ブリュンヒルデの自己犠牲
「それにどうしてあんな連中がウォーカーに乗れるんだ? 基礎体力だって学課の成績だって明らかに俺達に劣っている。シミュレーターの規定時間もロクにこなしてない。本来ならウォーカーに触ることすら出来ないはずだ!」
「――すまないが、わたしからその理由を説明することは出来ない――」
「なぜ言う事が出来ない! それは上からの命令なのか?」
「わたしがその理由を説明できないことは言った通りだ――」
「噂は本当なのか? あいつらが特別なコネでこの学院に入って来たってな? でなきゃあんな何も出来ない連中を軍も学院も特別扱いするはずない――」
「………………………………」 明日香は千早の問いに何も答えなかった――。
その沈黙が尚更、千早の怒りを増幅する。誤解を解こうともしないのでは当たり前だ。
「明日香、なぜ黙っている――? あんな連中を教えることがとても軍の命令だと思えない! 仮に命令だとしても、俺達の頼みを無視してそんな命令を受けるのかよ?」
「すまないがわたしにも事情がある――。それを汲んでは貰えないだろうか――?」
「何だよ、事情って……、やっぱり命令でもないのか――?」
千早が裏切られた様な落胆した表情を見せた――。だがその表情はすぐ怒りに変わる。
「ちくしょう! あいつらにどんな偉い奴等が付いているか知らねえけど、俺達よりそんな薄汚ねえマネをする連中に肩入れするってのかよ! 見損なったぜ、明日香!」
何だと、あの野郎――! 流石に黙ってらんねえ!
俺と一馬が思わず飛び出そうとしたその時、匂宮が俺達の制服を掴んで引き止めた――。
「ダメ、火鷹くん、一馬くん!」
「匂宮! 悪いけど、放してくれ!」
「そうだ薫ちゃん、俺達だけでなく明日香ちゃんまでああ言われちゃ、ほっとけねえな」
「ダメよ、二人とも! 今行ったら本当に殴り合いに――、いいえ殴り合いにもならないわ! 一方的にやられるだけよ!」
――確かに匂宮の言う通りだ。こっちは二人、多勢に無勢だ。おまけにこの学院の男子生徒は全員格闘技の心得がある。しかもドパージュに秀でたあいつらは腕力も俺達より上だ。半端な怪我じゃ済まないかも知れない――。だからってあんなこと言われて黙ってられるかよ!
「大丈夫、明日香ならケンカになる様なことはないから――。けど、二人が行ったら余計に――」 匂宮は必死に食い下がり、俺達をこの場に引き止めようとする。
だからって放って置けるかよ! 千早の奴、今にも切れそうじゃねえか!
俺は匂宮の手を振り払った。この時もし本当に飛び出していたら、俺と一馬は病院送りにでもなっていたかも知れない。だが俺達は運が良かった。エリート連中の一人が憤る千早を諌めてくれたのだ。
「――おい、千早! もう止めろ! そこまで言うことじゃない……」
「……そうだ、千早、諦めろ。しょせん俺達の勝手な頼みだ――」
「明日香がダメだと言うなら、仕方ないだろう……」
他の何人かの連中もそう言って千早を諌め、明日香をかばい始めた――。
回りの連中に諭され、怒りに逸る千早も落ち着きを取り戻したのだろう。最後には「無理を言ってすまなかった――」と深く頭を下げて明日香に謝ったのだった。しかし千早に納得した様子は全くない。やはり明日香に裏切られたという思いが強いのだろう。努めて冷静に怒りを堪える苦悶の表情がありありと見て取れた――。千早を諌めた連中も同様の気持ちなのだろう。そいつらも明日香に対する失望からか、落胆と不満の表情を浮かべたまま静かに格納庫から出て行った。
そして独り残された明日香はその場に静かに佇んでいた――。いつもの凛とした表情はなく、どこか寂しそうで……、いつも女王の様な威厳を持つ明日香はそこにはいなかった――。
俺達も今更ながら、そんな明日香の前にのこのこと顔を出す結果となってしまった。本当ならもっと早く明日香を助けなければならなかったはずだ。こんな悔しくて、無力で、恥かしい気持ちはない――。
「明日香ちゃん、悪るかったなあ……。何か俺達のせいでケンカになったみたいで……」
「ごめんねーー、明日香っちーー! でも元気だしてよおーー」
一馬と春菜らしくない。小さな声で慰める様に明日香に声をかけた。自分達が原因でこんなケンカに、しかも明日香が悪者であるかの様な結果になってしまったのだ。すまない気持ちで一杯なのだろう。
「二人のせいではないよ――。それに謝らなくてはならないのはわたしの方だ。火鷹が受けているドパージュの事を言う訳にはいかない。結果的にみんなのせいにする様なことになってしまった。不快な思いをさせてすまない――」
「別に俺は構わねえさ。でなきゃ、あいつらの言う通り明日香ちゃんに教えてもらうなんて出来なかったんだしな」
「そうだよおーー。わたしは全然気にしてないからねっ! それに明日香っちにはわたしがいるから、あんな偉そうな奴等なんか、放っておきなよっ!」
「うん、そうだ! 明日香ちゃんには俺がいる! 今度、連中に何か言われることがあったら、俺に言ってくれ! 必ず助けに行く!」
「――それは止めて欲しいものだな。本当にケンカになっては困る――」
「それじゃ俺達の気持ちが収まらねえぜ!」
「そうだよ、明日香っちーー! 委員長もさあ、あそこまで言う事ないよねーー?」
「――ならば二人とも結果で返して欲しいものだな。お前達が優秀な成績を収めてくれるなら、わたしも面目が立つ。それにお前達とクラスの者達との誤解も解けるだろう――」
「おう、分かったぜ、明日香ちゃん。正々堂々とあいつらを負かしてやる!」
「おう、カズマン! そうとなったら今日の訓練もガンバルよおーー!」
オオオォーーーッ!
「フフフ……、二人とも頼もしいな――。それでは訓練を始めよう」
明日香も元気な一馬と春菜を見て少し気を取り直したのか、かすかな笑みを浮かべた。
だが俺はそんな三人を見て胸が締め付けられる思いがした。心底自分がイヤになる。
こんなことになったのも、全部俺のせいじゃないか――?
そもそも明日香が一馬と春菜に指導をしているのは、俺のカムフラージュのためだ。只でさえ俺みたいなルーキーが明日香とパートナーを組むだけでも目立つのに、俺一人が明日香の指導を受ければ、誰もが特別な理由があると考えるだろう。明日香に関わる特別な理由――と考えれば、誰しもが明日香の神眼に行き着く――。
千鶴さんも元より隠し切れない問題だと思っていたそうだが、幸いにも一馬と春菜のお陰で俺だけが突出して目立つことは避けられていた。加えて俺は明日香の父親である幕僚本部主席補佐官の血縁という事実がある。その推薦で入学出来た――と思われればその思惑はほぼ成功したと言って良い。だけど二人を利用している様なものだ――。
明日香がクラスの連中にあそこまで言われるのも、一馬や春菜が連中から恨みを買うのも全て俺のせいじゃないか! なのに明日香はそれを自分のせいだと、俺をかばってくれる――。嬉しくなんかねえ! ただ明日香に守られてるだけじゃないか!
こんな……、こんな悔しいことはない――。
「すまない、明日香――。全部俺のせいで――」
作品名:ブリュンヒルデの自己犠牲 作家名:ツクイ