ブリュンヒルデの自己犠牲
そんな長いカウントダウンも、ラップ・タイムが『10:00』に変わってやっと苦しみから解放される――。俺は1秒の遅れもなく身体を止めた。ほんの一瞬でも早くこの苦しみから解放されたいからだ――。
「火鷹くん、終りよ――。少し休んで良いわ――」
よっしゃああああーー! やっと終わったああーー !
ハア、ハア、ハア、ハア、ハア……。俺は惰性で走りながら大きく息をして、必死で呼吸を整えた……。もう限界だ……。だがそんな甘い考えは匂宮の一言で一蹴される!
「火鷹くん、5分休んだら、また次に行くから!」
……次もって、マジかよ……? 今日、10分のインターバルを6本も走ったんだぞ? 1時間だぞーー!
俺は流石に唖然となるが、匂宮の申し訳なさそうに話し続けた。
「ごめんなさい……。明日香からの指定されたパワーを維持出来る限り、インターバルを繰り返すようにって指示されているの……。さっきはちゃんと走れていたから、少し休めば次も行けるわ」
匂宮は応援とも慰めとも言える言葉を掛けてくれるが、俺はもはや疲れとショックで言葉も出ない。ジーザス……。おもわず俺は天を仰いだ……。なんて酷いことをさせるんだ? あいつは鬼かよ!
だが非情にも休みの時間が経つのは早い。こうして嘆いている間に、貴重な休憩時間はあっと言う間になくなってしまう。
「火鷹くん、もうすぐ次のアタックをするから準備してね。頑張って――」
うう……、ちくしょおおおおーーーー!
* * *
さて、昨日はモーター・ブレードの練習を死ぬほどやったが、今日もどんな地獄が待っているかと思うと憂欝になってくる。で、やっぱり匂宮の説明はそんな期待を裏切らず、俺達を落ち込ませるものだった。
「昨日のトレーニングでモーターブレードを使った理由は持久力を向上させることが目的だったのだけど、今日は瞬発力の向上とウォーカーの衝撃に耐えられる身体を作るためにランニングの練習をするわ。ただジョギング程度の軽いランニングだと、身体への衝撃も少ないし筋力の強化にもならないから、全力疾走のダッシュがメインになるわ……。それで今日のメニューなんだけど……、500メートルダッシュを全力で走ってもらうことになるの……」
……嫌な予感がする……。500メートルのダッシュ――。ちょうど短距離と中距離の境目になる距離。筋肉の瞬発力だけじゃなくて、心肺機能にも激しく負荷がかかる距離だ――。一瞬で終わる100メートルダッシュとは意味が違う。昨日のローラーブレードとはまた違う苦しみを味わうだろう。
そして何よりの問題はそのダッシュを一体、何本繰り返すかだ――。匂宮が非常に言い難そうに困った顔をしている……。
「それでなんだけど……、この500mダッシュはわたしが終りって言うまで続けてもらうことになるの……」
「ちょ、ちょっと……、カオルン……。それっていつまでやるって事なの――?」
底抜けの明るさが売りの春菜も、その匂宮の曖昧な指示に流石に不安になったようだ。昨日の地獄のトレーニングを考えれば当然だ。何だかんだ言って、春菜も昨日泣きが入るまでアタックを繰り返させられたし――。
「それは……、実際に走ってみないと、いつまでって具体的に訳じゃないの……。だからみんなには全力で走ってもらうしか……」
「何度もか……?」
「そう……、何度でも……」
目眩がした……。昨日、俺よりも速く走っていた一馬まで言葉を失っている。要するにぶっ倒れるまでやれってことか? 他の生徒もこんなハードな練習をやってるのかよ?
「確かにこの学院の生徒でもここまで厳しいトレーニングはしないわ……。でも3人とも他の人達より遅れているし、ウォーカーに乗る以上それに耐えられる身体を作らなくちゃいけないから……。怪我をしない様には気を付けているけど……」
要するに死なない程度にヤレということらしい。ちくしょう……。ウォーカーに乗るためと言われちゃノーとは言えない。俺達は覚悟を決め、今日もまた地獄の苦しみ味わうトレーニングが始まった。
――だが一応断っておくが、苦しいって言っても俺達の苦しさってのは、オッサン達のあれとは全く比べ物にならないからな。ロクにトレーニングもしてないオッサン連中は激しい運動をすると息が上がってすぐに“終り”になる。肉体の限界に達する前に自動的に終わってくれるのだからこんな楽なことはない。単に“気分的に”苦しいだけで実際の運動量は俺達より1ケタ少ない。お笑いだ。この息が上がるって現象は筋肉へ酸素が届かないために自動的に身体がストップする生理的現象なのだが、この酸素供給でネックとなっているのは実は心臓や肺じゃなく毛細血管類だ。いくら心臓と肺がフル稼働しても、筋肉に酸素を送る血管が細くては十分な酸素を送れない。だが俺達は既に超長時間の持久トレーニングで毛細血管を発達させて、大量の酸素を筋肉に送れる様に改造されている。つまりちょっとやそっとの運動で息が上がることもないわけだ。
ただし――、その飛躍した運動能力のため俺達の場合、呼吸の苦しさに加え、筋肉を限界まで酷使する苦しみを味わうことになる。
「ハア、ハア……。ハア、ハア……」
俺と一馬はダッシュを終え、息を切らしながら芝生の上に寝転んだ。やはり予想通りの苦しさだ……。昨日のモーターブレードと違って、短距離を一気に走り切るので流石の俺達でも息が上がってしまう。加えてダッシュを何度も繰り返すためマジで脚が悲鳴を上げ立っていられない!。
「一馬ぁぁ……、俺もうだめ、脚が攣りそうだ……」
「俺も脚がやばい。痙攣してやがる……、マジやばい……」
「じゃあ、もう今日はこれで終わりだな……?」
「いや、アイシングをして休んだら、また続けるんだとさ……。薫ちゃんがやってくれるってさ。喜べ、火鷹」
「喜べるか、ドアホオ……。匂宮もあんな可愛い顔して鬼だ……。泣きたい……」
「いいじゃねえか、薫ちゃんがすまなそうな顔をして色々サービスしてくれるんだからさ……。『一馬くん、ごめんなさいね』ってな! どんなエロゲだよ? 俺は許すね!」
……どうやら一馬は体育会系には珍しく結構な二次元オタのようだ。前から怪しいと思っていたが……。だが今は激しくどうでも良い……。
「ちきしょう……。一体何本ダッシュをやりゃあ良いんだよ……?」
「……何本やりゃあって言うけど、お前何回走ったか覚えてるのか……?」
「アホかあ……? 覚えてる訳ねえだろ……」
数も数えられないんじゃアホはお前だろと突っ込まれるかも知れないが、これは脳に酸素と栄養が回らなくなってきている証拠だ。結構ヤバい。よくサッカーで試合終了間際に集中力が切れたとか言うけど、あれは集中力云々の問題ではない。単なる燃料切れだ。人間の器官で一番エネルギーを喰うのは脳みぞだからな。筋肉に栄養と酸素を取られて、頭が文字通り回らなくなる現象だったりする。
「ちくしょう…………、それにしても一体何回走らせるんだよ……?」
「知るかよ……。明日香の書いたメモに書いてあるんだろう?」
「そうだよなあ……。でもそんなことも教えてくれねえって、どれだけSなんだよ……?」
作品名:ブリュンヒルデの自己犠牲 作家名:ツクイ