憎きアショーカ王
(56) 天祀--チャイティヤ([サンスクリット]Caitya)のこと。寺院。自在天(シヴァ)などを祀ったヒンドゥー教寺院を玄奘などは天祀と記する。チャイティヤはもと"霊樹"というほどの意で、死者を埋葬した場所に植えた樹木(その中でも古いとされる大きな樹木をとくに指したかもしれない)を指し、ヤッカ(夜叉)という精霊が住むとされた。遍歴修行者が墓場に住んだとされることがあるが、これは彼らがこのような霊樹の樹下で日差しや雨風をしのいだことを言っている。ブッダ・サキャムニが霊樹の下で瞑想したことはしばしば経典に出ており、菩提樹もそのような霊樹のひとつであった。輪廻思想の発展によって、人間のストゥーパ、チャイティヤが作られなくなったからか、仏教がストゥーパ崇拝、仏像崇拝に傾いたと同様、ヒンドゥー教もチャイティヤ崇拝に傾き、やがて寺院が作られ、神像が作られて、今日もあるヒンドゥー教寺院の形となった。
(57) トリプラスンダリー--[ヒンディ]Tripurasundari. ナガルのバス停から西、オートリキシャで五分ほど山の斜面を伝う道を登ったところにある寺院。トリプラスンダリーとは心と言葉と行為の調和を指すウパニシャッドなどの用語だが、女神であるともされ、この寺院の本尊もそうである。境内の中央に立つ建物は、本文の通り三重の楼閣作りで、日本の仏塔と似ている。
(58) 墓といえば火葬場のことになってしまう--墓を指す語はいくつかあるにはあるが、それらはペルシア語ないしアラビア語の借用である。彼はイスラム教徒のそれを指さないように英語--tomb--を用いたのだろう。
(59) ブッダ--[サンスクリット]buddha. "正しく見る人"、"目覚めた人"、"真理を知った人"の意。ジャイナ教の古い経典でいろいろの人物に対して用いられ、仏教にも過去六仏伝説が残るなど、古代インドにおいては一般的な名詞だった。いつしかブッダ・サキャムニのみを指すようになったが、この名称は仏教(同時にインドにおける伝統的な修行宗教)が本来、個人において真理(自己を含めた自然の真の姿)を知ることを目的としていることを示しているだろう。法顕の法顕伝には、デーヴァダッタのサンガがブッダ・サキャムニ以前の三人のブッダを供養していたと記されている(78参照)。ところでここでオートリキシャの運転手は、おそらくヴィシュヌ(ハリ)の化身としてのブッダ・サキャムニを想起しているだろう。
(60) 修繕をしたのだろう--トリプラスンダリー寺院は十五世紀に現在の形になって以来、修繕を重ねて保たれており、1990年にも修繕がなされたとのことだった。私が訪れたのは2001年だったが、彼が言うようにところどころに白木も見えた。しかしヒマラヤ杉を組み、スレート石を磨いて葺いたこの塔は、華美な彩色もなく静寂を表現しているようで、周囲の山々や水田と調和してたいへん美しかった。
(61) チピチピチョップ--インドの子供たちがよくやっているのは確かだが、この言葉の意味もインドにおけるこの遊びの起源も私には結局わからなかった。インド人の家庭にホームステイしていたおり、子供たちは食事中私にしばしばチピチピチョップをしかけ、親に叱られていた。それほど楽しい遊びである。
(62) 合掌--[サンスクリット]Anjali. インドの古くからの礼拝、ないし挨拶の仕草。インドのほか仏教国でも行われるが、日本では今日挨拶には用いず謝罪する場面で用いるようになった。右手が仏で左手が衆生などとさまざまに意味付けられているが、両手を合わせて目をつむるのが本来の形だから、合掌する人自身が心を整えて相手に接する効果がある。つまり本来ヨーガである。
(63) ババジー--[ヒンディ] Baba ji. ババは"父"、ジーは敬称。"〜さん"。インドで宗教者を呼ぶとき広く用いられる言葉だが、私が聞いたかぎりそのニュアンスは"和尚さん"といった感じだった。
(64) シヴァ--[サンスクリット]Siva. さいわい、めでたい、の意。インドではハラ([サンスクリット]Hara. 破壊者の意)と呼ぶ人が多い。インド三神の一としてよく知られているが、この神がどういう神かを簡略に知ることは不可能である。シヴァに帰される神話物語は膨大であり、よく千種のシヴァがいると言われる。シヴァ神はドラヴィダ人たちの土俗的伝統的な信仰の集合かもしれない。インダス文明の紋章などに牛頭の人物像やヨーガのアーサナ(座法)をとっているような人物像があり、ここに獣王、ヨーガ神、苦行神シヴァの最も古い現れを見る研究者がいる。今日カシミール、ヒマチャル・プラデッシュに多く残り、古い仏教経典にも色濃く現れるナーガ(蛇ないし龍。雨や河の神)信仰は非常に古いものであり、アタルヴァ・ヴェーダに現れるとはいっても、もともとアーリア人のものではないことは確かだが、インドの人々にはナーガとはシヴァないしその眷属であると認識されている(例えばガンジス川はシヴァの額から流れ出すとされる)。しかしダンマパダ393詩句「螺髪を結っているからバラモンなのではない」、394詩句「螺髪を結って何になるのだ。かもしかの皮をまとって何になるのだ」と記される行者の姿は、今日も相当数いるシヴァ派の行者(サドゥー)の姿そのものであるが、ブッダ・サキャムニの時代このような姿の修行者をも一般にバラモンと呼ぶことがあったことがここに示されていると思える。バラモンといえばアーリア人のヴェーダ司祭を指すと捉えがちだが、ダンマパダなどで度々説かれるように本来単に賢者というほどの意味だったのだから、ここに出る行者が非アーリア系の伝統を持つサドゥーの原形だったとしても不思議はない。大唐西域記には塗灰外道(死者の灰を体に塗った遍歴行者)が各所に記されているが、これも今日のサドゥーそのものである。マハーヴァッガ(大品)において、ヨーガ(ヴィパッサナー瞑想)によって無常を悟ったばかりのブッダ・サキャムニを、ナーガであるムチャリンダが風雨から守るが、これはヨーギン(ヨーガ行者)としてのブッダ・サキャムニとヨーガ神シヴァとの関係を物語るのだろうか。またブッダ・サキャムニ自身が、古い経典でしばしばナーガと呼ばれる。
(65) 合一したものなのだ--リンガ(シヴァの男根が交合する膣の内側から見た形。我々の世界の表象という)と足あとが並べられたものは確かに多いのだが、実際にはインドの人々の多くは、この足あとはシヴァのものだと認識しているという。私が尋ねたナガルの人々もそうであった。しかし彼が言うように、この起源は仏足石であったかもしれない。トリプラスンダリー寺院のこのリンガと足あとは今もあることと思うし、十九世紀にはカニンガムも見たかもしれないが、これを大唐西域記の記述と結びつける研究者はいないようだ。
作品名:憎きアショーカ王 作家名:RamaneyyaAsu