何もねえってのはねえだろ?」 声は出さない。だが肩が震えている。
「だよねえーー。それに二か月も先じゃねえーー」 クラスの女子が教室から出て行った。
「んじゃ、みんなでどっか遊びに行こうぜ?」 下を向き、顔を押さえながらだ。
「そうだね? 明日香っちはどこが良い?」 あいつらには分かるんだ!
「春菜と一緒ならどこでも良いよ」 二か月の入院、それでもなお
「じゃあ、渋谷にお洋服買いに行こ!」 歩けない怪我が何を意味するのか!
「それでは一馬に申し訳ないな――」 憧れだった明日香は戻ってこない。
「カズマンは良いでしょ? 付きあってよ!」 エースの明日香はもういない。
「無論だ。明日香ちゃんの私服姿も見れるしな」 誰も明日香に声を掛けられない。
「じゃ決まりだね! お前等どうして黙ってるんだ?
わたしのお気に入りのショップがあるの! 明日香を独りにしないでやってくれ!
すごくカワイイのおーー 春菜や一馬みたいに話してやってくれ!
明日香っちに絶対似合うよおーー」 頼むから明日香に笑ってやってくれ!
「そうか、では楽しみにしてるよ――」 頼むから…………。
結局クラスの連中は誰も明日香に話し掛けることはなかった――。この学院の生徒は医師に次ぐ医療薬学の専門家でもある。あいつらは全てを察したのだろう。このドパージュの時代、二か月経っても治らない怪我が何を意味するかを――。車イスに頼る程の患者が『すぐに治る』と言った言葉の意味を……。
俺だって骨なんて粉々に砕かれた! 脚の筋肉もボロボロにされた。でも俺はこの場に立っていられる。なのに明日香は車イスのままだ――。
いくら神の目を持とうと、翼の折れた大鳥はもう飛ぶことは出来ない。飛ぶ鳥の名を持つ明日香はもういない。天使の様に光り輝く明日香はもういなかった……。
* * *
『明日香の涙』
その日、俺と明日香は授業には出ず、校舎の屋上でずっと空を見ていた――。
クラスの連中に気を遣わせまいと、明日香が自ら教室を出たのだ。
「ふふ……、火鷹と授業をサボるなんて思いもしなかったよ――。でも意外に気分が良いものだな?」
「ああ……、そうだな……」
「火鷹、今日は礼を言わせてくれ……。一緒に来てくれてありがとう……」
「俺は別に何もしてないさ……。俺は何も……」
「その様なことはないよ……。わたし独りではあの場で耐えられたかどうか分からない。火鷹が側に居てくれたから心を強く持てた……。言い難いが、春菜や一馬に笑顔を作って見せるのは辛い――。だが誰にも話しかけられず、腫れ物の様に扱われるのも辛いよ――」
もう少しだけ二人だけで居させてくれないか――?
明日香は静かにそう言って、暫く海を眺めていた。
暖かい太陽と心地良い風の中、俺も明日香と一緒に静かに空を見て、そして海を見ていると少しだけ気持ちが和らぐ――。あの事件以来、こんな落ち着いた気持ちになるのは初めてだった。誰にも邪魔されないこの二人だけの世界なら絶望的な現実からほんの少しだけ目を背けることが出来る――。
「なあ、火鷹……。これからどうするつもりだい……? 沖縄に帰るのか……?」
「分からねえよ……。でも……出来るなら、もう少しお前の側に居させてくれないか……?」
「……そう言って貰えるのは嬉しいが、もう沖縄に帰った方が良い……。今日一緒にここに来てくれただけでも十分だよ……。
分かっているだろう? 敵の狙いはわたしのこの神眼だ――。わたしの側に居ればまたどんな危険に巻き込まれるか分からない。それにもし君が神眼を持てば、間違いなくわたしと同じ様に敵に狙われることになる。叔父上からも言われたのだろう……?」
「ああ……、まあな……」
『――火鷹、沖縄に帰って来い!』
一か月前、まだ俺が病院のベッドの上にいた頃だ……。沖縄からやってきた親父が、俺の怪我の回復を医者から告げられた後、一番に言ったことだった。
『親父、何を言ってるんだ? このまま帰れる訳ねえじゃねえか? 神眼だってまだだ! それに――、明日香を放って帰れって言うのか!?』
『……明日香を見捨られないって言うお前の気持ちは分かる……。軍人でなくても、男なら家族や仲間を守るために命を懸けて闘わなければならない時がある。お前次第では学院に残すつもりもあった――』
『だったら、どうしてだ? 親父らしくねえじゃねえか!?』
『だが兄貴がお前がドパージュを受けることは許さん――。娘の明日香が殺されそうになったんだ。それにお前まで巻き込んでな――。俺に詫びる為に腹でも切りかねん勢いだったよ……。火鷹、もうお前に出来ることは何もない――』
そうだ……、俺に出来ることは何もない……。
こうやって明日香の側にいるだけだ……。こんなことで明日香の悲しみを癒すことなんて出来るはずがない――。ただの同情で人を救える訳がない! それに同情や優しさだって人を傷付けることだってある。今日それが嫌という程分かった……。
俺は無力だ――。
「火鷹……、申し訳ないが、わたしはもう君に何もしてやれない。ドパージュだけではない。もうこの学院ではウォーカーも使うことは出来ないだろう……。叔父上の言う通り、沖縄に帰った方が良い――」
「……だからって、お前を置いて帰れるかよ……」
「君の気持ちは嬉しいよ――。だが君を危険に晒してまで、わたしはその好意を受け取れない……」
「でも……、でも、おまえは歩くことも出来ねえじゃねえか!」
「それを君が心配する必要はない――。姉さまもいる……。それにわたしはもう籠の中の鳥だ――。君まで鳥籠に籠る必要はない……。だからもうパートナーも解消だよ――」
「何だよ! 本気か、明日香!?」
俺は明日香の絶縁宣告にしばらく何も言えなかった――。
その時だった。突然、屋上のドアがバタンと開いた。
「明日香!」 「明日香っち――!」
匂宮、それに春菜だ。少し息を切らしている。どうやら俺達を探していたのだろう。
「明日香――、探したわよ。あなたが居なくなってみんな心配しているわ……」
「薫……、心配かけてすまなかった。すぐ戻るよ……」
明日香は車イスに手を取ってエレベーターへ向かおうとすると、そこに春菜が身体を震わせ泣きそうな顔で立っていた。
「ねえ、明日香っち……? その脚が治らないって本当なのお……? わたし何も分かってないって、みんなにすごく怒られて……。明日香っち……、本当なのお……?」
「春菜……、嘘を付いてすまない……。みなの言う通りだ……。わたしの脚がもう元に戻ることはない。脚の筋肉と腱が何本か完全に失われてしまっている。歩ける位にはなるが……、二度と元の様に走り、跳ぶことなど出来ない……」
作品名:ブリュンヒルデの自己犠牲 作家名:ツクイ