小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

憎きアショーカ王

INDEX|15ページ/19ページ|

次のページ前のページ
 

(70) バラモン--[サンスクリット]Brahmana [漢音]婆羅門。"ブラフマンに属するもの"の意。ブラフマンとは宇宙が潜在的に持っている力のことだから、ブラーフマナとは"神聖なるもの"というほどの意味となる。そこで転じて賢者という意味にも用いられ、ブッダ・サキャムニらバラモン教を論難した沙門たちや、バラモン教側でもウパニシャッドの教師たちははしばしばこれを強調したが、四種姓(22参照)の最上位としてのバラモンという伝統的な定義は、今日まで続いているし、ここで彼も職業(ジャーティ)としての名称として用いているだろう。スッタニパータ第三章第九詩は、バラモンとは何かについての詩である。ここでブッダ・サキャムニは、もろもろの生物を上げて、「これらの生類には生まれに基づく特徴はいろいろと異なっているが、人類([パーリ]Manussa. 人類という概念はインド思想には珍しいという)にはそのように生まれに基づく特徴がいろいろと異なっているということはない」と説く。生まれによってバラモンとなる、と言う者は、「何か所有物の思いにとらわれている」と説く。恣意的なものであり現実ではない、と言うのだろう。「一切を所有せず執着のない人。彼を私はバラモンと呼ぶ」「盗みを行う者は盗人となる。祭祀を行う者は司祭者となる(司祭者=バラモンではないと説いている)」「生まれによってバラモンとなるのではない。生まれによってバラモンならざる者なのでもない。行いによってバラモンとなるのである。行いによってバラモンならざる者となるのである」と説く。ところで今日インドの人々に「バラモン」と言ってもまず通じないが、通じることもある。旅行者を相手にする職業の者たちである。彼らは日本人に声をかけ、「私はバラモンです」と言うことで、怪しい者ではないと主張するのである。しかし彼らに、「あなたはどのような行いによってバラモンとなったのですか?」などと尋ねても、おそらく会話にならないだろう。

(71) 異邦人だから言いますが--私が出会ったインドの人々は、信仰というものが個人に根ざすものだということを、よく知っていた。「私の神」「私の宗教」というふうに言うが、自分の信仰についてヒンドゥー教とかヴィシュヌ派などとはあまり言わない。他人の信仰について言うことはできないということを知っているのである。宗派というような概念は、外から見て体系付けるためのものだから、ここで彼はこのように言うのだろう。

(72) ゴータマ--[パーリ]Gotama [サンスクリット]Gautama [漢音]瞿曇。ブッダ・サキャムニの氏姓名。"最上の牛"の意。ゴータマ姓はアーリア人の中でも重要な祭祀を行うことのできたアンギラス族の氏姓であるという。それゆえかブッダ・サキャムニは古い詩句では、バラモンから「ゴータマよ」「アンギラーサ(アンギラス族の人)よ」と呼ばれることがある。
作品名:憎きアショーカ王 作家名:RamaneyyaAsu