憎きアショーカ王
(77) コーサラ--[サンスクリット]Kosala. 今日のウッタル・ブラデッシュ州北東部にあった国。ラーマーヤナのラーマ王の国としてつとに知られる。ブッダ・サキャムニの時代にもサキャ族やカーシー国などを従属させる大国であり、サキャ族を滅ぼすなどして勢力を広げたが、仏滅からほどなくしてマガダのアジャータサットゥに破れて衰えた。ブッダ・サキャムニが二十五年間を過ごしたという祇園精舎は、玄奘が訪れた際にはすでに建物が崩壊し、ただ門の両脇にアショーカ王の石柱が建っていたという。カニンガムによってネパールに近いサヘートで祇園精舎跡とされる遺構が発見されたが、法顕も玄奘も記している二本のアショーカ石柱はいまだ見つかっていない。コーサラ王家とサキャ族は出自を同じくし、しばしば通婚していたというから、ブッダ・サキャムニはラーマ王の末裔と言いえるかもしれない。ブッダ・サキャムニがラーマと同じくヴィシュヌの化身とされるのはこの理由によるのだろう。
(78) デーヴァダッタ派--デーヴァダッタ([パーリ/サンスクリット]Devadatta [漢音]提婆達多、調達)はブッダ・サキャムニの従弟で、アーナンダの兄とされる仏弟子。伝統的な苦行者のありようを重んじて、ブッダ・サキャムニに律の厳格化を求めるも、容れられずサンガ分裂を招いた。法顕伝第四章に、コーサラには九十六種の外道(仏教以外の宗派)があるとし、外道の一として、「調達でさえも尊崇する人々がいる。この人々は過去三仏は供養するが、ただ釈迦文仏は供養しない」とあり、大唐西域記巻第十八条の一項に、今日の西ベンガル州ラーンガーマティに、「三伽藍があり、乳酪を口にせず、提婆達多の遺訓を遵奉している」とある。分裂したデーヴァダッタのサンガについて私たちが知りうるのはこの二行の記録のみである。
(79) 19世紀末にも存続していたという--Wikipedia日本語版の"インドの仏教"にはこのように書かれているから、彼もこれを読んだのかもしれない。私はこの出典を探したが、どうしても見つからなかった。いかにもありそうな話だが、しかしこうしたものの利用は難しいものである。
(80) 獅子頭の石柱--サールナート石柱をはじめ、アショーカ王の石柱には獅子を乗せたものが多く発見されている。インドライオンは今日グジャラート州のギル保護区に三百頭ほど生息するのみというが、往時にはもっと広範囲にいたことだろう。仏教経典に獅子吼という表現があり(例えばスッタニパータ1015パーラーヤナヴァッガ「先生はそのときビック衆に敬われ、獅子が林の中で吼えるようにビックらに法を説いておられた」)、恐れや憂いなく確信を持って物事を言うさまを表す。これはあるいは獅子が草原に仰向けに寝て恐れを知らぬさまから連想されているかもしれない。Ashokaとは"憂いがない"の意であり、仏法が獅子吼に例えられたこともあって、アショーカ王は自らの法の統治を獅子に象徴したのだろう。
(81) ここに違いない--トリプラスンダリー寺院は山の斜面に突き出た丘状になっている場所にあり、たいへん見晴らしがよい。境内の東端からは特にビアス川が渓谷を流れるさまが一望でき、もし吼える獅子の石柱が建っていたとすればここしかあるまい、と私は感じた。
(82) 子供が光や時間の不思議を思う--カール・ゼーリッヒの伝記によれば、アルバート・アインシュタインは、ジェイムズ・フランクに次のように語ったという。「光や時空について観察して考えるのは普通子供ですよ。みな大人になると、やめてしまうのですが。私の場合成長が遅くて、大人になってから考え始めましたけどね。ただ私は、どんな子供よりも執念深く、この問題を観察し考察したのです」
(83) コーサンビー、サールナート、サーンチーの石柱--31参照。
(84) ダンマ--[パーリ]Dhamma [サンスクリット]Dharma [漢意]法。真理の意。リグ・ヴェーダで盛んに歌われる天則([サンスクリット]rita)が人間の意志や行いを超越した宇宙法則という趣だったのに対し、仏教やアショーカ王の法は人間における正しい行いの基準という意味合いが強いから、正義と訳してよいもしれない。アショーカ王碑文における法は、仏法を指しているのではなく、どの宗派にも共通の、普遍的な正しい道として定義されているように読める。とはいえ仏法がそもそもそうしたものであると捉えるなら、アショーカ王の法とは仏法であると言えるかもしれないし、実際彼は仏教のそうした部分に帰依していたのかもしれない。
(85) 布薩--[パーリ]Uposatha [サンスクリット]Upavasatha. 仏教サンガが界(88参照)ごとに開く集会のこと。満月と新月の日に行い、ビックあるいはビックニーのみの場合と、在家も交えるものの二種類ある。主に戒律を守っていることの確認を行う。
(86) 大衆部の律--摩訶僧祇律のことだろう。法顕がもたらし漢訳したこの律蔵は、今日滅んでしまった大衆部を知る貴重な資料である。
(87) 破僧--破僧伽。サンガを分裂させること。デーヴァダッタの故事にならい、仏弟子として最大の悪業とされた。
(88) 界--仏教サンガを地域ごとに区切った区画のこと。四人以上のビックないしビックニーがいることを条件とする。ビックとビックニーが混在してはならない。布薩はこの界ごとに行う。結界、境界などの語はここから。
(89) このことを示唆します--摩訶僧祇律において破僧とは、"同一界のビックたちが別々に布薩を行うこと"とされる。しかし説一切有部の律では"仏説に反する説を唱え、仲間を集めて別の集団を作ること"とされる。パーリ律(今日の南伝律)では、この両方ともが記されている。しかし現実にはどの部派も前者の布薩破僧を破僧としていたそうである。これについては佐々木閑博士の論文『Samaggiuposathaと二種の破僧』に詳しい。http://ci.nii.ac.jp/naid/110002932918
(90) ウパーサカ--[パーリ]Upasaka [漢音]優婆塞。男性の在家信者のこと。女性はUpasika(優婆夷)と呼ぶ。出家者に仕える者の意であるから、この語ができたときにはすでにサンガは在家者の布施を期待していたと言えるかもしれない。
(91) これ以上申し上げるまでもないでしょう--サーリプッタといえば長老中の長老であるから、この老人がどのような伝承を受けているかはともかく、よもや極楽往生とか大日如来とか弥勒菩薩とかいう奇天烈なものではあるまいと踏んでいるのだろう。しかしこの老人が隠れキリシタンのようなものであるなら、相当に特異な伝承でありそうなものだが。ただし大乗仏教の縦横な展開や南伝仏教のジャータカなどは、在家信者の布施獲得のための、経済的な事情によるのだろうから、この方面についてはこの老人の派は縁がなかったことだろう。
作品名:憎きアショーカ王 作家名:RamaneyyaAsu