ブリュンヒルデの自己犠牲
俺には分かる――。千早達は明日香にこれ以上の屈辱を与えないために、出来るだけ早くこの場から立ち去ったのだろう。事実、明日香は千早達が見えなくなるまで頭を下げたままだった――。
そんな明日香を見るに耐えられなかったのだろう。春菜は「明日香っちいーー、お願いだから、こっちを向いてよおーー!」と泣き叫びながら、ずっと明日香にしがみ付いていた。一馬は何を言って良いのか分からず、また明日香の無様な姿を直視できず目を背けたままだった。
ようやく明日香が頭を上げると、泣きじゃくる春菜にもう泣くなと言い、優しく抱きしめたのだった。
「うわああーーん! どうして明日香っち謝らなくちゃならないのよーー? わたしには分からないよおーー!」
「春菜……、わたしの事はもう良いよ……。しかしケンカはするなと言ったはずじゃないか? わたしと約束したろう……?」
「明日香っちーー、だってあいつらが意地悪してきたんだよーー。いっつも、いっつも落ちこぼれって嫌味ばかり言われてーー。今までずっと我慢してきたのにーー。あいつらの方が悪いんじゃなーーい!」
「確かに辛かったな――。でも訓練で見返せば良い。その為にわたしが居るんじゃないか?」
「でもあいつら、いつもカッコつけて偉そうにして嫌いだよおーー。今日だってあいつらが悪いんだよーー」
「春菜……、残念ながら千早達を侮辱したお前が悪い――。あの者達が命を懸けていると言うのは偽りではない――」
「そんなのありえないよおーー。どこに命をかける必要があるのよーー? あいつらだって本音はカッコよくなりたいって――、人に自慢したいからウォーカーのパイロットになったんでしょう? わたしだってパパとママに素敵な処を見てもらいたいのにーー。なのに自分達だけ、ウォーカーを使わせてもらってズルいよおーー」
「春菜、甘えるのもいい加減にしろ! 父上と母上にという気持ちは分かる! だかそれだけで人を非難して良い理由はないぞ!」
「だってパパとママがこの学院で頑張れって言ってくれたんだもん。わたしだって二人に良い処を見せたい! そのためにわたしだってもっとウォーカーを使いたいよおーー!」
「いい加減にしろ! 春菜!」
「だって、私だって頑張ってるんだよぉ――、なのにあいつらったら卑怯だよ――」
「春菜、止めろ! 私の話を聞け!」
「明日香っち、あいつら嘘をついてるんだよおーー。わたしだってウォーカーに乗れば――」
パシッ――!
再び明日香が春菜の頬を打つ音が響いた!
「ああ……、明日香っち……?」
春菜は思いもよらなかったのだろう。明日香に二度も頬を打たれ、呆然としながらも絶望的な表情で怯え、そして震えていた――。
「春菜、それが ”遊び”だと言うのだ! ”甘え”だと言うのだ――!
ウォーカーはそんな簡単に使えるものでない! ウォーカーを作り、そしてそれを維持する費用が一体どれ程巨額なものか分かっているのか? それにウォーカーだけではない! 我々が受けている最先端のドパージュも、この学院の数々の施設の費用も親が賄ってくれるそれを遥かに超えている。わたし達は親よりも高い恩義をこの国と国民から受けているのだ!
わたしとて父上からもう自分の娘ではないと――、家族より国の為に尽くす様にと言われている! それにこの学院は軍の士官を育成するためのものだ。わたしとて万が一の時の覚悟はある――」
「そんなあ……。明日香っち本気で言ってるの……? そんな覚悟って……そんな怖いの……ヤダよお……」
「無論それを春菜に強制するつもりはない――。この学院を卒業しても任官拒否をすることは可能だ。卒業生の全てが軍人になる訳ではないし、全ての者がその覚悟を持っている訳ではない――。だがこれだけは言える――。この学院で命を懸けると言う者の言葉に偽りはない!
そして命を懸ける者に決して卑怯者などいない!」
「じゃあ……、明日香っち……、わたしが悪いって言うの……。あんな意地悪やヤツらより、わたしが悪いの……?」
「そうだ――。最初にウォーカーに乗った時に言ったはずだ――。覚悟のない者がウォーカーに乗る資格はないとな――」
「……そうだよね……。明日香っちの言う通りだよね……。“エースの明日香”が言うんだもん……間違うはずないよね……」
う……っ、う……っ、ううわああああーーーん!
ああああぁぁぁぁーーーーーーーーん!
春菜は余程悔しかったのだろう。あれだけ好きだった明日香に裏切られたと思ったのだろう……。いつもルックスと化粧に気を配る春菜が顔を真っ赤にして――、そして顔をぐちゃぐちゃにするまで泣いて、泣きじゃくって――、そして力なく明日香の前から去って行った――。
そしてもう一人の咎人だった一馬は春菜を慰めることも出来ず、ただ泣いて出て行くのを見守っているだけだった―――。
「……あのさあ、明日香ちゃん……。明日香ちゃんの言ってること間違いじゃねえと思うよ……。でもさあ、あそこまで春菜に言わなくても良いもんじゃねえのか……?」
明日香はいつもの凛とした顔で――、だか鉄の様な表情のまま一馬に答えた――。
「いや、言わなくてはならないことだ――。わたし達が進むべき道は他人に安易に薦められるものではない。それが春菜にとって良いことか、悪いことかは正直わたしにも分からない――。春菜自身が決めなくてはならないことだ――」
「……そうか……。そうだなよな……」 そう言って一馬は俯きながら力なく、だが明日香の言葉を静かに受け止めたのだった。
「……明日香ちゃん……悪かったよ……。俺の考えが甘かった……。俺もさあ、本音を言えば、春菜みたいにこの学院に入ればカッコが付くってぐらいに考えてたんだ……。だからさ、覚悟なんて言われても、俺もどうしたら良いのか分かんねえよ……」
「それを一馬が今決める必要はない――。そして明日決めなくてはならないことでもない――。だからわたしはお前も、春菜のことも待っているつもりだ……」
「そうか……、ありがとうよ、明日香ちゃん……。
……なあ、すまねえけど今日の訓練はナシにしてもらって良いかな……? 春菜が心配だしさ、俺ちょっと行ってくるわ……」
「そうか、分かった――」 明日香が頷くと、
一馬は「サンキュ、明日香ちゃん」と少し笑顔を見せながら、春菜の後を追い駆けて行った。
そして明日香はそんな一馬を見届けた後、静かに俺に問い掛けたのだった――。
「……火鷹、お前は何も言わなかったな……。お前はわたしが間違っていると思うか?」
「……いや、お前は間違ってないよ……。多分正しい……」
「そうか……、叔父上からそう教えられたのか……?」
「いや……、直接そんな事を言われたことはねえよ……。
でもさ、いつも親父は酒を飲みなが言うんだよ。今日は誰と会った、こんな話をしたってな……。そして自分があの戦闘機に乗れるのは、この人達が支えてくれるからだって……。だからウォーカーに乗る事が遊びじゃないことは分かってたよ――。
作品名:ブリュンヒルデの自己犠牲 作家名:ツクイ