ブリュンヒルデの自己犠牲
「ギブスをしている期間も短かったから筋肉の退化も少ないし、電気パルスもあるから筋肉もすぐ戻る。リハビリだって簡単だ。俺もすぐに走れる様にもなったし……」
「まあ、二か月もあればほとんどの怪我は治るしなあ……」
「それに今まで連絡もないってのも変よ……。ある程度治れば、連絡や面会だって出来るし……。なのにこんな復学直前まで連絡がないなんて――」
「それにニュースじゃ報道されてなかったけど、あの爆発ってロケット弾だって噂よ。何人の生徒が学園のビルから見たらしいの。海から光るものが飛んで爆炎が舞い上がったって――」
「――な? さっきからこんな調子だぜ? 二人が戻って来るのを喜ぶより、こんな噂話ばっかりでさ。まったくムカつくったらありゃしねえよ」
一馬が苛立たしげに毒づくと、薫は神妙な面持ちで「いえ……、確かにその通りだわ……」と静かに呟いたのだった。
「ん? 薫ちゃん、何か言ったかい?」
「あ……、いえ別に何でもないの……。でも仕方ないわ。わたしも二人が戻ってくるのは嬉しいけど、かなりの怪我をしたんだし、別にみんな悪気はないと思うの……」
「ふーん、そうゆうもんかねえ――? ま、薫ちゃんは優しいからな――」
決して人の事を悪く言う事のない薫の言葉では逆に説得力もなく、一馬の機嫌が鎮まることはなかった。
そんなHR後の休み時間が終わる頃、廊下に一人の影が写った。ただそれだけなら誰も気に留めることはないが、車イスを押して歩いている姿が生徒達の注意を引いた。廊下と教室は電子式調光ガラスで授業中は半透明にしてあるため誰なのか分からない。しかし体力第一のこの白鳳学院で車イスを使う者は皆無であり、学院内では珍しい光景とも言えたからだ。
誰だろう――? クラスの誰しもがそう思った時、その影がクラスのドアの前で止まり、そのドアが開いた時、クラスの者が目にしたのは、
ドアの前に立つ火鷹の姿、そして車イスに座る明日香の姿だった。
俺と明日香が教室に入り目にしたのは静かな教室だった……。、クラスの誰もが凍り付いた様に押し黙り――。そして誰も俺達に声を掛ける者などいなかった。
そんな冷たい空気を察し、俺は戸惑い言葉に詰まるが、対照的に車イスの明日香は穏やかな表情を変えることはなかった――。
だが、そんな教室の凍て付いた静寂を春菜が打ち破った。
「明日香っちーーーーっ!」
春菜が大声で叫び明日香の元に駆け寄り、しがみ付く様に抱き付いて、そして再び顔をぐしゃぐしゃにして泣きだしたのだった。
「明日香っちーー、ごめんね、ごめんねえーー。わたし心配したよおーー!」
明日香は春菜があまりに泣くので困った様な顔をするが、春菜を安心させようと頭を優しく撫でながら笑顔で答えたのだった。
「春菜、心配をかけてすまなかったな――。だが春菜がそんな泣くことは無いじゃないか? それに何を謝っているんだい?」
「うっ、うっ……、だって明日香っちに怒られてえーー。ずっと謝りたくてえーー。でも、でも……もう会えないと思ってえーー」
「謝らなくてはならないのはわたしだよ――。すまなかった、春菜。厳しいことを言い過ぎてしまった――」
「ありがとう、明日香っちーー、わたしもマジメにやるからあーー。これから明日香っちのことも守ってあげるよおーー。怪我なんてさせないからねえーー」
「ありがとう、春菜――。だがもう心配は要らないよ」
そう言って明日香は泣きじゃくる子供を落ち着かせるように優しく抱きしめたのだった。
一馬は少し涙を浮かべグスっと鼻を鳴らしながら、明日香と春菜の再会を嬉しそうに見ていたのだった。そんな一馬は俺の肩を組む様にして声を掛けてきた。
「よう、火鷹! 元気そうじゃねえか? 安心したぜ! 怪我とかはもう良いのか?」
「ああ、見ての通りな……」
「何だ、元気ねえな? まだ怪我が治ってない処でもあんのか?」
「ああ、悪い……。ちょっと春菜を見て驚いてな……。もう大分良くなったよ。少しなら走れる位だ……」
「そりゃあ、ほとんど全快じゃねえか? そうかあ……、良かったなあーー。春菜ほどじゃねえが、俺も心配したんだけどさ、お前が無事に戻って来てくれて良かったぜーー」
一馬は肩を組む腕で俺を抱き寄せながら、バンバンと身体を叩いて喜んでくれた。一馬が俺を痛い程に叩くのだが、本当に喜んでくれている一馬の気持ちをまっすぐに俺に伝えてくれた――。
「ああ、一馬……、ありがとな……」 俺は少し元気を出して答えた。
「なに礼なんか言ってんだよ!? そんな気ぃ使うなって。それより何か困ったことがあったら言ってくれ。ああ、でも授業のことは俺に聞くんじゃねえぞ! 薫ちゃんに聞いてくれ! なあ、薫ちゃん?」
「あっ、ええ……もちろんよ……」
匂宮は突然話を振られて驚いた様子だが、少しぎこちないながらも俺に微笑んでくれた。
「火鷹くん、退院おめでとう……。本当に良かったわ……。そして明日香も――」
そう言って匂宮は静かに明日香の手を取った。だがその手は微かに震えている。そして匂宮の表情は固いままだ――。
明日香はそんな匂宮の不安を察した様で、
「薫、心配は要らない――。わたしは大丈夫だ。心配することはないよ――」と笑顔で答えたのだった――。
そんな明日香の笑顔に一馬も春菜も何の疑いも持たなかったのだろう。そして今まで俺と明日香が戻って来た喜びだけに気を取られていたのだろう――。だが一馬も春菜もようやく『気付いた』のだった。俺と違い、明日香だけが車イスに座ったままであることを――。
そして『気付かなかった』のだ。なぜクラスの誰もが俺達に声を掛けなかったのか――。
二人は何気ない笑顔のまま明日香に聞いたのだった。
「明日香ちゃんも、元気そうだな? でも、まだ怪我は治ってないのかい――?」
「そうだねえーー、明日香っちーー? まだ歩けないのおーー?」
明日香は何事もない様に答えた――。
「ああ、すぐに治る。心配をすることはないよ――」
その言葉を聞き、春菜と一馬以外のクラス全員の表情が凍り付いた!
歩くことも出来ない明日香が『すぐに治る』と言うその意味――。
クラスの誰もが思った。
嘘だ――――。
「ねえ、ねえ、すぐに治るってどれくらい?」 止めろ、春菜! 聞かないでくれ!
「あと二か月位だと思う」 止めろ、明日香! それ以上喋るな!
「そっか、快気祝いはまだ先になんのか」 一馬、もう明日香は治らないんだ!
「ふふっ、もう少し待ってくれ――」 明日香、どうしてそんな嘘を付ける?
「じゃ、わたしプレゼントを用意するね?」 明日香、どうして笑っていられる!
「春菜、あまり高価なものは困るぞ」 春菜、一馬、もう止めてくれ!
「ええーー? じゃあ明日香っち何が欲しい?」 明日香を傷付けないでやってくれ!
「春菜が祝ってくれるだけで十分嬉しいよ」 嘘を言わせないでやってくれ!
作品名:ブリュンヒルデの自己犠牲 作家名:ツクイ