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憎きアショーカ王

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(22) 武人--四種姓の一、武士階級とされるクシャトリヤ([サンスクリット]Kshatriya [漢音]刹帝利)のこと。種姓([サンスクリット]Varna. "色"の意)とはバラモン教のもろもろの聖典において人間を生まれによって四種に分かつものである。バラモン(司祭。70参照)、クシャトリア(武士)、ヴァイシャ(庶民)、シュードラ(奴隷)に分かれるとする。またチャンダーラ族などダリット(不可触民)は社会の構成員としての人間ですらないとする。学術的にはアーリア人のインド侵入という歴史的な事象に伴い形成されたとされる。バラモン教においては天則([サンスクリット]rita. 宇宙法則というほどの意)という概念があり、種姓も天則の現れであるとされ、輪廻思想が発展すると、これに基づいた理解に転じた。インドの人々は一般にバラモン教の聖典など学ばずとも、叙事詩マハーバーラタやラーマーヤナなどによってこの種の人間の意志を超越した不変不滅の存在、法則というような概念に伝統的に親しんでおり、種姓の概念とその形態であるジャーティ([サンスクリット]Jati. "生まれ"の意で職業的階級的集団)は今日まで古代の香りを保存している。ダリットであったアンベードカル(1891-1956)は、原始経典においてブッダ・サキャムニが「生まれによってバラモンとなるのではない(106参照)」と種姓は恣意的なものに過ぎないと看破していると見なし、彼らによる仏教復興運動に繋がっていく。

(23) バガヴァン--[パーリ/サンスクリット]Bhagavan. 漢訳では世尊と訳されるが、"先生"というほどの意。尊称には違いないけれども、タターガタ(如来)、ブッダ(覚者)、ムニ(聖者)、ヴェーダの達人(Vedagu)といった尊称がしばしば神格化を伴うのに対して、よりくだけた呼び方のようだ。ブッダ・サキャムニは存命中には弟子にこう呼ばれていたようだから、彼はそれに倣っているのだろう。今日もインドでは宗教的教師についてこのように呼ぶことがある。ルンビニーのルンミンデーイー寺院で発見されたアショーカ王の石柱碑文においてBuddha Sakyamuni(覚者であるサキャ族の聖者)と記されるゴータマ・シッダッタ([パーリ]Gotama Siddhattha [サンスクリット]Gautama Siddhartha [漢音]瞿曇悉達多。紀元前560頃-480頃ないし紀元前460頃-380頃)は、仏教の開祖である。サキャ族の王の嫡男であった。サキャ族は今日のインドのウッタル・プラデッシュ州ピプラーワーに比定されている(ただし異論も多い)カピラ城を支配したクシャトリヤであり、アーリア人の中でも最も尊いとされるアンギラス族(太陽族)に出自するとみなされていたという(古層にある経典でブッダ・サキャムニはしばしば「アンギラーサ(アンギラス族の人)よ」と呼ばれている。これは経典作者がバラモン教的な権威を持ち込んだだけかもしれないが、しかしサキャ族は出自の高貴を誇って奢ったゆえに滅んだともいう)。経典におけるブッダ・サキャムニの伝記は神話的な潤色に満ちており、歴史的な実在すら疑われた時代があったが、ルンミンデーイー寺院のアショーカ碑文とピプラーワー出土の骨壷によって実在が確かめられた。生没年については27参照。

(24) ビック--[パーリ]Bhikkhu [サンスクリット]Bhiksu [漢音]比丘。"乞う人"の意。乞食者。仏教に帰依して出家(115参照)した人を指すが、仏教徒に限ってこう呼ぶわけではない。仏教の出家者は最初期には、リシ([サンスクリット]rsi [パーリ]isi 仙人)、シラマナ([サンスクリット]sramana [パーリ]samana [漢音]沙門。もと"勤める人"の意であったが、仏教徒において"静まる者"の意に変化したという)、森住者([サンスクリット]Vanaprastha)など、仏教徒に限らぬインドの修行者に共通の伝統的な名称でさまざまに自称他称していたが、おそらくアショーカ王時代の少し前からビックと称することが多くなった。Bhikkhuは男性形で、女性形はBhikkhuni(ビックニー。[漢音]比丘尼)。森に住み、ないし遍歴して乞食をし修行することはバラモン教的な伝統であり、そういう人をリシと呼んだのだし、仏教の出家者も最初期には同様だったが、次第にサンガの建物(精舎)に定住して乞食するようになったので、ビックと称するようになったのかもしれない。ところで仏教のビックに限らず修行者は初めその個人的な人格への感情的な尊敬から喜捨を受けたのだろうが、それが変化したのは、やはり輪廻思想の流行によるのだろう。アショーカ王碑文にもすでにそれが現れている(カールシー、エーラグディ、シャーフバーズガリー、マーンセーフラー摩崖法勅第九章)。ちなみに彼がここでブッダ・サキャムニをビックと呼ぶのは、もちろん仏弟子の意ではなくて、"乞う人"という原義によるだろう。

(25) ビックガティカ--[パーリ]Bikkhugatika. "ビックとともに住む人"の意。少摩崖法勅第一章よると、アショーカ王は二年半の間在家信者(90参照)であったが、その後一年余りの期間、ビックガティカになったという。しかしアショーカは巨大な王国の王であったのだから、今日タイなどで見られるような、短期間ながら出家修行者とまったく同じ生活をするビックガティカとなったわけではなくて、単にこの期間しばしばサンガ(28参照)へ赴いて経典や瞑想の方法を学んだという意味かもしれない。

(26) 彼の息子のひとり--マヒンダ([パーリ]Mahinda [サンスクリット]Mahindra)のこと。大唐西域記(49参照)ではアショーカ王の弟とされる。ビックであったがアショーカ王の命によりランカー島(スリランカ)に渡り、サンガ(28参照)を開いた。ランカー島のシンハラ王ティッサが菩提樹(ブッダ・サキャムニがその樹下で無常を悟ったとされる樹木)を求めると、兄と同じく出家してビックニーだった妹のサンガミッターが菩提樹の枝を持って来島し、ビックニーのサンガを開いた。今日スリランカ、ミャンマー、タイ、ラオスなどに伝わる南伝仏教はここに始まる。ちなみに今日ブッダガヤにある菩提樹はサンガミッターの菩提樹を戻したものである。
作品名:憎きアショーカ王 作家名:RamaneyyaAsu