憎きアショーカ王
(92) 自分自身の正しさを証明することはできない--クルト・ゲーデルの第二不完全性定理(1931)を言っているだろう。それは例えば我々が食べたことのないものの味を他人によって知ることはできないことを連想させる。
(93) コーカーリヤが脅されたところの地獄--スッタニパータ3-10詩を指すだろう。サーリプッタとモッガラーナを讒言するコーカーリヤという比丘に、ブッダ・サキャムニが奇想天外な地獄のありさまを語る。このような神話が加えられたからには、サンガに何か明確な事情があったはずだが、それをこそ知りたいものである。
(94) 現実がこれらの事象を発見するかのようだ--二重スリット実験は、量子力学の未解決問題を示すものとしてよく知られる。理論では波動でしか表せぬものが、現実には粒子としてある位置に収束する。そのありさまは、さながら現実が事象を発見するかのように見える。
(95) 太陽が西に去った--彼は学んだ知識によって事象を正しく捉えようと勤めているように見える。人は大地が回転していると何度聞かされても、気をつけていないなら、数分後には忘れてしまうものだ。
(96) ウェサック--[シンハラ]Wesak. ウェーサーカ祭。南伝仏教でブッダ・サキャムニの生誕、正覚、入滅を一度に祝う儀礼。一年に一度の祭りであるので、スリランカなどでは人々がランタンを持ちより盛大に祝う。北伝仏教の灌仏会にあたる。古くからインドにおいてインド暦の第二月、ヴァイシャーカ月の満月に行われてきたが、これはほぼグレゴリオ暦の五月にあたるため、今日五月の満月の日に行われる。北伝仏教では潅仏会を四月八日としているが、これはヴァイシャーカ月が中国暦の四月にあたり、布薩は八日に行うこととしていたためである。日本では暦をグレゴリオ暦に変更する際、灌仏会を暦変更の換算をせずそのままグレゴリオ暦の四月八日としたために、伝統的な日付からほぼ一ヶ月ずれてしまった。驚いたことである!
(97) 古い100ルピー札の絵柄--インドルピーの紙幣は、1996年にガーンディジーのシリーズに絵柄が変わったが、それ以前には、サールナート出土のアショーカ石柱の獅子が描かれていた。私がナガルなどを訪れたのは2001年のことだったが、この旧紙幣を手にする機会は少なくなかった。
(98) サールナートのもの--ヒンドゥー教の聖地としてつとに知られるヴァラーナシー郊外のサールナート(初転法輪の地、鹿野苑)に今日も建つアショーカ石柱の、柱頭部分のこと。カニンガムらインド考古局が発見し、現在はサールナート博物館で展示されている。蓮弁の台座の上に、法輪、牡牛、獅子、象、馬を浮き彫りにした冠盤の乗せ、その上に、咆哮する四頭の獅子が乗っている。磨き上げられた硬質砂岩製。優雅かつ力強い造形である。サーンチーのものとほとんど同じだが、サールナートのものは破損がなく、アショーカ王の遺物としてもっともよく知られるものである。この柱頭が乗っていた石柱の碑文は、サンガの和合を説くものだから、往時には仏教伽藍があったのであり、大唐西域記にも、「幾層にもした軒、何階にもした閣は、その麗しき構想を極めたものである」「僧徒は一千五百人、みな小乗の正量部の教えを学んでいる」と記されるが、十三世紀頃イスラム教徒に破壊されたという。その遺構も一部発掘がなされている。ところでこのアショーカ王の獅子柱頭は、日本などの狛犬の起源であるといわれている。獅子吼とは悪鬼邪法を払うことを言うからという。そこでアショーカ王の獅子柱頭も魔よけの類いであるとされることがある。しかし註80で述べたように、獅子吼とはそもそも憂いや疑いなく言をなすことを言うのであって、アショーカ王の獅子柱頭は碑文の上に乗っていたことを思い出さねばならない。この四方を向いて吼える獅子は、憂いや恐れ、疑いのない、力強い肯定を、全世界に宣言しているさまである。
(99) ブラーフミー文字--古代インドで用いられた音素文字で、紀元前六世紀頃からの使用が確認されている。七世紀頃からナーガリー文字が用いられるようになると、次第に死滅した。アラム文字から作られたとする説と、インダス文字から作られたとする説がある。アショーカ王碑文のほとんどにこの文字が銘刻されている。
(100) Priyadarssi--[漢意]喜見。これはマガダ語の綴り。サンスクリットはPriyadarsin. "見るに喜ばしいもの"の意。マガダ王アショーカの公的な名である。
(101) カローシュティ文字--古代の西北インド(今日のパキスタン北部)や中央アジアで用いられた音素文字。おそらくはアラム語を表記するために、ブラーフミー文字をもとにアラム文字を借用して作られたもの。西北インド地方のアショーカ王碑文に銘刻されている。五世紀には死滅し、長らく忘却されていたが、1840年頃、カルカッタのイギリスアジア協会が、ギリシア文字と併記されたコインをもとに解読した。
(102) アラム語--ヘブライ語などと同じく北西セム語に分類される言語。アケメネス朝ペルシアなどで用いられたため、アショーカ王の時代には小アジアから北西インド、中央アジアまで、国際語として広まっていた。旧約聖書などにも用いられているが、今日話者はアッシリア人など非常に限られている。西北インドのアショーカ碑文には、アラム語とギリシア語を併記するものが多い。
(103) 停止しているかのようだ--ジッドゥ・クリシュナムルティ([テルグ]Jiddu Krishnamurti. 1895-1986)によれば、人間の時間の感覚は思考の結果だという。これは私である、私は考える、私は何者かになりたい、私はこれを所有したい、というような執着が、意識の時計の針を進ませるという(例えば『最初と最後の自由』二十章)。似たような話がパーリ経典サンユッタニカーヤ4-3.1にある。あるバラモンとビックが問答する。「あなた方は、人間の愛欲を楽しみなさい。現在経験されることを捨てて、未来の時に得られることを追求なさるな」「バラモンよ。我らは、現在経験されることを捨てて、未来のときに得られることを追求しているのではありません。我らは、未来に得られることを捨てて、現在経験されることを追及しているのです。愛欲は、時間に属するものであり、苦しみ多く……と先生はお説きになりました」
(104) マガダ語--プラークリット(非サンスクリット)の一で、古来マガダ地方(今日のビハール州)で話されてきた言語。マウリヤ王朝によってインド亜大陸の広い地域に影響を与え、今日のビハール語はもちろん、ベンガル語、アッサム語、オリヤー語などの祖語にもなっている。また南伝仏教の仏典に用いられるパーリ語は北インドの言語とされるが、マガダ語の影響を強く受けている。
作品名:憎きアショーカ王 作家名:RamaneyyaAsu